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幕間 一夜の別れ


鳥の巣頭寄りの視点です。





 ――ドサッ


 常にない乱暴な仕種でソファへ身を沈めた主を見て、セネジオは苦笑を漏らした。

 いつも変わらず湖面のように静かな仮面の奥の瞳が、今は暗く重い色を湛えているように見える。


「閣下」

「…………」


 呼びかけに応じないのは常の事。

 しかし、今宵ばかりは責めるような視線が返され、セネジオはさらに苦笑を深めた。


「そう不機嫌にならないでくださいよ。セレスタのことは仕方がないでしょう?」

「…………」


 仕方がないと理解してはいても気に入らないから不機嫌なのだろう。それはわかっているが、セネジオには他に掛ける言葉が見つからない。

 主が機嫌を損ねることはいままでも無かったことではないが、そんなときのシェザリウスはほとんど言葉を受け付けないのだ。セネジオが慰めを言ったとして、シェザリウスの心を晴らしてやることができたためしがなく、不甲斐ないと思いながらも諦めるしかなかった。

 こんなとき、最近シェザリウスが連れ帰った白い毛玉ならば、その愛嬌でもって重い空気など一掃してくれたのではないかと思う。

 特別な言葉を掛けるわけではないが、少なくとも毛玉の小さな頭で思いつく行動でシェザリウスを励まそうとしていただろう。その拙い努力は、もはや小さなことでは揺らぎもしなくなったシェザリウスの心のどこかを刺激するらしい。

 毛玉を拾ってからのシェザリウスは、セネジオが見てきた中でも一番穏やかな時間を過ごしていたように思う。

 それが幼獣という幼い姿ゆえの愛らしさからもたらされたものであるのか、それともシェザリウスの側にあって動じない豪胆さがシェザリウスの心を和らげるのか。――あるいは、深夜になると変化するというヒトの姿が、シェザリウスの琴線に触れたがゆえなのかは、セネジオにはわからない。

 だが、とにかくセレスタがシェザリウスにとってもはや切り離せない存在として位置づけられているというのは、ひしひしと感じるところだった。

 だが、そんな白い毛玉はいま、この場にいない。


「一夜くらい辛抱してください。昼間に執務が立て込んでいるときや、最近のようにご令嬢方の相手をしなければならないときはセレスタが側にいなくとも平気だったでしょう?」


 そう言えば、微かに仮面の奥の瞳が細められる。

 それとこれとは話が別だということだろうか。

 それとも、平気だったわけではない、と言いたいのか。

 言葉にしない気持ちを汲むことは難しく、だからというわけではないが、セネジオは気づかぬふりで続ける。


「考えてもみてください。エイトウェイ嬢の立場から言って、ひと月以上も行方知れずだった侍女がやっと見つかったんですよ? 感動の再会ではありませんか。今宵くらいはともに過ごしたいとのエイトウェイ嬢の気持ちを立て、閣下が遠慮して差し上げる懐の深さを見せればセレスタの閣下に対する評価も上がるというものです」

「…………」


 自分でも白々しく響く理由を並べ立てながら、シェザリウスがなんとか納得してはくれまいかと思うセネジオだ。

 シェザリウスからは温度の低い視線が返されるばかりだが。

 しかし実際、あの場ではシェザリウスが譲歩するのが妥当だっただろうことは、セネジオも確信している。そうでなければ収集がついたかどうか。


 お開きの合図で、セレスタを抱いたまま退室しようとしたシェザリウスを、セイレアは強く引きとめた。瞬間、あの場には一触即発の緊迫した空気が確かに流れた、とセネジオは思い出す。

 セイレアの呼び止めに流石のシェザリウスも黙って立ち去ることはしなかったが、セレスタを返してほしいとの要望を受けても一向にセレスタを手放そうとしないことで、シェザリウスの意思は明白に示されていた。

 本来であれば、その時点で事は決着がついていたはずだ。

 中身が人間の少女と言えどセレスタの現主はシェザリウスである。その彼が否と言えば他の誰もセレスタに触れることはできない。

 だからシェザリウスが何も言わずとも、その態度でもってセレスタを“貸し出す”ことを拒否したのであれば、そのまま引き下がるのがセイレアの取るべき態度だったのだ。

 しかし、セイレアは引かなかった。

 温度のない瞳に断固たる拒否を乗せて視線の矢を放つシェザリウスに対し、セイレアは微笑みさえしてセレスタの引き渡しを要求していた。

 シェザリウスの視線に曝されても怯えを見せないセイレアは、流石セレスタの主というべきか。セネジオは主とセイレアの無言の攻防を眺めながらそんなことを思っていた。

 勘の鋭い動物を筆頭に、普通の人間はシェザリウスの未知の力と人間離れした美貌、得体の知れない空気に畏怖と恐怖を感じ、身を震わせて距離を取るのが常だった。シェザリウスにとってその反応は決して心地のいいものではないだろうが、本能的な反射である以上、単純に相手を責めるわけにもいかない。

 だがセイレアは、立ち聞きを暴かれた直後こそ怯えを見せてはいたが、その後はしっかりと己を保っていたように思う。

 前王である男と王妹である殿下を前にしているという、本能とはまた別の畏怖もあっただろうに、彼女はそれでも毅然としていたのだから、王宮にいる高官たちよりも余程肝が据わっている。

 だからだろうか。

 感心ついでに、つい助け舟を出してしまったのは。




『――閣下、今宵はエイトウェイ嬢にセレスタを返して差し上げてはいかがですか?』


 気づけば、主の意思が何よりの大事であったはずのセネジオが、そんな進言をしていた。

 セレスタはそれを聞いて驚いたように目を見開きセネジオを凝視していたが、さもありなん。彼女はこの短い間で、セネジオがシェザリウスを第一として優先することを嫌と言うほど知っていたはずだ。そんなセレスタにとって、セネジオが交流などほぼ皆無であろうセイレアの気持ちをシェザリウスの意よりも優先させたことは、驚愕に値することだったのだろう。

 セネジオにしてみればそれはほんの小さな気まぐれとも言える行動に過ぎなかったが、しかし一方では、己の中で何かが変化し始めている可能性も確かに感じていた。

 どんなモノにも何者にも執着を見せないシェザリウスが、唯一手元から離さないセレスタ。

 セレスタを得たことでシェザリウスは、長く仕えるセネジオでさえ見たことのない表情を見せ、感情を露わにするようになった。

 同じようにセレスタは、セネジオの硬く鋭い角のできた心もまた、丸く均してくれたのかもしれない。

 もちろん、丸くなったからと言って、セネジオが全面的にセイレアの肩を持つわけなどなかったが。


『――ただし。あくまでセレスタはまだ閣下の保護下にあります。たとえファラティア嬢の主が貴女でも、今のままお返しすることはもちろんできません』


 当然だ。

 セレスタがまだ魔獣の姿である以上、元に戻るまではシェザリウスやセネジオの指示が直接通るようでなければ困る。


『それを踏まえて、明日、王妹殿下へ情報をご提供いただいた後、貴女とセレスタとの接触はある程度制限させていただきます。

 以前もお伝えしたと思いますが、貴重種であるセレスタをこちらで保護していることは、あまり外部に漏らしたくはないことですので、お客様もいらしている今はセレスタの存在が広まらぬよう、移動は極力避けるべきと思っています。ですから、エイトウェイ嬢の元へセレスタを頻繁に送り届けることもできません』


 どこから情報が漏れるかわからないのだからこれも当然だった。


『また他のご令嬢方との兼ね合いで、エイトウェイ嬢が特別に閣下や私、ひいては殿下と頻繁に接触することも無用な波風を立たせかねませんので、避けて頂きたく思います。

 こちらでも調整はしますし、できる限り配慮はさせていただきますが、少なくともセレスタがファラティア嬢の姿を取り戻せるまでは、ご辛抱願います。

 ……可能でしょうか?』


 この条件が飲めるのならば、今宵かぎりはセレスタを手元にやってもいい。という意味だ。

 随分と物々しく聞こえるが、事情が事情なだけに仕方のない措置である。

 条件を飲もうと飲まざると、これらセネジオが言ったことは結局のところ実行される。つまり、明日以降、自由にセイレアとセレスタが接触できないことは必定事項ということだ。

 ならば、セイレアの答えは決まっているだろう。

 予想通り一も二もなく頷くセイレアを確認し、セネジオは主に決断を迫った。


『閣下、そういうことです。今宵くらいはゆっくりと二人きりの時間を持たせて差し上げてもよろしいのではないですか?』




 そうして結果的にシェザリウスはセレスタを差し出したものの、自室へ戻った途端にかつてないほどの機嫌の悪さを披露しているというわけだ。


「ですが閣下がセレスタのしっぽ程度に良識があってよかったです。あれでまだ駄々を捏ねるようなら、セレスタに嫌われているところですよ。閣下は気づいてらっしゃらなかったかもしれませんが、貴方がなかなか放さないから、セレスタ、困り果てていましたよ?」

「…………」

「まあ困っていたのは、“魔獣でいるうちは閣下と過ごす”とセレスタ自身が選んだばかりだった所為もあるかもしれませんが」


 “舌の根も乾かぬうちに”とはこのことですからね、と言って笑えば、灰青色の瞳がぐっと眇められた。

 仮面の下で眉でも寄せているのだろうか。固まってしまったように表情を動かすことのなかった、あの、閣下が。

 そう思うと、セネジオはさらに笑いがこみあげてくるような気がした。







次話も幕間の予定。



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