二つの決意一つの約束
チラチラと目の前が騒がしい。
アキヨリと分身の戦闘の副産物である黒い煤が舞っているのだとジョアンは認識した。
そしてハルナの危機にあって、そんな事を認識した自分が やけに腹立たしく思えてきた。
一つまた一つ、煤はジョアンの目の前に落ちて行く。
わざわざ数えたりはしないが、六つ目が落ちた所で、身を強張らせた緊張が限界に達した。
「ふわぁ!はあぁ!はあぁああああああああ!!」
膨張した内容物による精神の破裂を避ける為に、現時点での口の形で声を出し、他人の物の様になった手足で這った。
意外とまだ動けるのだなと思った所に、視界の左端、ジョアンから見て大鳥居側、アキヨリが叫び続けていた方向、そこに赤く渦巻いていた火炎の一筋一筋が、我先にと真っ直ぐ天へと垂直に競い合って昇って行った。
火炎が去った場所にジョアンはまた叫んだ。
「あんたのせいだ!吹き飛ばされなければハルナを助けられた!」
そこに立っていたアキヨリに そう叫んだつもりが、さっきの声にならない叫びと大差なかった。
ハルナの居場所、こんな大切な事を見落としたのか。
それとも分身を倒す為にハルナを犠牲にしたのか。
そんな糾弾が込められていたが、アキヨリの反応はジョアンの怒りを逆撫でするものだった。
その様子を頭から描写するならば、兜は失せ束ねた髪はざんばらにはためいている。
斜め上を向いた顔は面倒そうに濁った目つきでジョアンを見た。
肩には焼け爛れた錣が引っかかり、両腕は力無くぶら下がり、右手は分身の首根っこを掴み、左手は翼をたたみ蹲ったったリヨウの頭を撫でている。
甲冑の殆どは兜同様 溶けてしまったのか見受けられず、草摺だけが腰にぶら下がっていた。
首根っこを掴んでいた右手が分身を放り投げると、一仕事終えたと言わんばかりに、また斜め上を向いて仰向けに倒れると寝そべるの中間の勢いで、仰向けに倒れ寝そべった。
「おわぁああ!うあぁああああ!!」
何とか かんとか勝利した事実などジョアンにとってはどうでも良かった。
今すぐハルナの元へと駆け付けられない事実と、アキヨリに向かって発砲する弾丸が短銃に込められていない事実、この二つが最重要だった。
である為、勢い余って六角堂の扉を蹴り開いた棹立ちの姿勢のまま、アクヤが後ろ足だけで立っている事実には気付きはしなかった。
「これは これは げにも立派な蹄だろうか。
我にもお前の様な馬があったならと今更ながらな、うむ、うむ、そうか、そうか。」
これには気付いた。少々高い声色だが穏やかな男性の声である。
この場にあるべき男性は自分とアキヨリだけである。少々早口なアキヨリには該当せず、元よりジョアンは口を開いた自覚は無い。
「お?さてもさても、こちらも げに体格の立派な女性であるか。
シズカかと早合点した、許せ、許せ。
何分まだ目が良く見えぬのだ。
シズカ、何処におるか?シズカ!」
高い声色がシズカと一つ呼ぶと、アクヤの前足を持った手が扉から現れ、もう一つ呼ぶと赤い大鎧の横顔が現れた。
「おああああああああ!!」
ジョアンの記憶に該当するそれは、ヨシツネの分身に他ならなかった。
ヨシツネの分身が六角堂内部から現れる。その事実にジョアンは絶望を叫んだ。
「アキヨリの声ではないな、誰ぞ?」
こちらを向いた横顔だった正面の面構えは、見当違いな方向を向いている視線の他は、力の抜けた眉間にしろ、薄桃色の顔色にしろ、見る者に安らぎと安心を与えるものだった。
ジョアンが 早合点から立ち直り、その事実から導き出される結果に辿り着く前だった。
「ジョアンです!ヨシツネ様!あれはジョアンの声です!
怪我をしているかも知れません!
いえ!してます!私に悟られないように、必死に隠しておりますが怪我をしています!」
赤い大鎧が静かに右手に持ったアクヤの前足を下ろすと、左腕に抱えられたハルナがジョアンを指差した。
「ヨシツネ様は まだ目が良く見えぬと仰せだろうに!
おああああああああああああああああ!!」
顔を覆い、潰れる様にうつ伏せになり、ジョアンは安堵の嗚咽を漏らした。
ハルナの真心は歴代の御山の守人達に通じたのだ。ヨシツネは目覚めたのだ。
もう自分の命は役目を果たした、報われたと感じた。胸の奥で張り詰めていた糸が切れる感覚があった。
ジョアンの意識は混濁し始めた。
百の痛みが消えて行く、五十、二十と瞬く間に減って行き、いよいよ一が零になる刹那、また百になった。
「ぐぁ!!」
今度の痛みは熱さを伴った。動脈を切った脇の下にである。
悶え のたうち仰向けになると、暖かな雫が落ちる感覚を、いつの間にか はだけた革の羽織から覗く胸に感じた。
痛みが消えた。
「血を止める為に傷口を焼いた、許せ、こうするより他に手当ての手段を持たぬのだ。
もう動くで無いぞ、傷口より我の血が染み入ったなら、我と同様にいつか鳥の化け物に変化する不死の体になってしまうかも知れぬからな。」
見上げれば、六角堂の入り口で見当違いな方向を向いていた視線が目の前でジョアンの目を見つめている。
顔に焦点を合わせた為、ぼやけた軽く握った拳も見える。
全く時を要さずにである。
見る者を強制的に安心させる面持ちに従わざる得ない。
駆け寄る足音が聞こえる、真っ当な手順を踏んでいるのはこちらである。
「ジョアン!ジョアン!ジョアアアアアン!!」
両腕を広げたハルナが見えた。安堵は嗚咽でなく、勝手に流れる涙になった。
しかし両腕と涙は触れ合う事は無く、差し出されたヨシツネの手に、広げた両腕はビタリと静止された。
「娘、気持ちは分かるが不用意に触れて良いものでは無い。」
ヨシツネは兜の吹き返しに絡み付いた、小動物の骨らしき物を首を振って振り払った。
「あれは昔 我が眠りにつく間際、背中の傷から滴る我が血を浴びたネズミだ。
病だったか寿命だったか、死ぬ間際かと思われたが、急に生気を取り戻し、更に我が血を欲しがり登って来た。
ネズミにしてみれば間の悪い事に、吹き返しのほつれに足を絡ませ動けずにいたが、やがて死んだようだ。
火の鳥へと変化する我を取り抑えようとし深傷を負った家臣も同様だった様だ。
兎にも角にも我は火の鳥の生き血を飲み この有様となった。
飲む、傷口から入る、などせずに浴びただけなら病や怪我を治す効果だけがある。
しかし検証が足りぬ、その範疇に収まらぬ場合もあるやも知れぬ。
我に委ねよ、ジョ、ジョ…我が生きた時代には無い名故、容易に言葉に出来ぬが必ずこの若者は助かる。」
軽く握った拳から血が滴っている。
ヨシツネの言葉を頼りに事態を把握するなら、どうやら自分はヨシツネにより命を救われようとしているようだ。
ジョアンの胸には希望と絶望が同時に押し寄せた。
命が助かりはしたが、この先の数十年ハルナのいない未来が待っているのだ。
諦めの様な境地に至ると、急にアキヨリに対する申し訳無さが込み上げて来て、怪我をしているかも知れ無いのは同様なのに、全く相手にされない身の上が不憫でならなかった。
「嘘!!」
突然である、ヨシツネとの間にハルナが割って入り、血の滴る拳を両腕で掴みジョアンから遠ざけた。
嘘との言葉もハルナの行動も、全く把握出来無い事態だった。
「娘、我は嘘などついてはおらぬ。
我に害意など無い、信じて欲しい。」
ヨシツネは落ち着いていた、その気になれば力づくでハルナを跳ね除けられる余裕からである。
しかし その余裕も僅かな間だった。
「違います!ヨシツネ様に害意なんて無い!
私が嘘だと申し上げるのは必ず助かるとの言葉です!
ヨシツネ様のお心は!血を流し過ぎた、良くて五分五分と仰っております!!ヨシツネ様を取り押さえる為に、同じ怪我を負ったサトウ様と仰る御家臣の顔も見えます!!」
ヨシツネは再び黒い縄に拘束されたと思われ程に硬直した、ここまで事細かに胸の内を言い当てられたなら、どんな猛者だろうと言葉を失う。
その空白の時間に、ジョアンは安堵の笑みを浮かべてハルナの手を握った。
「私にも出来るだろうか…」
ハルナは聞いた、口を閉じたままのジョアンの心はそう言っていた。
それしか言ってくれなかった。
ジョアンが握った手の感触には違和感があり、それが言葉の意味を解き明かす鍵かと、沢山の連なった小さな玉の感触に名を当てはめるなら。
「数珠?」
ジョアンの笑みにそう問いかけた否かの刹那。
「無体な真似をするな!!」
繫ぎ合った手がヨシツネより弾かれた。
「娘の心に 其方が在り続ける事!消え去る事!何方が辛いと思うか!!」
白い玉が散り散りに飛んで行く。
ジョアンはアキヨリに吹き飛ばされる刹那、分身の手からむしり取ったのだろう。
呆然と焦点の合わない目で見ていたハルナの目が一つの事実を見た。
この戦いに挑むにあたり、多々良の守人、御山の守人、両者の因縁に纏わる事柄は、アキ国の書記官の家系に生まれ熟知するジョアンに執念く聞いた。
白い玉の意味も知っていた。
死を覚悟したジョアンは、共に過ごした時間もろ共、ハルナの元から去ろうとしている事実も知ってしまった。
「うわぁああああああああああ!!」
獣の様に叫んだハルナが両手で血の滴るヨシツネの手を掴んだ。
心を暴かれた反動でジョアンは只見ている他は無い。
ヨシツネは再びジョアンに血を与えようとするのだと思ったが違った。
ヨシツネが自ら短刀で切った二の腕の傷口に叫びながら噛み付いたのだ。
「娘!!何をするか!!」
狂気では無い、決意である。戦闘能力や男女の差など関係無い。
ハルナの強い決意はヨシツネを再び縛り付けた。
「深傷を負ったサトウ様は傷口にヨシツネ様の血を受けたのです!
不死の体になってしまったのです!
火の鳥になる事はありませんでしたが、世に厄災を及ぼす存在になってしまったのではないかと、サトウ様は御自害なさいました!
済まぬ、済まぬ、許せ、許せ、サトウ様の顔を思い浮かべたヨシツネ様の心にはそれだけが御座いました!」
ヨシツネを睨み、血の滴る口でハルナは叫んだ。
その視線が自分に向けられたジョアンは、睨んでいる訳では無い強い決意だと理解し、その決意を受け入れる決意を固めた。
ジョアンの待ち受けるハルナの決意は叫ばれた。
「ジョアン!迎えに来て!!時が過ぎて私に纏わり付くしがらみが死に絶えたら!私を迎えに来てぇ!!」
涙で鼻が詰まっていたジョアンは、呼吸の手段を失った。
柔らかく唇が解放されると、ハルナの決意にジョアンは血の滴る口で応えた。
「必ず迎えに行く!!」
「ずっと待ってるから…」
二つの決意は一つの約束になった。




