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62. 穏やかな夜




 セイレア様と私は、既に眠る準備万端で寝台の上にいる。ただ、セイレア様は上半身を起こしていて、私はその横でお座りをしている状態だ。


「ファラ、あなたを試すようなことをしてごめんなさい」

「キュウ……」


 私は慌てて小さく首を振った。セイレア様は悪くない。人間がイェオラの幼獣と融合しているなんてこと、そう簡単に信じられない気持ちは痛いほどよくわかるもの。


 セイレア様が言う、試すようなことっていうのは、一つは侍女として、石鹸の香りの効能がわかるかどうか。

 でも石鹸の香りの効能程度であれば、身分ある家の人や、そこで働く使用人ならある程度知識があったりする。もちろん、あえて勉強した人も。

 だからセイレア様は、二つ目に、わざと寝間着を持っていくのを忘れたふりをして、それに気づくかどうかと、気づいたとして、どの寝間着を選ぶかを見ることにしたらしい。

 身の回りの世話を侍女や侍従に任せている貴族の人間であれば、寝間着を持っていかなかったことになんて気が付かないだろうし、貴族でない平民なら寝間着を持っていかなかったことに気づいたところで、どうにかしようとは思わない可能性が高い。そこまで紳士淑女としての在り方にうるさくないから。

 だけど、侍女侍従であれば、反射的に貴族令嬢が身なりを整えず湯殿から出てくるような事態を避けようと動くはずだ。

 そして、私、ファラであれば、きっとセイレア様の気分を考慮に入れて寝間着の種類も選び、用意するはずだと思った、らしい。

 うん、なかなか遠回しに、試されていたみたいだ。

セイレア様なら、いくら私が人語を話せないとはいえ、もっと直接的に確認する方法がいくらでもあったように思うけれど、もしかすると、あからさまに疑っています、という態度を見せるのは気が進まなかったのかもしれない。


「アリアンナ殿下のお部屋の前で話を耳にしたとき、閣下があなたの特徴を仰ったときに、咄嗟にファラだと思ったわ。赤髪に青灰色の瞳の少女というだけで、ファラだとは限らないのに」


 隣に座る私の頭を左手で撫でながら、なんとなくのようにご自身の右手の平を見つめてセイレア様は言う。


「自分で思っていた以上に、あなたの行方がわからないことに追い詰められていたのかしら。ファラの特徴と一致するから、それならファラに違いない、って思い込んでしまったのね。

 そして、私があなたに『ファラなの?』と尋ねれば、あなたは私のもとへ転がるように来てくれた」


 うん、まさに転がりながら、セイレア様のところへ行った記憶がある。本当に、嬉しくて。


「でも、冷静いになってくると、怖くなったの。殿下や閣下が私に嘘をつくような理由は思いつかないけれど、荒唐無稽な話をそのまま信じることが」


 それは当然なんじゃないかな。

 だって、荒唐無稽なことが実際に自分の身に起きているのに、私自身でさえ最初は信じられなかった。信じたくないと思った瞬間だってある。

 信じるよりも、疑った方が現実味があるんだもの。セイレア様が疑念を抱くのは決しておかしなことじゃないし、悪いことでもないと思う。

 けれど、セイレア様は目を閉じて、小さく首を振った。


「いいえ、違うわね。信じることが怖かったわけではないんだわ。むしろ私はあなたがファラだ、って信じてしまっていた。でも、唐突に、あなたがもし本当はファラではなかったら? と考えて、怖くなってしまったの」

「……キュウ」

「お母様が亡くなってから今日まで、なんだか足元がふわふわゆらゆらして現実味がなかったから、ファラだと思った気持ちも揺らいでしまって。もしこれが夢だったら? ただ私が見せる願望の塊であったら……? そう考えたら怖くなってしまって……」


 セイレア様の気持ちの吐露は私にとってとても切ないものだった。

 仕方がないものだとしても、今まで転生したと信じて、セイレア様の動向を知ろうとしなかった自分の行動に後ろめたさを感じてしまう。

 これほど苦しんでいるセイレア様を予想しながらも、結果的にどうしようもないことと割り切っていた自分がどうしようもなく、浅慮なっだような気がしてならないんだ。


「キュウ」


 私が色々な気持ちを込めて鳴くと、セイレア様は儚げに見える笑みを零して、私の頭を撫でた。


「貴女が気にすることではないわ。元を辿れば結局、私の我が儘と思い込みが招いたことだと十分理解しているから」


 そう言うセイレア様に、私はなんて声を掛ければいいのか……。

 人語を話せない私には、どちらにせよ掛けられる言葉はないのだけれど、たとえ話せたとしても、どんな言葉を掛ければいいのか、私にはわからなかった。

 ご自身の計画の過程で大切な人が失われたと知ったときの気持ち。動揺冷めやらぬうちに実母を失った悲しみ。

 想像するしかないから。

 掛けられる言葉がないから。

 抱きしめられる腕がないから。


 だから私は、そっとセイレア様の手に手を重ねた。


 孤児として拾われて、まだそれほど言葉を身に着けていなかった頃。

 まだ幼いセイレア様が些細なことで落ち込んでいたときに、そうしていたように。

 優しく励ます気の利いた言葉なんて掛けられなくて、ただそっと寄り添っていた、あの頃みたいに、私はそっとセイレア様の繊細なその手に手を重ねて。

 一人じゃないよ、私がいるよ、って気持ちが伝わればいいと思った。


「……ふふ」


 セイレア様が笑う。

 小さな頃よりずっと大人びた笑い方なのに、どこかあどけない表情で。

 でもきっと、セイレア様も幼い頃の私たちがこうしてお互いに慰め合っていたときを思い出してくれたのに違いないと思う。


「……私のファラは、随分と触り心地が良くなっているわね!」

「…………キュ」


 ――セイレア様、それって笑うべきところでしょうか……? え? この雰囲気で……?


 なんとなく、ふさふさとか、ぷにぷにとか、明言を避けて『触り心地が良い』なんて言ってくださったところにセイレア様の優しさが垣間見えるけれど、なんとなく今このしんみりとした雰囲気には相応しくないような……、いえむしろ相応しいような、不思議な気持ちでいっぱいです。


「無理に閣下から貴女を一晩引き離してまで、色々話したいことがあったはずなのだけれど……。今夜はこうして手を繋いで眠ってもいいかしら?」

「キュ!」

「ふふ、ありがとう。

 貴女はまだ人の言葉を話せないから、きっと私の話を聞くばかりになってしまうわ。それではお互いにもどかしいでしょう?」

「キュウ……」

「今夜は、貴女がファラだと信じる勇気が持てた。それだけで十分ね」


 セイレア様はそう言って晴れやかに笑った。

 私はその笑顔が見られただけで十分だと思った。

 もちろん、久しぶりの再会で、話したいことは山ほどある。聞きたいことも、たくさん。

 でも、今はもう、人の姿に戻れるという希望が持てたから、焦る必要なんてないんだ、って思える。

 ただ、人の姿に戻ったときに、したいことを考えようと思う。


 セイレア様がゆっくりと身体を寝台に横たえて、私はその肩口で丸くなった。セイレア様の手にふわふわもこもこの手を重ねて。

 セイレア様が穏やかな表情で私の頭を撫でてくれる。閣下よりもずっと細くて頼りないけれど優しい手つきで、ふんわりと。


 人の姿に戻れたら、一番にしたいことはなんだろう。


 それはとても難しい問題だ。

 だって、私がそれを考えた瞬間、同時に閣下とセイレア様のお顔が胸に浮かんでしまったんだもの。

 閣下には一番に感謝を伝えたい。閣下がいなければ、私は人であることに気づかず、イェオラとして私の中にいる子を無視して生きていたかもしれない。ううん、あるいは生きることさえできなかったかもしれない。

 セイレア様には一番に抱きついて心配かけてごめんなさい、大変なときに一緒にいられれなくてごめんなさい、って言いたい。でもまた会えて本当に嬉しい、って!

 そうだ、鳥の巣頭さんにもちょっとだけ、感謝。脅されたりもしたけれど、生き物のお世話には向かない閣下の代わりに、なんだかんだと私の面倒を見てくれたものね。

 ああでも、ここはやっぱり雲の上のさらに上にいらっしゃるアリアンナ殿下に、真っ先に謝辞を申し上げるべき? こんな私の為にお力を使って頂いて、本当なら畏れ多くて下げた頭をもう二度と上げられない、上げてはいけない気がする。

 ううん、アリアンナ殿下には、セイレア様にきちんと最上級の礼を教わってからでないとご対面してはいけないよね。

 だとすると、やっぱり閣下とセイレア様と……あとちょっぴり鳥の巣頭さんへの感謝が先かな。

 いやいや、鳥の巣頭さんはきっと閣下を差し置いて感謝なんてしてほしいとは思わないだろうし、やっぱり閣下が先!

 待って、でも一番に安心させてあげたいのはセイレア様だし……。


 そうして、私の思考は堂々巡りを続けながら、セイレア様の優しい手に撫でられるまま、イェオラの身体になって初めてと言っていいほど穏やかな眠りについた。








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