強要される相互理解
黒い革の羽織が濡れ艶めく。
艶めきはジョアンの鼓動に合わせ その度合いを上乗せして行く。
直ちに止血が必要である。
しかし そんな事は御構い無しに、バキバキと音を立て、ソヤカの憑依した犬と分身の結合体へと、三歩進めば白い尻尾を掴める距離を、出来の悪いからくり人形の様にぎこちなく歩み進む。
足元にはバキバキとした音に合わせ落ちた砕かれた氷がきらめく。
ソヤカはその様子に隠しきれぬ驚愕を、鼻から上が吹っ飛んだ顔を使い表した。
「驚いたよ、直に私の手を使って掛けた訳じゃないが、何もかもを止める術を破るなんてね。
どんな道理だい?守人以上の神通力でもあるって言うのかい?」
返答は無く、名工が研いだ刃物の様な鋭い目つきだけがあった。
「怖い、怖い、何をそんなに怒っているんだい、え?」
豪胆揃いのアキヨリの家臣にも、今のジョアンを目の前にしてたじろがぬ者など無いだろう。
豪胆の総本山である主君アキヨリであったとしても、微笑を絶やさぬ普段の穏やかさの落差により、一歩引いた対応を迫られるだろう。
しかし明らかにソヤカはジョアンを侮っている。
それに怒りを上乗せしたのかジョアンの耳にソヤカの言葉は、固く煮詰めた水飴の様に中々入っては来ない。
代わりに今まで意識して無視していた言葉たちが、何の道理か耳に染み込んで来た。
「ヨシツネ様ぁ!私の分のヨシツネ様がぁ!行くなと言ったのに!ちくしょう!怨んでやる!ジョアン!うわぁああああ!!」
池のほとりにいたシズカの分身達が、萎えた足で駆けては転び、転んでは這って来る。
「退け!退け!退けぇい!退けと言っておるだろう!!」
猛禽類の甲高い声と羽ばたく音、ぶつかり合う金属音、拳やら蹴りの打撃音に混じり聞こえて来るのはアキヨリの声。
「嘘つき!!まだ敵がいるんじゃない!返事をしてジョアン!返事をしてよ!!何であなたの心が見えないのよ!!」
ハルナの絶叫も扉を叩く打撃音の拍子付きだが、両者は全く合わせるつもりも無く、只々叫び叩き鳴らされる。
「こんな事が許されるのか…」
しかしハルナが叩く扉の拍子に合わせ、高鳴り行くものがあった。
「いや、許される訳など無い!」
それはジョアンの こめかみに浮き出る血管の脈動と、脇の下からの出血である。
その絶頂は怒髪となって天を衝いた。
「これ程までに人の心が踏みにじられて良いものか!!
ソヤカ!何故にあんたは この一国を凍り付かせる力を持ちながら、この惨状を見過ごすばかりか加担するような真似をするのだ!!」
ジョアンの手が分身が纏う血塗れの大鎧の胸板を掴む。
それに赤い大鎧は抗う様子も無ければ、動く度に こぼれ落ちた氷も砕ける音も既に無い。
つまりソヤカは気圧されているのだ。
「こちらの事情も知らないくせに、やかましいよ小僧!
シズカ姉さんの分身の嘆きは、お前のやった事だろうよ!
大口叩いたはいいけど立ってるのもやっとなんじゃないかい?!え?」
頭を吹っ飛ばされた分身に負けず劣らずの動脈からの出血である。
しかし立っているのがやっとでは無い、掴んだ胸板を捻るように突き上げる。
「うるせえ!私はあんたが本意でやっているのでは無いと思っていた!
だが何故 笑ったのだ!!
扉を開けハルナとシズカ様に何をするつもりだったのだ!
シズカ様の決意も見ていた筈だ!
それを黙ってる見ているだけの筈だった私の気持ちとて容易に分かる筈だ!
だったら何故に笑ったのだ!!
許せない!人に無情な運命を課すのがお得意の天が許したとしても、このマカベ ジョアンが決して許さぬ!!」
ソヤカが笑った、ジョアンの怒りはその一点を起因としていた。
可笑しくて笑った訳では無い。
不遜な物言いも、高慢な態度も同様である。
自分をごまかす為の行為である。
それが分からぬジョアンでは無い。
「私は自分をごまかし続ける あんたが許せない!!」
ジョアンは煮えたぎる心の隅で、人の心が見えるのは特別な事では無いと、その概念を言葉にする余裕は無かったが何となしに思ってもいた。
それはソヤカに相互理解を強要する。
「うるさい!うるさい!うるさい!!私は遺されたんだよ!
ナガヨリ様に先立たれたんだよ!
怖いんだよ!リッカが子供達がアキヨリが同じ想いをするのが怖いんだよ!!
言ったって分かりゃしないだろう!
氷の眠りから覚めて、年老いたナガヨリ様が自分はナガヨリじゃない、頼まれてやっただなんて苦し紛れの嘘をついて去って行こうとする背後がどんなに切なかったか!
力を使い果たして横たわる、小さくなった背中がどんなに惨めだったか!
口惜しいよ!何でお前みたいな小僧にこんな事を白状しなくちゃならないんだい!
分かりゃしないくせに言うじゃないよ!!」
ソヤカは心情を吐露する他無かった、ジョアンはすぐには言い返さず一拍の沈黙があった。
沈黙の中アキヨリが飽きもせず退け退けと言っている。
そっちも やかましかったが、また無視する事にした。
「もう終わりにしましょう。今からでも決して遅くはありません。」
自分でも信じられない位に煮え滾っていた心が穏やかになった。
胸板を捻り上げる手に込められた力が消えた。
ソヤカの本心が聞けたからか、出血が限界に達したのか、その両方か。
どちらにせよアキヨリにとっては好機だった。
「退けと言うに聞かぬ お前が悪いのだ、許せジョアン!」
声のする方がやけに赤く熱くなった。
それと同時。
「今更 引き返す訳には行かないんだよ!!」
感情の昂りにより手加減が出来なくなった分身の火炎が、ジョアンのどこを狙うでも無く放たれた。
しかしそれがジョアンに及ぶ事は無かった。
ジョアンの体はアキヨリの方から迫る爆風に吹っ飛ばされ、代わりに分身の火炎を受け止めたのは巨大な蹄だった。
「お前はアキヨリの馬!!」
そう言い終える前に、アクヤの突進の威力を前足の二つの蹄により胸と腹に捻じ込まれ、分身は岩を落とされたナマコの様に潰れ、飛び出る内臓の様にソヤカは白い羽となって分身の体から追い出された。
アクヤは並みの馬の二倍はあろうかという巨馬であり、その走力は二倍どころでは無い。
分身を潰したところで勢いは僅かも衰えず、その勢いを受け止めたのは錠前の掛かった六角堂の扉だった。
錠前の掛かった手摺りが、辺りに突き刺さるような甲高い音と共に折れ、破片はどこまで飛ぶのか見送る前に飛び去り、観音扉は道場破りでも来たかの様に勢い良く内側に打ち開かれた。
「ハルナァアアアア!!」
吹っ飛ばされ硬い池の水面に着水するというより着地し、その衝撃を受けながら、想定される扉が打ち開かれる結果にジョアンは叫んだ。
扉の内側には張り付く様にジョアンの名を呼び続けていてハルナがいた筈だった。
悲鳴だろうか、骨が砕ける音だろうか、やがて耳に届くそれにジョアンは感覚がぼやけ始めた体を強張らせ備えた。




