64.白い世界
ちょっと痛い描写が入ります。
意識が沈んで、どれくらい経ったのかわからない。
周りは魔法によって幕のようなもので覆われているのか、真っ白だ。外の様子もわからない。
白い世界で、夢と現実を行ったり来たり、ふわふわ、じんわり。そんな感じがずっとしている。
その合間に、突然、全身に激痛が走る。ズクッと背骨に沿って刃物を突き刺されたみたいな痛み。あまりの激痛に背を反らすと、背骨に刺さった刃物が砕けて細かい針になる。それが血管の中を物凄い勢いで流れていくみたいに、身体の中心から指先まで満遍なく痛みが駆け抜けていく。
どんなに押し殺そうと思っても、悲鳴が喉から漏れてしまうほど苦しい。
馬車で襲われたときの痛みは押し潰されるようなものだったけれど、今感じているのは内側から身体が弾けてしまうような痛みだ。
アリアンナ殿下が「相当の痛みが……」って最初に言っていた。それを聞いたとき、それでも元に戻れるなら、って思って躊躇いはなかった。どんなに痛くても耐えてみせる、耐えられる、って思った。私と、魔獣の子の為だから。馬車で襲われたときだって信じられないくらいの痛みを感じたけれど死ぬことはなかったし、耐えられた。だからきっと大丈夫、って。
――でも、この痛みは想像以上だ。
馬車の外に出た瞬間の痛みは一瞬で、直ぐに意識が無くなってしまったから、まだ良かったのかもしれない。
今回のは何度も、何度も、微睡みかけたところで襲ってくる。何回激痛の波を越えたかわからない。いつまで続くのかも。
どこまで耐えればいいのかわからなくて、体力と精神力、両方が少しずつ削られていく。
――こわい。
このまま死んでしまうんじゃないか、って何度か本気で思ってしまった。
だけど、そう思う度、不思議なことが起こる。
激痛を乗り越えて、総毛立っていたイェオラのふわ毛がもそっと降りてきたとき。力が抜けて、そのまま身体が地面に沈んじゃうんじゃないか、っていうくらい脱力していたのに、突然、身体がグンッと持ち上がるような感覚に襲われる。ちょっと乱暴なまでの突き上げ。びっくりして、ぼんやりしていた意識が一時的にはっきりするくらい。
でもその衝撃は一瞬で、その後は不思議と身体が軽くなる。さらに周りがほんわり温かくなったようにも感じられて、激痛の余韻が跡形もなく消えてしまうんだ。
何かの魔法なのかな? アリアンナ殿下が気遣ってくれて、癒しの魔法をかけてくれている? 癒しの魔法もとても難しいものだと聞くけれど、アリアンナ殿下ならきっと使えるはず。
普通に考えたらそうなんだけど、でも私はきっと閣下じゃないか、って思う。このちょっと、乱暴な感じが。思いやりがちょっと足りない感じが。
たとえ閣下じゃなくてもいい。閣下だって思うと、胸がほっこりして体力だけじゃなく、削られてしまった精神力も少し戻ってくる気がするから。表情をぴくりとも動かさないで、気遣ってくれる閣下を思い浮かべると、ちょっとおかしくて、笑いたくなってしまう。こんなに辛いのに。
心にもちょっとだけ、余裕が生まれるみたい。
きっと、セイレア様も閣下も、それに鳥の巣頭さんだって、無事に元の姿に戻った私とセレスタを待ってくれていると思える。アリアンナ殿下も優しい方だから、慎重に慎重に、魔法をかけてくれているはずだ。
だから大丈夫、うん。
私は大丈夫だ。
頑張れる。
そして私は痛みと微睡の間で、なんとか意識を保てるときに試していることがある。
(――セレスタ。…………セレスタ?)
こうやって、私と一緒にいるはずの魔獣の子に話しかけてみること。
最初は呼びかけ方がわからなくてどうしようかと思ったけれど、『セレスタ』は魔獣の子につけられた名前だっていうことを思い出した。見た目は魔獣の子だった私に、閣下がつけてくれた名前。だから、勝手ながらこの名前は魔獣の子にお返しすることにしたんだ。
(セレスタ? ――ここにいるよね?)
どうして呼びかけているかと言えば、心配になったからだ。
私には、絶対に無事で戻りたいと思える繋がりがこちらにある。だからどれだけ身体が辛くても頑張れると思う。
だけど、セレスタはどうなのかな。
アリアンナ殿下が、魔獣の精神は人の精神よりも弱い、というようなことを仰っていた。だから身体は魔獣の子のものなのに、表に出る精神は私になったんだろう、って。生きて戻りたいと意識して強く思っている私でも、この激痛の繰り返しは耐え難いのに、消えかけてさえいたセレスタの精神が耐えられるのか。それを考えたら、とても不安になった。
(セレスタ、聞こえる?)
私は決して博愛主義者ではないと思う。
瞳の色の薄さをからかってきたり、意地悪をしてきた人たちを心の底から許そうなんて思えないし、蛙や鼠を好きとも言えない。
でも、セレスタはひと月以上、一緒に過ごしてきた。
元に戻れる希望が見えた今だから余計に思えるのだろうけれど、セレスタは私自身だ。
それに、セレスタにはちゃんと意識がある。人と同じように思考して、悲しんだり、手助けをしようと思う優しい心がある。少しだけれど、言葉を交わすこともできた。
だから絶対、二人で元気に皆に会いたい。
(一緒に頑張ろうね、セレスタ)
――それから、数えることもできなくなった激痛の後。
たぶん、しばらく気を失ってから、ゆるりと意識が浮上し始めたときのことだった。
瞼を半分ほど持ち上げて、相変わらず白い世界にちょっとだけがっかりする。
でもきっと、もう直ぐだと思う。痛みの間隔が長くなっていた気がするから、もう少しだけ頑張れば、皆に会える。
会ったら何て言おう。
始めはありがとう? 会いたかった? セレスタには二人とも無事でよかったね、って言う?
そんなことを朧げに考えて、ちょっとだけ顔がにやけちゃっていた、そんなとき。
ビシッ、と白い世界が裂ける、嫌な音がした。