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突然の口づけ(2)

 次の日、磯辺は午後3時少し前に社会科準備室にやって来た。早いもので今日からもう8月だ。夏休みも残すところ後30日となってしまった。


 そんなことを考えながら、目の前に磯辺がいることから目をそらそうとしていた。後ろめたいことは何もやっていないはずなのに、どうしてこんなにやましい気持ちにならないといけないのか?


「福井先生、耳を貸して下さい」


 開口一番、磯辺はそう言った。私は言われるがまま、耳を彼女の口に近づけることをためらった。この前のことが頭によぎったからである。このまま彼女のペースに乗せられてはいけないと思い、それに対して首をふって制した。


「磯辺、ここは旧校舎の3階で普段は誰も来ない教室だ。それでも誰かに聞かれては困ると言うなら、隣の社会科倉庫・小会議室へ移ろうか? あの部屋は元音楽室だから防音設備もばっちりだ」


 うかつに磯辺に体を近づけると、また何かろくでもないことが起こると思ったのだ。彼女は前のめりなりながら、私がそれに応じないので、再び姿勢を正した。


「いえ、ここで大丈夫です」


「そうか。別に先生は耳が遠いわけではないので、普通に話してごらん。別に耳を近づけなくても、こうすれば大丈夫。暑くなるけどね…」


 立ち上がって、窓とドアを閉めた。急に空気がこもって、もわっとし出した。この蒸し暑さに耐えられず彼女がここから逃げ出してくれたらいいのに…と思いながら。


「先生…」


「何だ、もう大丈夫だよ。話してごらん」


「先生、私、先生のことが好きです。どうしたらいいですか?」


 あまりにも予想外の相談に、思わず大声を出しそうになるのを何とかこらえた。そして、ようやくこの前のキスの意味がわかった。なんとなくそんな気はしたが、それを本人から直接言葉にして聞くとまた一段と重くのしかかる。問題は解決するどころか、ますます混迷の度合いを深めていく。


「磯辺の気持ちは分かった。しかし、今は恋愛よりも勉強が大切だと思うよ」


「違います。そんなことを聞いているのではありません。先生が私を好きか、それともそうでないか、どちらなのかを聞いているのです」


 なんて真っすぐな質問なんだと思った。そんなの違うに決まってるじゃないか。中にはこう言うことを喜ぶ、とんでもない教員もいるが、ほとんどの教員にとっては迷惑この上ない話である。


 『そんな馬鹿な? そんなわけないだろう』と正直に答えられたら、どんなに楽なんだろう。でも、そうは答えられなかった。


「先生と生徒の恋愛なんて、社会が認めてくれないぞ。新聞やニュースによく出てくるだろう。先生が生徒に淫らなことをしてクビになるとか、そんな話を磯辺もよく聞くだろう?」


「先生、私の質問にきちんと答えて下さい」


 その質問にきちんと答えたら、彼女はきっとショックを受けて泣くことになる。


 それにあまりに唐突で私自身、きちんと整理しきれていないのである。磯辺はなぜ私のような中年にさしかかろうとするオヤジを相手に選ぼうとするのか。一目惚れ?


 いやいや、それはない。では、何がきっかけで、いつからそう想うようになった? 分からないことばかりである。それでも、一つだけ分かっていることがある。この問題はうやむやにしてはいけない。そして、きっぱりと断ることが、現時点では最もよい解決方法と考えられた。


「君の気持ちに答えることはできないよ。だって、先生にはもう既に結婚を約束している人がいるから」


 思わず、嘘をついてしまった。結婚する予定なんかまったくないのに…。でも、こうでも言わなければ、とてもじゃないけど引き下がりそうになかった。そう言ったとたん、予想通り彼女は泣き出した。


 実を言うと、こうやって異性から告白されるのは初めてであった。今まで告白してふられたことなら何度でもあるが、こうやってふることは思った以上に苦痛が伴う作業なんだと初めて知った。どうせ、告白されるなら、好みの素敵な人であって欲しいものであると、つくづく感じた。


 それにここで同情心でも起こして、彼女の言い分を受け入れるようなことをすれば、それこそ私はこの職を失ってしまう。こんな小娘のために職を追われた上、社会的制裁をうけるのはまっぴらである。ここでは彼女がどんなに泣こうがわめこうが、磯辺の気持ちを受け入れないことが正しい選択なのである。


「だから、質問に答えたくなかったんだよ。泣き止んだら、もう家に帰りなさい」


 やがて、磯辺は音も立てずにこっそりといなくなった。まるで初めからそこにいなかったかのように…。本当にいなくなればいいとさえ思えた。そして、これできっぱりと諦めてくれることを切に願った。

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