子どもは無力… (1)
二学期に入ってから磯辺を15年前の自分と重ね合わせてしまうことが多くなった。好きになった相手がいつも自分の思い通りになるとは限らない。むしろ、自分の思い通りにならないことの方がはるかに多い。
だから、人は叶わぬ恋をして、自分で自分を傷つけてしまうのだろう。そして、それを歯がゆく思っても、どうにもできないもどかしさがある。
でも、相手を好きになったのは自分の意志である。誰かに強要されたわけでもない。相手があることとは言え、自分で決めたことである。相手がどうであろうと好きになったのは他ならぬ自分なのだ。だから、その選択の結果がどうなろうともその責任は自分にある。
15年前にKを好きになった結果、Kと川口先生との密会を見てショックを受けた。母の浮気現場を見たことで母から三万円をもらった結果、良心を売り飛ばしてしまった。
あれから15年経った今でも、未だにそれを引きずっている。でも、全ては自らが決めたことだからしかたない。そのことについて、自分を責めることはできても、Kや母を責めることは許されないのである。これは何も恋愛に限ったことではなく、全ての物事に通じる定理であろう。
逆に応える側は受け入れるなら、それに対して全力で応えなくてはいけない。もし、受け入れられないなら、それは一切受け入れてはならない。
受け入れられないからと言って、変な同情の念を持ったり、なぐさめの行為に走ったりすることはかえって相手を傷つけることとなる。また、自らの評価を自ら下げる行為である。このようなことに関しては、その場しのぎの対応が一番始末におえない。
つまり、磯辺と15年前の自分がどんなに重なり合う存在だとしても、けして同情するつもりはないし、また同情などしてはならないと言うことだ。彼女は自分で決めたことに対して、自分でその結果を受け止める責任がある。
たとえ、時間がどんなにかかろうともそれは彼女が自分でしなければいけないことである。また、それに対して私は自分の立場をはっきりとさせた上で、それを守り抜くことが彼女に対する礼儀だと思っている。
そんなことは人生における全てのことに言えることだ。最近はそんなこともよくわかっていない生徒や大人も多く、高校受験で志望校に合格しないことを勝手に先生とか親のせいにする。
また、自分の人生を自分で決めきれずに、自分で自分の人生を決める責任や権利を勝手に放棄する者も多い。そんな奴に限って、人生の困難に直面すると人のせいにするから本当にタチが悪い。
ふと、空を見ると満月がきれいだった。昼間はまだ暑いが、夜になると涼しい秋の風が吹く。空気も澄んでいて、雲もないので星もそれなりによく見えた。時間を見るともう七時半だったので、急いで帰ることにした。
車に乗ろうとしたときだった。ちょうど、田村先生も帰ろうとしていたようで鉢合わせした。
「福井先生、ちょっと、ちょっと」
そう言って田村先生が手招きをするので近くに行った。すると、小声で思いも寄らぬことを言い出したのだ。




