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56.権利の主張もほどほどに



 セイレア様の細い腕にぎゅっと抱かれて、私は胸がいっぱいだった。

 庭で遭遇したあと客室に招かれて、そのときもセイレア様は抱きしめてくれた。でもそのときとは全然感覚が違う。セイレア様が私をファラティアとして認識してくれているかどうか、それだけの違いでこんなにも心地よさが違うのかと驚いた。

 互いの存在を確かめるように抱き合ってしばらく、セイレア様は静かに身体を離した。私の目を覗き込む春空色の瞳は潤んでいて、苦しそうに歪んでいた。


「ファラがイェオラの姿になっていたなんて、どうしてこんなことに……。やっぱりあの馬車の襲撃で?」

「キュゥ……」


 その通りだったけれど、それを素直に肯定したらセイレア様がまたご自分を責めてしまいそうで、私の返事は尻すぼみになってしまった。

 今回のことは色々と偶然も重なった結果のようだし、決してセイレア様の所為じゃない。馬車の襲撃をセイレア様がけしかけたなら別だけれど、そうでないならセイレア様に責任は無いと思う。

 それに、たった今、もとの私に戻れることも判明したばかりだ。今の私には、希望はあっても絶望はない。過去の辛さを思い出しても全く苦しくならないといえば嘘になるけれど、それを乗り越えて得たものだって確かにある。魔獣の姿になったことも、今では良い経験だったと思える。だって、閣下や鳥の巣頭さんに出会えたから。

 今はただ、早く魔獣の子と身体と心を分けて、魔獣の子がちゃんと生きられるようにすること、そしてファラティアに戻れたら、閣下たちにどうにか恩返しができる方法を探すこと。それが大事だと思うんだ。

 もちろん、私と魔獣の子が混ざり合った背景には何かの影があることもわかっている。もしそれを明らかにするために私の証言や私の中に残る魔力の気配を探る必要があるなら、協力は惜しまないつもりだ。

 うん、すごく前向きに考えられている。

 いまの私に不安はあまりない。

 もとに戻れると知った途端これなんだから、とてもげんきんなものだとは思うけれど、これが正直な今の気持ちだから仕方がないと思う。

 だから、セイレア様が気に病むことなんて一つもないんだ。

 きっと元気な姿でまたお会いするから、だからセイレア様、自分を責める必要なんて全然ないです!


「キュウ!」


 私は沈んだ空気を変えるように、元気に鳴いて見せた。

 ちょっと胸を張って、セイレア様の目を真っ直ぐに見つめる。

 嘆く必要なんてどこにもないんですよ、って伝わるように。

 するとセイレア様は、驚いたように数度瞬いたあと、くすりと笑った。本当に久しぶりに見る、柔らかい微笑みだった。


「……本当に、ファラなのね。その仕種」


 懐かしそうに、ふふ、と笑う。


「いつも隠れて泣くのはファラの方だったけれど、私が時折泣きそうになるとファラはそうやって胸を反らして元気づけてくれたわね」


 そう続けながらあんまり優しく笑うから、辛いことがあったときに隠れて泣いていたという秘密をここでばらされてしまったことも怒れない。


「ちょっと偉そうにして『セイレア様の涙の原因はこのファラがなんとかします!』って。何の根拠も無く強気だったわよね」

「キュ」


 何の根拠も無く、はいらないのです、セイレア様……。

 確かに、「なんとかします!」と豪語したところでなんとかできた試しはなかったですけれども、そこは触れてはいけない禁域ですよ。


「……何の根拠も無いけど、私にとってファラは絶対的な味方だと思えたから、だから今まで頑張ってこられたわ。貴女が行方不明になって、より実感した。私はファラにとても支えられていたんだ、って。

 ――ありがとう、私のファラ」


 そう言って、丁寧に頭を撫でてくれる。

 私はなんだか照れてしまって、言葉も無くただセイレア様の手に頭を摺り寄せた。

 私だって、セイレア様に随分頼り切っていたと思う。この姿になってから辛いときにセイレア様のお姿を発見して、それだけで気持ちが浮上した。何か、強い味方が現れたような感覚だった。

 きっと、小さい頃からずっと一緒にいたからだ。主従の関係であるのは変わらないけれど、根底には姉妹のような親密さがある。それはセイレア様がそう接してくれたから築けたものなのだろうけど。

 セイレア様も私を大切に思ってくれているなら、こんなに嬉しいことはない。

 気恥ずかしくも、セイレア様との絆を確認できたような気がしてでれでれしてしまった。でれでれしていたので、背後に迫る影に気づくのが遅くなってしまった。


「ギュッ!」

「お前は間違っている」

「――閣下」


 懐かしい衝撃がきた。わしっ、ぐぇっ、という感じの。

 油断しきっていた私は潰れた悲鳴を上げたのだけれど、頭上からは至極平淡な閣下の声が降ってきた。全然、私の苦しさには気づいてくれていないようです。うぅ。

 呆れたような、窘めるような鳥の巣頭さんの声も聞こえたのだけれど、もちろん閣下は無反応。

 閣下はもう少しセイレア様のように私を優しく扱ってくれると嬉しいです……。

 ところで、何が間違っているんだろう?

 心の中で不満を漏らしつつも閣下による乱暴な扱いに十分な耐性がついてしまっている私は、直ぐに思考を切り替えた。

 どうやら閣下はセイレア様に向かって声を掛けたようなのだけれど、突然過ぎて言葉の意味がつかめない。セイレア様は何も間違ったことは言っていない気がしたけれど……。

 そう思っていたら、閣下が続けてきっぱりと言った。


「これは私のものだ。私が拾った」


「…………」


 えっと。

 沈黙は閣下以外の全員のものです。


 この空気を読まない感じの発言は、とっても閣下らしくてちょっと笑ってしまいそう。身体が締め付けられているので実際には笑えないけれど。

 確かに、閣下は私を拾ってくれた。今の私の所有者は閣下だと言えないくもないと思う。森で拾った魔獣をお屋敷で育てているんだから、その主張は間違っていない。

 だけどたった今、私は人間の女の子だ、って証明されたはず、……だよね?

 人間の女の子って、拾ってお持ち帰りしたら所有権を主張できるんだったかな?

 閣下のもの、って言われるのが嫌なわけじゃないけれど、何か腑に落ちないのは私の心が狭い所為だろうか。

 私は閣下に抱えられたまま、セイレア様を見る。

 セイレア様はにっこり微笑んでいた。ここへ入ってきたときの儚げな様子は微塵もなくなっていて、むしろ笑顔に力強さが垣間見える。懐かしい微笑み方なのに、ちょっと怖い。なんだろう、これは……戦いの幕開け?


「お言葉ですが」


 セイレア様が素敵な笑顔で立ち上がった。


「先にその子を拾ったのは、私ですわ」


「……キュ」

「……え」


 私と鳥の巣頭さんの声が重なった。

 うん、驚くよね、鳥の巣頭さん。私も驚いた!

 なんだろう、この、居た堪れない感じ。まるで小さな子供に取り合いをされている玩具になったような、微妙な気分……。ちょっとあんまり嬉しくない。


「私が八つにも満たない頃の話ですけれど。避暑先の屋敷の近くで立ち尽くす彼女を見つけたのです。呆然としている彼女があまりに可愛らしくて、連れて帰りました。もちろん彼女の親を探しましたけれど見つからなくて。その日から、彼女は私のものになりました」


 にっこり。

 お日様のように笑うセイレア様に、あの頃と同じくらい私はいま呆然としています、セイレア様。

 セイレア様は両親に捨てられた私を拾ってくれた恩人だけれど、もしやセイレア様は犬猫を拾ったような感覚だったの……?

 とても複雑な気分だ。

 もしかしたら私は、セイレア様から離れている間に、セイレア様をとっても美化していたかもしれない。と、そんな失礼なことをちょっぴり思ってしまう。

 そういえば、と思い出した。セイレア様ってば、温かい春の陽だまりのような外見に反して、少し女王様的な気質を持った方だった。だからこそ私は『セイレア様のフリをして大公閣下のもとへ様子伺いに行く』という無謀なお願いを断りきれず、鬱々と馬車に乗り込んだんだった。

 あれ、これってやっぱり今の状況はセイレア様の所為? ……いやいや、そんなこと思っちゃ駄目だ。だって、襲撃はセイレア様のご意思じゃないし、万一のために護衛もつけてくれていたし。

 などと必死に自分に言い聞かせている時点で何かが間違っている気がしないでもないけれど。


「不注意で一度失ったのだろう。ならば大人しく権利を放棄しろ」


 えぇっ?

 閣下までどこかの理不尽な王様に見えてきてしまう不思議!

 この寒々しい空気をどうにかしたい。でもいまだに閣下に締め上げられているので何も言えません。……そろそろ何かが飛び出してしまいそうなので、ちょっと力を緩めてほしいです、閣下……。うぇ。


「確かに不注意でした。けれど、彼女自身が私を嫌悪しているわけではないのなら、彼女はまだ私のものですわ。彼女は人間ですもの。犬猫のように簡単には所有権は移動しないのではありませんか?」


 あ、一応、犬猫と同等には思っていなかったのですね、セイレア様。でも所有権を主張している時点であんまり変わらないような気がする、という突っ込みをするのは駄目でしょうか。


「――」

「お二人とも、そこまでにしてはいかがですか」


 閣下がさらに何かを言い掛けたところで、鳥の巣頭さんが呆れたように遮った。

 セイレア様ではなく、閣下が続けようとしたところで止めたのは、鳥の巣頭さんのセイレア様に対する気遣いかもしれない。不審な登場の仕方だったけれど、セイレア様は一応お客様だものね。


「どちらにつくかはセレスタ自身に聞けばよいでしょう。それよりも、王妹殿下の御前であることをお忘れではないですか」


 ああ、忘れていた!

 すごく失礼だけれど、あんまり静かだからアリアンナ殿下の存在をすっかり失念していた自分に気づく。

 ごめんなさい、殿下っ。


「いえ、私はよろしいのですが……」


 控えめに身を縮めるアリアンナ殿下に、物凄く申し訳なくなった。

 セイレア様も、やっと殿下の存在に思い至ったようで、必死に謝罪をしている。鳥の巣頭さんに威嚇されたり、魔獣の子がファラティアだと気づいたりで、アリアンナ殿下にまで気が回らなかったのだろうから仕方ないにしても、本来あってはならないことだ。

 閣下は全然気にしたふうもないけれど、閣下に締め付けられた私は腕の中で必死に頭を下げておいた。


「本当に、お気になさらないでください。それよりも、そちらの方は魔獣の子の中にいる少女を知っているようにお見受けしました」


 そう首を小さく傾げながら問う殿下に、セイレア様は頭を下げながら答える。


「申し遅れました、私、ジスダロワ伯が娘、セイレア・エイトウェイと申します。セレスタの中にいるという少女はファラティア・リングベル、私の侍女を務めているものにございます」

「そう。――それほど畏まらなくていいのよ。気を楽にして」


 セイレア様は下げていた頭をさらに深く下げてから、顔を上げた。

 セイレア様の意識がこちらから逸れたからか、閣下の力が少し緩まって、私もほっと息をつく。本当に危うく何かが飛び出すところだった。殿下の前でそんな失態は絶対にさらせないから私は頑張っていたんんですよ、閣下!

 こっそり心の中で閣下に抗議の声を上げていた私をよそに、アリアンナ殿下が静かに言った。


「閣下、セネジオ殿、何の偶然かはわかりませんが、彼女の協力が得られるのはとても心強いことです。セレスタの中にいらっしゃる――ファラティアさんの特徴をより詳しく聞けるかもしれません。結果として、彼女がこちらに迷い込み、話を聞かれたのは幸いなことと思います」


 殿下の言葉に、私はぴんと耳を立てた。閣下にファラティアの特徴を説明されると、また大変なことになりそうでとっても怖い。だけど、セイレア様ならきっと余計なことは言わないでいてくれる気がする。……たぶんだけれど。

 気持ちが前に出て少し身を乗り出した私は、すぐに後悔した。

 落ちないようにか、閣下にまたぎゅうと締め上げられてしまったのだ。く、苦しいです……。

 最近では力加減も覚えてきていたのに、また再発している。そのうちきゅっ、ころっ、と逝ってしまいそう……。

 これは由々しき事態だと思います。


「確かにその通りとは思いますが……」


 無言で私を拘束する閣下に代わって鳥の巣頭さんがアリアンナ殿下に答えていた。アリアンナ殿下のお言葉に渋る様子を見せる鳥の巣頭さんは、たぶんまだセイレア様のことを信用していないんだと思う。


「セレスタの様子を見れば、エイトウェイ嬢が嘘を吐いているわけではないというのはわかります。事が明らかになる以前から、セレスタはエイトウェイ嬢に特別反応していたようですので」


 うん、私、結構あからさまだったものね。


「ですが――」

「いい、セネジオ」

「――。はい」


 私を締め上げる腕はそのままに、閣下は鳥の巣頭さんの言葉を遮った。その短い言葉の中にはたぶん、セイレア様が人払いのされたこの部屋の前に居たという怪しさを見逃す、あるいは許容するって意味があったんだと思う。

 鳥の巣頭さんは続けようとしていた言葉を飲み込んで、素直に閣下に頭を下げて恭順を示した。

 そこへ、セイレア様の落ち着いた声がかかる。


「私の行動を疑われても仕方がありません。客観的に見て不審に過ぎる状況であったことは私自身も自覚しております。私のことはどのようにもお調べいただいて構いません。当然のことと存じます」


 セイレア様は釈明することもなく、ただ静かに言った。

 私はそんなセイレア様を庇う言葉一つ発せられないのがもどかしかった。

 セイレア様も、閣下も鳥の巣頭さんも悪い人ではないと知っているから、どうか丸く治まってほしいと願うしかない。


「ただ、私がファラのことでご協力させていただけることがあるのなら、是非に私を使っていただきたく思います」


 それから、セイレア様は伏せていた顔を上げて、強い瞳でそれぞれに視線を移しながら硬い声で続けた。


「ファラが襲われた際についても、気に掛かることがございます」








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