HAL/平成:妖怪の賢者、魔術師の黒幕
みやびやかな空気のする日本家屋のその一室。
重厚なテーブルのおかれた和風洋間とでもいえる部屋だった。
そこにスーツ姿も折り目ただしい白髪の老人と金髪のドレスを着た美女が座っていた。
「こんにちは、お会いできて光栄ですよ。ワインなどいかがですか?」
老人の名はHAL。人を辞めた魔術師にして日本の魔術界黒幕の一人。
彼は上等なワインを土産に差し出した。
「こちらこそあなたとはぜひ一度会うべきだと思っていたところですわ。
お酒は結構、お気遣いなく」
美女の名は鬼院楼蘭。遠野の里をたばねる妖怪の賢者だ。
貴族めいた優雅なしぐさでワインを拒絶する。
「ご心配なく、神便鬼毒酒でも、聖別したものでもありませんよ。
毒もありません。この通り、普通のワインです。一口飲んでも構いませんか?」
厳密な表現で毒は無いと主張するHAL。
毒見さながらに自分でワインをグラスに注いで飲んでみせる。
なお、この時コルクは素手で回され、グラスは手品師がするように手の中からあざやかに出現した。
「どうぞご自由に」
「おっと、ついつい酔いが回って思わぬことを口にしてしまうかもしれません。
酒の上の事ですので、その際はどうぞご容赦を」
これは遠まわしな政治的マナーというやつで、つまりは腹を割って話そうというほどの意味だ。
そのためにわざわざ自分で酒を飲んで見せた。
「わかっておりますわ。つまりは全ては酒の席の上での話……
他の場所で洩らすような無粋はいたしません。
そういうことでしたら、私もやらせていただきますわ」
鬼院もそれに応じてどこからともなく手の中にすでに酒の入ったグラスを出現させて一口飲む。
恐ろしく用心深いいびつな乾杯が二人の距離と間柄を示していた。
「どうぞどうぞ。では……繁栄に乾杯」
「ええ、我々の、ね」
ちん、とグラスが触れ合う。
ここに魔術師の黒幕と妖怪の賢者の会談が実現したのだ。
「私も、酒の上でつい口が滑ってしまうかもしれませんわ。
盗み聞きをされたら恥をかいてしまいますわ。
もっとも、私の部下はそのような事はしませんし、外で喋るような者でもありません。
そのような輩も通しませんけど。
あなたもそうですわよね?」
「ええ、この場のことはこの場のみです。「気楽に」話しましょう」
「ええ、腹を割ってね」
この場合の気楽とはすなわちこれは公式の場ではないし、記録にも残さないということだ。
彼らは会談のレギュレイションを一手一手たしかめつつ構築する。
能書きが終わったところで魔術師が切り出した。
「私はあなた方妖怪や神に一定の敬意を払っています、ですが、日本国に対する主権の侵害は認められません」
妖怪がチェスの早打ちのようにすばやく切り返す。
「あなた方が不要としたものを有効活用しているだけですわ」
彼女の管理する妖怪の里には人食い妖怪が多くいる。
そして彼らを養うための「資源」は外から調達されていた。
すなわち日本国からさらっても誰もさわがないような、あるいはいなくなってもむしろ納得されるような人間を狙ってさらっては食っていたのだ。
とどのつまりは自殺志願者やどうしようもないクズばかりを食っていたわけだ。
そうして、そういう終わってしまった人間は大概が羽白太白の納めるLUXグループから来ているのだ。
「まあ、我々の社会が彼らを活用しきれなかったのは認めますよ。
ほとんどは我々AXYZと敵対するLUXのせいなんですがね。
ですが、それとこれは別です。今後ともあなた方とはいい関係でいたい。
どうでしょう、代用食をこちらで開発しておりますので、ご一考願いたいのですが」
HALがカバンからパンフレットを一枚取り出して差し出す。
鬼院はそれを流し読みしてコメントした。
「祝福済みのザクロと再生医療による培養人肉……
つまり、人をさらうなと?
そうですわね、無駄なリスクを犯す事はなくなるでしょう。
ですがお断りいたしますわ。
あなたたちの価値観で言えば一生をファーストフードで過ごせというようなものよ。
そんなことを民に強いるなどとてもできませんもの」
鬼院はHALの提案を却下する。
ゆったりとしたドレスが風にそよいだ。
「あなた方の価値観は否定しませんし、文化も否定しません、ですが、日本国民を殺害する集団を看過することはできません」
HALは淡々と国士としての主張を曲げない。
「ならばこのようなものはどうでしょう?
人里の人間の一部を改良するのです。
これが大まかな骨子ですが、戦闘力に優れ、短期間で成長し、子を多く成す。
そのかわり寿命も短く、頭も愚かだ。
ハンティングにはもってこいでしょう?」
暗にHALは妖怪の里の中にいる人間は日本国民と勘定していないと告げる。
それは実は理にかなったものであった。
妖怪の里とは、明治時代に近代化によって野山を追われた妖怪たちと時代から取り残された退魔師たちによって設立された物である。
退魔師たちは元々明治政府から疎んじられていたところを「妖怪の監視」および「その身を賭して妖怪を封印する」と主張した。
妖怪たちは「自治区を要求する」と主張した結果、日本国内に妖怪と退魔師が仲良くにらみ合いをする場が生まれたのである。
彼らにとっては近代化と明治政府こそ敵であり、長年殺し殺される間柄であった相手のほうがむしろ信頼に値したのだ。
この時双方の主張をまとめあげ、明治政府から自治を脅し取ったのがこの鬼院楼蘭であった。
すなわち、HALにとってはどちらも「日本国を捨てて独立した自治区の民」であり、彼らが殺しあってもいっかな彼の胸も懐も痛まないのである。
「ええ、一考には価しますわね」
答える鬼院の顔は厳しい。妖怪の里の奴らだけで殺しあえという提案に対し鬼院は不快をあらわにしていた。
HALからすればこれは遺伝子情報が人間由来なだけであって、もはや人間というより人間の遺伝子を移植したマウスに近いという感覚なのであったが。
「どうやらご不興のようですな。私としてはいくつかの事を守っていただければそれでいいんですよ。
外部の人間をさらわない事、逃げ出す人間を追わない事、外部に対し何らかの利益を与えること。この3つです」
指を一本一本立てておだやかに表現する。
HALは鬼院の顔を見て不利を悟るやすぐさま「率直な話」を切り出した。
「それを私達が守る理由は?攻め滅ぼされないだけマシだと思えと?」
立て続けに要求を押し付けられた鬼院は渋い顔だ。
「ですが、貴女方は物資の補給の一部を外部に頼ってますね?
私どもならば、より格安で安定的に提供できますし、
融通はかなり聞くと思いますよ」
これは実質的な談合とカルテル。
短期的にはたしかに物が安く安全に手に入るかもしれない。
長期的には供給を独占するHALの意のままに経済を支配される。
つまり、拒否すれば経済侵略をするとHALは暗に述べている。
そこから彼女はHALの意に沿う最低限のラインを考える。
ここでHALがその条件を出してくるという事は、実際に経済侵略が可能であるからだ。
「無体な……ではこうしましょう。
貴女方は結局外の人間に手出しされたくないのでしょう?
相互不可侵を結びましょう。私たちは外の人間に手を出さない、
あなたたちは私たちの内部に口を出さない。
あちらから勝手に入ってきたものは私たちに任せるように。
その代わり経済封鎖はいい加減に解いてくださいません?
いちいち海外に行って買い物をするのはもう面倒ですのよ
それと過去にさらった者の責任はとりかねますわ」
大分厳しい要求をのむこととなったが、元より国相手の不利な交渉にはなれている。
なにより致命的な部分は逃れられたし、彼女にはまだここから切り返す策が思いつきつつあった。
「ふむ、なるほど……結構。商談成立ですな。後ほど担当者を送ります」
HALがわずかにため息をつく。
かなり条件を譲った。
しかし彼にとってはぶっちゃけた話日本人を拉致するのをやめてもらえればそれでいいのだ。
鬼院はHALをキッとにらんでまくしたてる。
「唯一つだけ言っておきますわ。あなたは人間と妖怪の和解を考えているようですわね。
ええ、ええ、結構なお考えですとも。ですけどね、人と和解したものが全て人類といわれるならば、私たちは獣で構いませんわ。私たちは人に恐れ畏れられる敵対者。
その生き様のせいで死ぬならばそれこそ本望というもの」
それは無礼な人間に対する妖怪の誇りと怒りであった。
「それを領民にも強いますか?」
HALはにたにたと暗に戦争をしてついてくる民はいるのか?と皮肉る。
「さて、そこまで脆弱な統治をしているとは思ってませんもの。
あまりわが民を舐めないでくださいます?」
「これは失礼しました。まあ、私としてはあなたは同じ穴の狢と思っているんですがね」
「そうでしょうね、そうでしょうとも」
そう、そのとおり。
国民が妖怪か人間かという違いだけで、国の主権をまもることに拘泥する国士という点ではふたりはかがみ合わせのようにそっくりだった。




