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07.生きるための覚悟とは



 ――オトコノコ。


 私の頭の中で、その言葉が何度も何度も繰り返し流れる。

 その単語を、これ程に理解できないと思ったのは初めてだった。

 “オトコノコ”ってなんだっけ? なんて、本気で考えてしまう。


「あれ? もしかしてお湯熱かった?」


 急に身を硬くした私を不思議に思ったのか、ゆっくりと私の身体にお湯を掛けて泡を洗い流していた手を止めて、鳥の巣頭さんが言った。

 お湯は全然熱くなかった。むしろ、少し冷んやりとしていて、湯船で逆上せそうだった私には心地いいくらいだ。

 でも、私の様子を伺う鳥の巣頭さんに、何も反応を返せない。

 たった一つの単語が頭の大半を占めていて、他に意識を向けられなかった。


「うーん、野生の動物はあまりお湯に触れる機会なんてないから、温度は下げていたつもりだったけど、湯疲れでもしたのかな?」


 鳥の巣頭さんは呟いて、立ち上がると、私の側から離れていった。


 ――男の子、って、女の子とは逆の性別、のことだよね……?


 性別が逆、ってどういうことだっけ?


 上手く回転せずに混乱する頭に、パッと脱衣室で見た“閣下”が浮かんで、私の身体に一瞬でカッと熱が昇る。


 ――……ッ!


 羞恥とか焦燥とか、言葉で表せない気持ちとがごちゃごちゃに浮かんで、あまりの混乱に私は走り出した。

 どうしようどうしようと呪文のように唱えながら、拙い足を必死に動かして脱衣室へ繋がる扉へ向かう。

 どこへ、なんて考えていなかったけれど、どうしていいかわからなくて、ただ衝動のままに走った。


 けれど、私の疾走は戻ってきた鳥の巣頭さんの足によって、あっという間に終わりを告げた。

 丁度立ち止まった鳥の巣頭さんの足の間に、ボスッと挟まって停止する。

 う。く、苦しい。首が挟まってるよ……。

 でも、衝撃でちょっと冷静になれた気がした。

 走って逃げたとしても、事実からは絶対に逃げられない。

 だって、私の身体の問題なんだもの。


「んー? 逃げたら駄目だよ? まだ泡だらけだからね。アハハ」


 鳥の巣頭さんは相変わらず軽い笑い声を立てながら、私を片手でひょいと持ち上げ、元の場所に戻した。

 途中、湯船から上がろうとしたのか、閣下が中腰でこちらを向いているのが目に入ったけど、慌てて目を逸らした。

 危ない危ない。また見てしまうところだった。

 二度も目撃してしまったら、もう本当にお嫁に――って、どちらにしろお嫁にはいけないんだった。


 私が自分の思考に落ち込んでいる間にも、鳥の巣頭さんは持ってきた桶の中から水を掬い、私に掛ける。さっきよりも更に水の温度が下がっていたけれど、それでも私の上昇した体温には気持ちいいくらいだった。

 私は泡が洗い流されていく自分の身体を見る。

 白くて、柔らかい毛で覆われた手は、身体に対してとても大きい。もしかしたら、成獣になるとすごく大きな身体になる動物なのかもしれない。爪はまだ小さく柔らかいけれど、鋭く尖っていて、肉食獣のそれだった。

 時折掛かる水しぶきがくすぐったくて、耳がピクピクと動くのを自分でも感じる。

 私の身体は本当に獣のものなんだと実感した。

 まだ違和感はあるけれど、それは受け入れるしかないと割り切っているつもりだ。

 でも、性別までが逆転してしまったのは、どう受け止めたらいいのかわからない。

 心はファラティアのもので、女の子として20年近く生きてきた記憶で出来ているから、男の子として――雄として生きることなんて、想像もできなかった。

 これは、男の人と関わってきたことがほとんどないから、なのかな。

 私にとって、自分の身体が動物になってしまったことよりも、性別が男の子になってしまったことの方が、ずっと未知で、不安なものだった。


「――これは」


 思考の渦に沈んでいるところに、鳥の巣頭さんの声が降ってきて、私は我に返った。

 鳥の巣頭さんは、ふわふわのタオルで私の毛の水分を軽く拭き取ると、背中をひと撫でして声を少し大きくした。


「閣下。閣下が裏の森から何か拾って来るのも初めてでしたが、その上、この子とは――」


 見てください、と言って、鳥の巣頭さんは私の体の位置を調節すると、上半身を心持ち持ち上げて、背中を閣下に見せるようにして続けた。

 ああ、鳥の巣頭さんが拾ってくれたのだと思っていたけれど、拾ってくれたのは閣下だったんだ、なんてぼんやりとした頭で思った。


「この子、イェオラだったんですね。泥で汚れていたから気づきませんでしたけど、ほら、背中の毛に一筋、灰色の線が。俺には魔力を感じることが出来ないから、熊の子供かと思ってましたけど、魔獣イェオラの子供だったとは」


 イェオラ。

 私もその名前は聞いたことがある。

 確か、大地に属し、風を友にする魔獣で、その姿は熊に似ているけれど、熊よりも少し鼻が短く、耳が大きい。

 ほとんどが毛色は白で、背中に一筋灰色の線が入っているのが特徴だった。

 身体は熊よりもひと回り大きいくらいまで成長するのだった気がする。

 その姿は雄雄しく優雅で、性格は誇り高いけれど寛容でもある。

 少しの魔力を有していて、風を利用して低くではあるけれど滑空するように移動できるため、背に乗っても揺れが少なく、そのため人によって騎獣として飼われることも多かった魔獣だ。

 一度主人と認められれば、忠実な友となるため、長い間、人の良きパートナーとして歴史を刻んできた。

 けれど、一時期、そのベルベッドのような毛質の良さに目が付けられ、乱獲された時代があり、それにより数を極端に減らすことになったんだ。


「屋敷の裏の森には、イェオラは生息していないはずですが」


 今では、あまり野生のイェオラを見かけることはない。

 野生のイェオラは存在しているけれど、その生息地域は各国の王の名の下で保護区域として監視下に置かれているのだ。


「耳飾りも無いですし、もしかしたら、監視の目を盗んで密猟されるところだったのかもしれませんね」


 今では騎獣として飼うことができるのは極限られた階級の人たちだけで、人に飼われているイェオラは耳に小さな耳飾ピアスが付けられる。

 それは、飼育舎で生まれた場合、生まれて間もなくから付けられるもので、騎獣なのか野生なのか判断する材料にもなっていると聞いた。


 私が、そんな貴重な魔獣に……?

 それに、密猟って。

 ううん、密猟についてはまだ可能性の範囲を出ない話だ。

 でも、驚く事実ばかりが次々と飛び出して来て、正直、全くついていけない。


「それにしても、この領地内で見つかったのには問題がありますね」

「……」


 いつにない硬い声の鳥の巣頭さんに、閣下は無言だ。でも、鳥の巣頭さんは一つ頷いて、私の頭を撫でてから続けた。


「わかっています。これも私の失態。事の仔細は必ず」


 鳥の巣頭さんは、その無造作な髪型を一瞬忘れさせるような慇懃で真面目な雰囲気で言う。

 本当に分からない人だ。それは、閣下にも言えることだけれど、改めてそう思った。


「ところで、この子、どうしましょうか?」


 鳥の巣頭さんはさっきまでの硬い雰囲気など無かったかのように、声の重さまで変えて言った。


 そうだ、今まで考える余裕なんてなくて、なんとなく二人に流されていたけれど、これからの私はどうなるのだろう。

 私は貴重とされる魔獣の姿で生まれ変わっている。ということは、どこか専用の施設に預けられてしまうのかな。

 私を新たに生んだ魔獣のお母さんは、私を探しているかもしれないけれど、限られているとはいえ点在する保護区域の中で親の生息地を特定し、尚且つ広い領地の中から親を探し出すのはとても骨の折れる作業だ。

 たとえ見つけ出せたとしても、野生の魔獣が人の匂いの移った私を直ぐに受け入れてくれる可能性は高くはないし、受け入れてくれたとしても、私の側に居た閣下や鳥の巣頭さんが攻撃の対象とされる危険性もある。

 だから、野生に返すのを諦めてきちんと管理された施設へ預けてしまう方が、私にとっても閣下たちにとっても一番安全な方法だった。


 でも私は、嫌だ、と思った。


 ファラティアの記憶を持ったまま野生に帰してもらう勇気はなくて、でも、施設に送られるのも怖い。


 獣としての面白さを見つけて生き抜くなんて、軽く考えていたけれど、獣として野生で生きていくことがそんなに簡単ではないこと、本当はわかっているつもりなんだ。

 だって、あの時は混乱していて、自分を落ち着かせるには、とりあえずああやって自分に言い聞かせるしかなかったんだもの。

 人間であった頃の記憶しか持たないのに野生に放り出されて、幼い身体で、本能だけで、厳しい自然を生き抜くことが出来るわけがない。

 人間の心を持った私に、生肉を食べることが出来る?

 ――身体が欲していても、きっと無理だ。人間の理性が邪魔をする。

 安全な家でしか暮らしたことの無い私に、森で安心できる居場所を見つけられる?

 ――無理だよ。そもそも、イェオラの天敵や森での危険すらわからないのに、どうやって……?

 本能で補いきれない色々なこと、本当は魔獣のお母さんやお父さんにこれから教わるはずだったことだってきっとある。

 そうしたものの欠如した私が、野生で生きていくのは自殺行為に近い。

 

 それに、安全で管理された施設に送られたとしても、問題はある。

 イェオラは貴重で、その管理が徹底されているということは、施設においてはその繁殖にまで人の手が入っているということなんだ。

 もちろん、誇り高いイェオラを無理矢理につがわせることはないけれど、繁殖期が来れば必ず雄と雌は引き合わされ、繁殖の衝動から多くない選択肢の中で相手を見つけなければいけなくなる。


 生まれ変わった私は魔獣の雄だ。


 心は人間の女の子なのに。


 私はまだ幼獣で、繁殖期を迎えるのは先だとしても、成獣たちのそれをひしひしと感じるような環境で、心構えは果たしてできるんだろうか。

 人間としてでさえ、相手の居たことのない私が。


 ――無理だ。


 全然、自信なんて持てない。きっと、恐れと不安ばかりが募る。

 獣として生きる覚悟なんて、いくら立ち直りの早い私でも、そんな簡単に出来るものじゃなかった。


 どんなに自分は獣だと言い聞かせて、獣である身体を確認しても、まだ、獣の中に放り出される覚悟は到底出来そうになかった――。







 男の子との交流をほとんど持たない頃の女の子にとって、“男の子”というのは、本当に未知の生き物だと思うんですよね。もちろん、逆もですけど。

 種族よりも、性別の違いの方がときに恐怖だったりするんじゃないのかなあ、と思ったりしながら書いてました。

 そして、“閣下”目撃事件は、一応こんな形で繋がりました。

 決して、お風呂でドッキリ★が書きたかったわけではありません(笑



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