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58.彼女の告白 二



 私を変装させて送り出した本当の理由と目的って何だろう?

 もしかして、三年もの間ご連絡をくださらない大公閣下の様子を見に行く以外にも、私がしなくちゃいけないことがあったということなんだろうか。

 でもセイレア様が私に何も伝えなかったということは、私自身が何も知らなくてもできるような簡単なことだったのかな? もしくは、内容を知っていたら恐ろしくて動けなくなるような、危険極まりないこと? ……大公閣下の元へ変装して忍び込むよりも危険なことって何だろう。それこそ怖くて想像もつかないや。

 頭の中で必死に色々な可能性を考えてみるけれど、私の残念な頭ではセイレア様のお考えには思い及ばなかった。

 それよりも、後ろめたそうにしているセイレア様の様子が私の不安を煽る。

 話しを進めるのがちょっと怖いような……。

 そう思ったけれど、鳥の巣頭さんはセイレア様の言葉を受けて首を微かに捻りながらも話を繋ぐ。


「エイトウェイ嬢のふりをさせる本当の理由と目的、ですか……。

 確かに、閣下のことを理由にしても、変装させたファラティア嬢を送り込むことは明らかな悪手ですね。貴女の釣書には名のある画家による姿絵が付されておりましたし、瞳の色の違いについて言い訳を押し通すことは難しかったでしょうから」


 ――ああっ! い、言われてみれば、確かに……!


 もう三年以上も前のことですっかり忘れていたけれど、釣書のために絵師様を呼んで、セイレア様の姿絵を描いてもらった記憶が!

 セイレア様はご自身が一番綺麗に見える角度をご存知で、絵師様も感嘆しながら筆を進めていた。出来上がった姿絵ももちろん素晴らしいもので、太陽神の御使いのような神々しさがあった。

 たしか、あの姿絵で一番に目を引いたのは、柔らかく細められた春の日差しを思わせる空色の眼差しと、慈愛を湛えて緩く弧を描く桜色の瑞々しい唇だったはず。

 いつもセイレア様を見ていた私でさえ見惚れるほどに印象に残っている部分なのだから、大公閣下にもきっと強い印象を残していたに違いないと思う。

 だとすると、いくら鬘を付けて胸に詰め物をしても、瞳の色で途端に不審がられてしまっただろう。それ以前に、顔の造作が全然比べものにならないけれど!

 絵師様が姿絵の彩色を間違えたのだ、という言い訳は絵師様に多大な迷惑を掛けてしまうし、そもそも確認もせずに釣書として送ったエイトウェイ家の落ち度になってしまう。

 結局、無理があったということだ。


「ファラティア嬢が閣下を騙し通せるわけがないと、聡明な貴女なら当然予測できたでしょう。失敗が確定していることをわざわざ大切な侍女にさせる利点があるとも思えない。――そう考えると、貴女には他に彼女を変装させたい理由があったのだ、と言われた方がよほど自然ですね」

「……仰る通りです。いくら焦っていたと言っても、だからと言って姉妹のように育った可愛い侍女をわざわざ死地に向かわせるような愚かなこと、いくら私でも致しません。

 ただ、あのときの私が自分の考えに酔っていたことは確かです」


 少し緊張している私の背を、閣下の大きな手がゆっくりと撫で解してくれるのを感じながら、私はセイレア様の次の言葉を待った。

 セイレア様は言いづらそうに口の中で何度か言葉を転がしてから、意を決したように口を開いた。


「あのときの私は、考えに考えた末、大公閣下のお申し出を断る決意をしたところでした」

「!」


 初めて耳にしたことに驚いて私は思わず声を上げそうになったけれど、鳥の巣頭さんに加えアリアンナ殿下までが当然というような表情をなさっていたから、咄嗟に言葉を飲み込んだ。ここで騒ぎ立てるのは、何かとっても場にそぐわない気がしたのだ。

 ……場にそぐわないというなら、一人暢気に私の顎を撫で始めた閣下こそがそうなんだと思うけれど。う、うぅ、気持ち良くて力が抜ける……! やめてください、閣下!

 私はバシリと閣下の手を抑え込んでから、セイレア様を見つめた。


「私は一人娘ですし、父に兄妹も無いことから私には伯爵家を繋いでいく義務があります。大公閣下の伴侶にしていただくことは大変に名誉なことでしたが、それに縋って婚姻の時期を逸してしまっては、伯爵家の行く末を危ぶませることになる。

 父はそれでも私を大公閣下のもとへ嫁がせることを望んでいたようで、閣下からご連絡いただけないことを把握しながら『気を長く持て』と常々申しておりました。そんな父に私は、まだ候補でしかないのだからと言ってみたのですが、お恥ずかしながら父は選考に入れば必ず私が選ばれると思っていたようで」


 そう言って、セイレア様は恥じ入るように身を縮めた。

 恥じらう姿も可憐だと思うのは、決して私の贔屓目だけではないと思う。


「ええと、何か話がずれてしまいましたね。

 とにかく、私もしばらくは、父の言うことを聞いて大公閣下からの沙汰を大人しく待っておりました。父が私を閣下と添わせようとするのは名誉のためではなく、真に私を思ってのことだと理解していましたから、父を安心させるためとの思いもあったのです」


 セイレア様は伏し目がちに話し続ける。

 私は、当時の旦那様のご様子や、旦那様を困ったように見るセイレア様を思い浮かべながら、静かに話しに耳を傾けていた。


「ですが……。失礼極まりないこととは存じますが、私自身には大公閣下に執着する理由はまったくありませんでした。

 閣下にはお会いしたこともなければ、お姿さえ噂に聞く程度。耳に届く限りの印象ではとても素晴らしい方だと理解はしておりましたが、言ってみればそれ以上の心象を抱きようがなかったのです。

 加えて、父の考える身分的な幸せは、私にとってそれほど重要ではありませんでした」


 うん、セイレア様が身分にこだわらないというのは、捨てられていた私を拾って帰ったことが証拠だ。あのときのセイレア様はまだお小さかったけれど、小さい頃から孤児である私に接していて、旦那様もそれを許していたのだから、身分に厳格にはなりようがなかったのかもしれない。


「ですから、お話を頂いてから三年が経とうとしていたあの日、私は決めたのです。――婚約者候補としてのお話はご辞退申し上げよう、と」


 はっきりと言い切ったとき、部屋には少しの間、沈黙が降りた。

 旦那様のお気持ちを汲んで三年間じっと大公閣下からのご連絡を待っていたセイレア様。だけど、嫁ぎ遅れと噂される年齢を一年後に控えて、決断をしたということらしかった。


「そうして大公閣下からのお申し出を断ろうとしていた私に、閣下のご様子を知る必要などありませんでした」


 断るにしても、大公閣下に動き出す素振りがあるかどうかを調べること自体は不必要ではないと思う。断った途端に婚約者の選考に入ったりしたら、三年間が無駄になってしまうわけだし。

 でも、一度決めたら意思を曲げないセイレア様を思えば、その後に大公閣下がどういう動きをなさろうと、気にしなかったかもしれない。

 うん、きっとそうだ。

 もし決意した直後に大公閣下から選考に入るという通知が来たとしても、セイレア様はきっぱりと断っていたに違いない。

 通知が来た途端に断る形になるのは大公閣下に対して失礼にあたることだけれど、閣下側にまったく落ち度がないわけではない――というかむしろ、いくら大公閣下でも貴族の令嬢を三年もの間放置した責はあるから、セイレア様が断ったからと言って咎めたりはできないはずだ。

 通知の直後に断るなんて嫌味だとか大公閣下への腹いせだとか噂する者はいるだろうけれど、そもそも嫌味や腹いせのためだけに大公閣下の婚約者となれる機会を棒に振る貴族はある意味潔いというか。


「そもそも大公閣下には元よりご結婚の意思がないのでは、とその頃の私は本気で思い始めておりましたから、決断に躊躇はほとんどありませんでした」


 あっ、その可能性もありましたね!

 だとすると、なおさらセイレア様は大公閣下のご様子を探る必要性を感じなかったということだ。

 セイレア様の決意は寝耳に水だ。でも妙に納得できる。そう思って一生懸命頷いていた私は、鳥の巣頭さんとアリアンナ殿下がセイレア様からそっと目を逸らしたのに気づけなかった。


「……長い前置きで、申し訳ありません。

 とにかく、私が大公閣下とのご縁談をお断りする決意をしたということは、新たに相手を見つけるつもりでもあったということです」


 うん、当然だよね。

 でもそれと、私がセイレア様に扮することと、どう関係するんだろう。


「父が納得すれば改めて、私にとっても、また家にとっても相応しい男性を父が探してくれることと信じてはおりましたが、良くも悪くも私の相手となる方が貴族であることにきっと変わりないことだったでしょう。しかしその相手となる男性が、もしも身分に厳しい方であれば……」


 私を見つめながら、言葉尻を濁すセイレア様の続きを、鳥の巣頭さんが引き取った。


「孤児である侍女と自分の妻が姉妹のように接していることを厭い、辛く当たる、あるいは距離を置かせようとするかもしれない、と思ったのですね?」

「はい……。いまだ身分にうるさい貴族は多いですから。その点、大公閣下におかれては、身分になどこだわらないという噂を耳にしておりましたから、心配がなかったのですが」


 なんとなく話が見えてきました、と鳥の巣頭さんは呟いたけれど、私にはさっぱりだ。

 もしかして、いずれは遠ざけることになるかもしれないなら、今のうちに、ということ……? でも、セイレア様がそんな極端なことを考えるとは思えない。思いたくない。

 嫌な想像にちょっぴり不安になった私を察したように、セイレア様は言った。


「私自身は、夫となる相手に何を言われようとも、ファラを遠ざけるつもりはありませんでした」


 きっぱりと仰ってくれて、私はほっと胸を撫で下ろした。


「でも表立って親密にすれば夫との間に角が立つだろうことも簡単に予想できましたから、結婚後はある程度は彼女と距離を取らねばならないことも覚悟しました。覚悟したうえで、羽目を外せるのは今のうちだということにも、気づいたのです」


 ……うん?

 は、羽目を外す?

 セイレア様が??


 頭の上に疑問符が飛び交って首を傾げる私を横目に、セイレア様は身体を縮める。それから、「本当に、ただの我が儘と悪戯心でした」と前置いてから、仰った。


「ファラの馬車が向かっていたのは大公閣下のお屋敷などではなく、ジスダロワ伯爵家が最近買い付けた別邸です。――そこでファラには一日だけ、私のふりをして今まで味わったことのない贅沢をしてもらおうと……」


 ――えーっ!?

 い、意味がわかりません、セイレア様! どうしてそんな話に……!

 私は全然、贅沢をしたいとは思っていないし、セイレア様にそのままお仕えできるならそれで満足だった。たとえ贅沢ができたとして、それが本来はセイレア様が受けるべきものだと思えば素直に楽しめたりはしないと思うし……。

 驚愕し、混乱に陥る私よりも鳥の巣頭さんの方がセイレア様の心情を理解していたみたいで、鳥の巣頭さんが苦笑交じりに言った。


「それまでと扱いが変わるかもしれないことへの罪滅ぼし、でしょうか?」

「――はい。別邸は使用人も新しく雇った者が多く、私の容姿を知らない者もいるので、成り変わったファラにも伯爵家の令嬢として自然に接してくれると思いました。古くから仕えてくれていて別邸へ新しく派遣された使用人は私とファラのことをよく知っていますし、言い含めておけば笑って許してくれました」

「何と申しましょうか、……貴女のお考えになったことは理解できないわけではありませんが、無駄に彼女を不安にさせるよりは、計画を素直に話してしまった方がよかったのでは? ――主観的な感想ですが、ファラティア嬢は我が儘を言ったり、贅沢を好んだりするような人物には思えませんし、こう言っては失礼ですが、貴女の仰る計画では彼女が喜んだとは思えないのですが……」


 今、ちょっと感動した。

 鳥の巣頭さん、案外ちゃんと私を見てくれていたみたい。

 それがたとえ閣下のためだったとしても、誤解せずにわかってくれることはとても嬉しいことだと思った。


「セネジオ殿の仰ることはもっともです。愚かな悪戯心でした。

 ただファラに私のふりをさせるのでは面白くない、と思ってしまって……。大変なことになると緊張しながら向かった先で、あれもこれもと甘やかされて目を白黒させる可愛いファラが見たかっただけなのですが」


 ……いま、セイレア様がばつが悪そうにしている理由がはっきりわかりました。

 セイレア様ってば、こっそり私があたふたする様子を見て面白がるつもりだったんですね! あ、悪趣味ですよ! それがセイレア様らしいと言えばそうなんですけどっ。


「それと、確かに彼女は私のふりをして贅沢をしても喜ばないでしょうが、それでも、一生経験できないだろう生活をしてみるのも、彼女にとっていい思い出になるのではないかと思いました。

 ……けれど『一生経験できないだろう生活』だなんて、それこそ勝手な決めつけだったのでしょうか?」


 セイレア様はそう言いながら何故か閣下を見た。

 そういえば、閣下もとても身分の高い方だから、そんな閣下に拾われた私は、ファラティアとしては経験することのできないような生活だったかもしれない。……そういうことだよね? うん?







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