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55.迷い込んだ彼女



「……エイトウェイ嬢」

「あ、あの、私」


 鳥の巣頭さんの低い声にか、閣下を除くみんなの注目を一気に集めたことにか、セイレア様は激しく目を泳がせていた。普段はあまり動揺を表に出すような方じゃないけれど、流石にこの状況では取り繕うことができないんだろう。


「こちらで何を? 人払いに立たせていた警護の者を見ませんでしたか? ……それ以前に、立ち聞きというのは感心しませんが」

「いえ、私は、ただ……」

「お身体がすぐれないと伺っておりましたが、このように屋敷の奥まで来られるということは、随分とお加減もよろしいようで」

「――キュウ!」


 突然のセイレア様の登場にしばし唖然としていた私だけれど、棘のある厳しい声を出す鳥の巣頭さんと、蒼褪め、胸元で固く手を握るセイレア様を見て、思わず声を上げていた。

 だって、このままじゃセイレア様があらぬ疑いを掛けられてしまいそう。セイレア様が進んで立ち聞きなんて品の無いことをするような方じゃないというのは、私が一番よくわかっている。


「キュウ」

「……」


 だから、セイレア様をあまり責めないで欲しい。

 鳥の巣頭さんに訴えかけるように鳴き声を上げる。

 鳥の巣頭さんは険しい顔を崩さず、こちらに視線を向けた。その視線がどこか探るようなものなのを感じながら、私も真剣に見つめ返す。

 鳥の巣頭さんが普段の軽さを捨て、厳しく対応している理由もわかっているつもりだ。たぶん、私や、ひいては閣下のためなんだと思う。


 以前、魔獣の子供である私が人語を理解するということを知られたら大変なことになる、という話になったことがある。

 だけど今にして思えば、第三者に知られるのがその程度のことならまだよかったのかもしれない。

 ――ヒトと魔獣が混ざり合っている、という情報は、人語の件とは比べようもないくらいに、知られてはまずい。

 たとえ偶然の結果だとしても、ヒトと別の生き物を混ぜ合わせることが不可能ではない、むしろ可能なのだと証明されたことになるから、この事実が漏れた先によっては、もしかしたら大規模な問題に発展する可能性だってある。

 何か悪いことに利用しようという人たちに知られたら、その人たちは確実により詳しい情報を得るために動くだろうし、そうなれば私は最も重要な情報源として狙われることになる。捕まってしまえば、何をされるかわからない。

 それに、私を囲っている状態にある閣下だって巻き込まれて、最悪の場合は邪魔な存在として命の危険に晒されることだってあるかもしれないんだ。

 そんなの、私だってすごく嫌。

 だから、鳥の巣頭さんが警戒を強めてセイレア様に接している理由は十分すぎるほどわかる。わかるんだけど……、でも、ちょっとだけ待ってほしい。

 セイレア様は今、とても追い詰められていると思う。お母様を亡くされて、姉妹のように育った侍女である私もご自分の所為で行方不明――ううん、きっと今は死んでしまったと思い込んでいて、精神的にとても不安定になっている。

 そんなセイレア様が、悪巧みなんてできるはずがないし、さらに追い詰めるようなことは絶対にしては駄目だ!


「キュウ!」


 セイレア様と会うのは、私が無配慮に飾り袋を見せてしまって、そこに微かについていた血をセイレア様が見つけて倒れてしまったとき以来だ。

 あれから体調は少しずつ回復しているというようなことを鳥の巣頭さんに聞いていたけれど、実際に見るとやはりとてもやつれているように見える。顔色があの日よりも悪くなっているように見えるのは、今の状況の所為か、それともまだ体調が戻っていないのか……。

 不安になりながらセイレア様を見つめていると、私の声に反応してセイレア様の動揺に揺れていた瞳がゆっくりと動き、私のそれにぴたりと合わさった。


「……ぁ」


 セイレア様が、私を見て小さく声を上げた。

 扉口に立つセイレア様と、部屋の奥のソファにいる私。それなりの距離があるはずなのに、急激に距離が縮まったような不思議な感覚がした。

 セイレア様の春色の瞳と私の薄水色の瞳が絡まり、私とセイレア様の周りに薄い膜が一枚被せられたように、二人だけの空間ができあがった気がした。

 束の間停滞した空気は、セイレア様ご自身の言葉で再び動き出した。


「このような状況で、不躾なこととは思いますけれど……、赤い髪、というのは」

「――!」


 程度の差はあれど、誰もが息を呑んだ気配があった。

 セイレア様は、いったいどこから聞いていたんだろう?

 鳥の巣頭さんの顔から表情が抜けたのが横目に映る。

 私は少し焦った。

 別に、鳥の巣頭さんは悪事を働こうとする秘密組織の凶悪な人間というわけではないし、秘密を聞かれたからといって鳥の巣頭さんが直ぐにセイレア様をどうにかするとは思わない。

 でも、いつもは嘘でも笑っている鳥の巣頭さんが無表情になるのは、正直とても怖かった。

 鳥の巣頭さんがどう出るのかわからずに息を呑んでいると、鳥の巣頭さんはちらりと廊下を窺ってからセイレア様の背をやんわりと押した。その動作は思いのほか丁寧で、私はホッと胸を撫で下ろす。


「とにかく、中にお入りください」

「は、はい」


 鳥の巣頭さんに促されたセイレア様がふらりと室内に足を踏み入れる。

 鳥の巣頭さんはきっちりと扉を閉めると、まるで門番のように扉を背にしたまま静止した。何か、セイレア様の退路を断つような形になっているのは、きっと気のせいだよね?


「セイレア・エイトウェイ嬢」

「……はい」

「お尋ねの件の前に、ご覧の通りここには閣下も、そして王妹殿下もいらっしゃいます。そのため、人払いをしたと言っても警備の面で手を抜いた記憶はございません。――本当に、誰とも会わずにここへいらしたのですか?」


 鳥の巣頭さんの口調は、何故か少しだけ柔らかいものに変わっていた。

 そのことを不思議に思いながらも、私は鳥の巣頭さんが言ったことを考える。

 確かに、たとえお屋敷の中とはいえ、王妹殿下がいらっしゃるのに無防備にしているわけがない。

 私がここへ来るまでは誰とも会わなかったけれど、私たちがここへ辿り着いた後にはちゃんと警備が敷かれていたのかもしれない。

 だけど、セイレア様ははっきりと言った。


「誰とも、会いませんでした」


 セイレア様は、鳥の巣頭さんに促されて入室したときからずっと、私から目を逸らさないでいる。

 ひたすらに私を見つめて、何かを確かめようとするみたいに。

 瞳に力強さがほんの少しだけ戻ってきているような気がする。


「声を掛けられた程度であれば、ぼんやりしていた私が気づかなかったという可能性もありますが、もしそれが警護の者であるというなら、この部屋の方へ進もうとする私に声を掛ける程度では済ませないでしょう?」

「……そうですね」


 同意を示したものの、鳥の巣頭さんは小さく眉を寄せた。

 もし、セイレア様が警護の人に会わなかったのだとしたら、警護の人が持ち場を離れたという不手際が発覚したわけだし、もしかしたら……警護の人が害されて、何か危険な人が侵入したという可能性だってあるから、当然の反応だ。


「ではエイトウェイ嬢、貴女はお一人で行動をなさっていたのですか?」


 ――あれ?


 なんだろう、鳥の巣頭さんがまたちらりと扉の方に視線を投げた。まるで「一人ではないんじゃないか」と言っているような仕種に、不安になる。……どういうことだろう? やっぱり、危ない人でも侵入して……


「聖殿におわします偉大なる母、オロイアティス神に誓って、私は一人でした」


 私が嫌な可能性に思い至ったとき、セイレア様が再び断言した。

 女神オロイアティスは、王妹殿下が日々神殿で祈りを捧げる、我が国ギュシュムの守護女神様だ。彼女に誓うということはすなわち、彼女にお仕えする身分である王妹殿下にも誓うということだ。

 それほど真摯に答えているという意味で、セイレア様は女神様のお名前を挙げたのだと思う。


「立ち聞きなどもする予定では……」


 先ほどの台詞とは打って変わって、不安を滲ませて何かを言いよどむ。

 そんなセイレア様にじっと見つめられて、自然と私の胸が高く脈打った。

 ……えっと、恋ではないのはわかってる。なんだろう、昂揚感? 何か、何かが好転するような……


 もしかしてセイレア様――。


 そう、思ったときだった。



「――もしかして、ファラ……なの?」



 ――っ!!


 小さな呟くような声だった。

 でも、セイレア様は確かに私に向かって問いかけた。

 ちゃんと“ファラ”って言った!

 言ってくださったよね!?


「キュウッ!!」

「――え?」

「……」


 私が渾身の力を込めて鳴くと、鳥の巣頭さんが驚いたように声を上げた。身体に回る閣下の腕がかすかにぴくりとしたのも伝わってくる。だけど、今はどの反応にもかまっていられない。

 私は緩んだ閣下の腕から飛び出し、蛙もかくやという勢いでソファの背もたれを飛び越え、全力でセイレア様の元へと走った。

 今の私の身長の三倍の高さはある背もたれを飛ぶという無茶をした所為でちょっと豪快に床を転がってしまったけれど、それも気にならなかった。むしろ、転がった方がちょっと速かったので万々歳だ。


「キュウ!」


 勢いのまま、しゃがんだセイレア様の豊かな胸に飛び込む。やつれて少しボリュームが落ちてしまった気がするけれど、それも今は些細な問題だった。


 ――セイレア様が気づいてくれた!!


「本当に、ファラなの……?」

「キュウッ!」


 いまだ半信半疑のセイレア様に、力強くうなずいて見せる。

 信じられないのも無理はない。

 流石のセイレア様だって、まさか行方不明の侍女が魔獣になっているなんて思わないもの。

 でも、セイレア様は気づいてくれた。

 さっきまで話していた内容は、確かにファラティアの特徴についてだ。閣下が妙に細かく、謎の主観も交えて説明してくれた。

 だけど、瞳の色も髪の色も、決して珍しい色じゃない。それなのに、セイレア様はその特徴を私と結び付けてくれたんだ。

 “死んでいるかもしれない”という疑念を少しでも“生きている”という希望に替えたかっただけなのかもしれない。本当に気づいたのではなくて、そうであってほしいという願いだったのかもしれない。


 それでも。


 ――魔獣の身体なのに、目頭が熱い。

 涙なんて、出ないはずなのに。

 セイレア様の揺れる瞳も徐々にぼやけて、セイレア様の顔がくしゃりと歪んだ。


「ファラ……私のファラ! 本当に、ファラなのね……!」

「キュゥゥ」


 こんな形で、気づいてもらえるとは思っていなかった。

 元の姿に戻れる確信が持てた今、セイレア様の元へはファラティアの姿で、無事な姿のままで、お会いするつもりだった。余計な心配なんてかける必要はないから、ただ元気な姿をお見せして、安心してもらおうと思っていた。

 それがきっと一番いい形だったのは変わらないけれど、でもやっぱり、気づいてもらえて嬉しい……!


「どうして貴女、……いいえ、とにかく無事でよかった!」

「キュウ!」


 はい、セイレア様。

 私、死んでなんかいないです。

 ちょっといろいろあり過ぎて、辛いこともたくさんあったけれど、ちゃんと生きています。

 生きて、ここにいるんです。

 生きて、いたんですよ、ずっと……!


 それをわかってもらえたことが、何より嬉しい。

 状況を飲み込めない他の三人が絶句しているのが気配でわかるのに、今はこの喜びをただ噛み締めたいと思った。







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