ハルマン/大正:恐竜の住む島その5
そして、いよいよ船は出る。
波は穏やかで、日は没し静かな月夜だった。
「良い月ですね。船旅というのも悪くない」
「はい……美しいですね」
大悟と四葉の二人はデッキに出て夜風に当たっていた。
「その……大悟様、聞いてくれますでしょうか?」
「ええ、今宵の風に紛れて何か聞こえてしまう事もあるでしょう、照り映える月は何か不思議を起こす物ですからね」
相変わらず月も霞むほどくさい事を言う大悟だった。
四葉は甘い言葉に思わず赤くなってしまう。
「また……そういうことを、あう。ええいこの際だからはっきり言います。
私、東城四葉はあなたのことが好きです」
はっきりと大悟を見て言う四葉。
「そう、ですか。その、うれしく思います」
「私は、あなたを誰にも渡したくない……美紀さんにも、あなたのお師匠様にも!」
一瞬、四葉が羅刹の顔を見せる。
「いや、あの人たちはそういうのじゃない」
「でも、あの人たちはきっとそうは思っていません。女ですもの、わかります」
だが、この大悟という男は鬼の相手は得意中の得意だった。
「今は、信じてくれといっても仕方がないでしょうね……」
「はい、こんな女でも、大悟さんは娶ってくれますか?こんな……醜い心の女でも」
「僕の知っている四葉さんはそういうところも含めて『高石大悟の許婚』ですから……そのままでいいですよ?」
「はい……」
そして、二人の姿が重なった。あとは月だけが見ていた。
□
だが、その直前までは二人の魔術師はその魔術的感性で何が起こったか感じ取っていた。
「やれやれ、お熱いねえ。そして僕らは裏働きをすることになるわけだ」
「ですが、少なくとも私は望んでこういった役回りをやっておりますよ。
さよう、魔術師の出番とはこんなものです」
「違いない。さて、やるとするかね……」
そして望月とハルマンはそれぞれ別の椅子に腰掛けて目を瞑る。
「いやはや夢に入るのは初めてですよ。魔術師の基礎ではありますが……なかなか機会がありませんでのね」
そして、探偵と魔術師は夢の世界に旅立った。
意識をアストラル界に接続し、テウルヒアの魂を探す。
そしてその意識へと接触した。
夢の中は燃える世界、全体が炎の赤で包まれた日本の屋敷だった。
泣き叫ぶ少女の声が聞こえる。
「ここは……」
「トラウマ、と言うものかね」
ハルマンが悪鬼のような顔で笑い、望月は肩をすくめて泣き声の方へ向かう。
「ぐっ……ひっく、おにいさまぁ! おにいさまぁ……どこにいるの!」
泣き声が近づいていくが、二人の男は冷静だ。
「おそらく彼女の過去でしょうねぇ」
「だろうね」
「どこだ! ……どこにいるんだ!」
少年が横を走っている。色白でひ弱そうな少年だが、その形相には覚悟が宿っていた。
それを横目に靴の音を鳴らしながらテウルヒアを探す探偵と魔術師。
「おにいさま……おにいさまぁ!」
と、再び声が聞こえる。
「ふむ、とにかく彼女の自我に接触しないことには始まりませんからね。なにかわかりますかな」
「……ふむ、ここで少年が死に、彼女は少年の再生を目論む、というのもありえるね」
「可能性の一つではありますがね」
「お兄様……私はここです! おにいさまぁ!」
泣き叫ぶ少女がそこに居る。どうも、それがテウルヒアの様だ。
望月の目に焼きただれた表札が目に止まる。
「……渡辺、か」
「ふむ…なるほど」
二人の魔術師にはそれは「そっち方面」で聞き覚えの有る名前だった。
「さて、またお会いいたしましたねミス・テウルヒア。お休みの所を失礼いたします」
魔術師が慇懃に話しかける。
「お、お兄様……は……」
だがテウルヒアの意識は少女のものだ。
「大丈夫だ、お兄さんは助けに来てくれる」
手を差し伸べる望月に対しその手を跳ね除ける少女。
「……違う、あなたはお兄様じゃない……!」
(懐柔しようとしたが…トラウマを植えつけたかな?)
(ここはもう素直に話したほうがよいのでは?)
「離して……! 離して……! 貴方も私を連れて行くの! あなたも私とお兄様を引き裂くの!?」
ヒステリックに少女がわめいた。
「落ち着くんだ。僕は君の敵じゃない」
望月がどうにも困った、という顔をして少女に近づく。
「……こ、来ないでよ! 来ないでよ……!」
ハルマンはいらつきの限界が来たようで実力行使に打って出た。
「ははは……では、こうしましょう。
領域変換。アクセス。ゲブラーからティファレトへ。
天使ラファエルと聖なる名アロア・ヴァ・ダァトにおいて。かくあれかし」
一瞬で夢の世界が塗り替えられる。炎が消し飛び、辺りは暗闇に包まれた。
「しゃっきりとなさい!ミス・テウルヒア!召還師ともあろうものが情けない……まあ、プライベートに踏み込んだ無礼は重々承知ですがね」
夢の世界に夢をも覚めよと大音声が響く。
「違う、私はゲーティアなんかじゃない……! 私の名前は……渡辺……!」
少女は頭を押さえてうずくまる。
「僕は君を大人だと思ってた、大人だと思って…渡辺…その兄の名前は、斬かな?」
望月が優しく声をかける。
「斬ちゃんなら僕の友達だ…信じてくれるかな?乱暴にしてごめんよ」
そうして、見上げた顔はもう少女ではなく、召還師テウルヒアのものだった。
「……こんなところまで来て。私の全てを見て……満足か、探偵、ハルマン」
キッと二人の男を睨むテウルヒア。
「満足か…さてね」
「ふむ、人のいない所で話をする必要がありましたのでね。私の方にお招きしてもよかったのですが」
「僕は君の真意が知りたいだけだよ、それだけさ」
テウルヒアがため息をついた。この男のような口調が彼女本来の口調なのだろう。
「……はぁ、仕方あるまい。次はもっと落ち着いたところで話そう……ここは……いつ来ても、嫌だ」
「…ああ、僕もこんな悪夢はやだね」
炎は消えたが、燃えカスとなった夜の廃墟である。
「では、我々の領域で話をしましょうか」
「僕がやるよ。アクセス、ティファレトからケセドへ。ツァドキエルの名において。かくあれかし」
そして、再び夢が塗り替えられ、果てしなく続く畳の部屋にぽつんと座卓が置かれている夢の世界に切り替わった。
「まぁ、粗末な夢だけど、ゆっくりしていってね」
「……ふぅ」
「ふむ…なるほどここがあなたの領域ですか。なかなか完成されておりますね」
「あ、テウルヒア……いや渡辺さんか、さっきはごめんね、僕も色々と追及したかったからさ」
そして悪びれていない顔で笑う。
「魔術師の悪い性さ」
「良い。魔術師ならばな」
「いやあ申し訳ありませんねぇ」
まるで悪いと思っていない男がもう一人いた。ハルマンである。
「さてと…じゃあ聞きたいけど、今回の旅の目的は結局何なんだい?」
望月が座卓を前に座布団に座ってたずねる。
「この島にて『恐竜』という名の兵器を生産している男……天道 鎌刀の調査もしくはそれの野望を打ち砕くこと」
テウルヒアが静かな決意をにじませた目で答える。
「ふむふむ…天道家ね、僕も昔会ったけどあの一族は混沌としてる。鎌刀さんには会ってないけどね」
「ああ、あの男は破門されたからな。死霊術という禁呪に手を出したことによって。
我ら渡辺一族は帝都守護の一門の一つ。そのためだけに存在する」
テウルヒアはここで本名を明かす。渡辺美紅。帝都守護のための陰陽師一門である。
「そうかね。僕には使命とかはよくわからないや」
「理解してもらおうとも思わない。さて、改めて探偵である西園寺望月に依頼したい。
天道を止めてくれ。報酬は……そうだな、私の夢を見た代償というのはどうだ?」
意地の悪い顔でテウルヒアが笑う。目が笑っていない。
「やれやれ、まあ乙女の寝所に忍び込んだからには相応の罰は受けるさ。
でもこれっきりだよ?」
望月もそれは織り込み済みというようにうなずいた。
「構わない。さて天道鎌足だが……奴はまだ軍人だ。
陸軍秘密諜報部の幹部の一人で、今なお秘密任務に付いているということが私の調べで判明している」
望月はどうでもよさそうにつぶやく。
「…へぇ…軍は死霊の兵隊でも作って外国でも攻め入るつもりなのかな?中華とかさ」
「秘密任務の内容は……その死霊術を使い戦力を増強すること、としか分からないがな」
「ま、軍用死霊術なんて昔からいっぱいあったことだけどね…それを阻止すればいいのかな?」
「そういうところだな。さて、眠りすぎは良くないな」
テウルヒアは立ち上がって目を覚まそうとする。
「ああ、そろそろ夢から醒めようか…あ、そうそう、一言言っていいかな?」
「どうした」
「斬ちゃんもそうだけど、死なないでほしいな」
それは切実な響きが合った。なにしろ、命の安い業界である。
「……悪夢から覚ましてくれて、ありがとうな」
それには答えず静かに笑って礼を言うテウルヒア。
「なに、どういたしまして」
そして、朝日が昇る。