51.もう一つの問題
この前、深夜に変化したときの私はどんなだったかな。なんて、――うぅ、考えるまでもないよ!
どうして、どうして毛皮が衣に変わらないのっ!?
人と魔獣が融合しちゃうなんてありえないことが起きたんだから、毛皮が人の服になってもきっと誰も文句は言わないと思うっ!
動揺しまくりな私を気にせず抱えあげようとする閣下からジリジリと距離を取りながら、どこかに隠れる場所はないかと必死で目を動かすけど、テーブルの下くらいしか逃げ場所がない。でもそこは駄目だ。だって横から丸見えだもの! これ以上丸見えは嫌だ! ……うっ。涙が。
もうっ、今まで暢気に“閣下のお腹はあったかいなあ”なんて思っていた自分が信じられない!
仕方がなかったとはいえ、“私は女の子じゃなくて魔獣だから気にしちゃ駄目”なんて言い聞かせるんじゃなかった。
もっとちゃんと恥じらいを持っていれば、閣下と同じ寝台で眠ることなんてなかったし、ましてやお腹の上でぬくぬく暖を取ったりしなかったのに!
――あ。
え、ちょっと待って、お腹で暖を取るってまさか変化のときもっ? もしかして私、ずっと閣下の上に乗っかってたりとか……!
いやいやいや、そんなわけないよね! 人ひとりって結構重たいし、閣下のことだからきっと脇に除けてくれたはず!!
…………。
…………駄目だあっ、脇に除けてくれたって何も変わらないよぉっ!!
むしろ、脇に除けるってことは、改めて無防備な私に触れるってことだ。
魔獣の姿のときに除けてくれたらあるいは、なんてことも考えたけれど、朝起きて閣下の上にしっかり乗っている自分を考えると、色々と無理がある気がする。
考えれば考えるほど、羞恥で身体がポカポカどころかカッカしてきた。
もういっそ、穴じゃなくて水桶でもいい! 思い切り跳びこみたい!
なんて馬鹿なことを心の中で叫んでいたら、いつの間にか閣下の魔の手(?)が直ぐそこまで迫っていた。
閣下の白くて奇麗な手を目にした途端、私はぴゃっと慌てて逃げを打つ。
今はちょっと無理! 閣下に触られたりなんかしたら、爆発してしまう気がする。
ファラティアに戻る前に爆発なんて嫌だ!
と、客間の中を駆け抜けようとしたら――、
「――っと、捕まえちゃった! アハハハハハ!」
「キュゥッ!」
「…………」
鳥の巣頭さんの馬鹿! 捕まえちゃったじゃないよっ。今は空気を読んで見逃してくれるところじゃないの!? 鳥の巣頭さんが私のことで空気を読んでくれたことなんて滅多にないけどっ!
うぅ、なんでそんなに全開の笑顔なのっ、イライラする!
ジタジタと腕から逃れようとする私を押さえ込んで、鳥の巣頭さんは楽しそうだ。無駄に。
「うーん、セレスタの様子を見る限り、色々と勘繰ってしまいますねぇ、閣下!」
「…………」
何かニヤニヤしているような気もする鳥の巣頭さんの言葉に、それでも閣下の表情は崩れなかった。むしろ、意味がわからないというように小さく首を傾げてさえいるのは……、もしかして、私一人で恥ずかしがっているのって、自意識過剰なのかな。
そういえば、この前の夜だって、閣下は私の姿を見ても全然驚いていなかった。表情に表れていないだけかと思ったけれど、実は全然興味がなかったとか……。
――あぅ、それはそれで傷つきます、閣下!
「まあ、どちらにしろ」
「キュウッ!」
どちらにしろ、って何、鳥の巣頭さん!
という突っ込みは、奇麗に無視されてしまった。魔獣語だから当然なんだけれど。
「閣下とセレスタは今日から別の部屋で――」
「必要ない」
「――」
閣下が鳥の巣頭さんの提案を被り気味に遮って、鳥の巣頭さんが言葉を飲みこんでいた。
鳥の巣頭さんは、私と閣下の部屋を分ける、って言おうとしたんだよね。
……そっか、言われてみれば、魔獣のまま過ごす未来がなくなった今、閣下と同じ部屋にいるわけにはいかないのかもしれない。
即刻却下した閣下をちらりと見ると、どことなく不機嫌そうにしているのがわかった。
閣下も寂しいのかな……?
もうずっと一緒に眠っていたし、いつもあった体温が無くなるのって、何だか物足りないというか、そわそわしちゃうものね。
数日前の夜のことを思い出して、そう思った。
あのときの私はセイレア様のこともあって精神的に不安定になっていた所為もあるけれど、それが無くてもきっと、閣下のいない夜は落ち着かなかったと思う。
私が閣下のお腹の上を温かいな、って思っていたように、閣下も私で暖を取っていたのかもしれない。今の私はきっと人よりも体温が高いと思うし。
だけどそもそも、私が本当に魔獣の子だったとしても、高貴な身分であるはずの閣下と同じ部屋で暮らしていること自体、おかしかったんだ。
使用人の監視下や、外に用意された飼育小屋とかに放り込まれても不思議じゃなかったのに、閣下が優しいから、私は閣下と同じ上質な部屋で過ごせていた。
でも、魔獣でさえなくなったら、ファラティアという女の子としてだったら、当然だけど一緒にいては駄目だと思う。
本来の私は、閣下と一緒のお部屋で眠れるような身分でも立場でもない。
閣下は懐が深い方だから、今までは人の姿に変わってしまう私を見ても何か事情があるんだと思って見守っていてくれたのかもしれないし、眠っているとき以外は幼い魔獣の姿だから放っておけなかったのかもしれないけれど、これからはそれを黙って甘受していてはいけないんだ。
そんな考えを代弁するように、鳥の巣頭さんが少し呆れた声で答える。
「必要ないって、閣下……。
セレスタの中の少女の年齢を私は知りませんが、“少女”というからには、まだうら若い女性なのでしょう? 一般的に考えて、未婚の女性と男性が同室で過ごすのは倫理的に許されるものではありません。万一、既婚者であったなら以ての外ですよ」
た、確かに。
ええと、結婚は予定すらないけれど、倫理的に、とか言われてしまうと……。暢気にお腹の上で寝ていてごめんなさい。
「……拾ったのは私だ」
――拾った!
その通りだけれど!
現実を突きつけられて少しだけ沈んでいた気持ちが、閣下の子供っぽい発言に吹き飛ばされてしまった。閣下ってば、まるでお気に入りの玩具を取り上げられそうになっている子供みたい。
「他は関係ない。それのことは私が決める」
それ、と閣下は鳥の巣頭さんの腕に抱えられた私を見つめながら言う。
仮面の奥の瞳がとても鋭く、真っ直ぐで。
ふと、数日前の夜の閣下が思い出された。
ファラティアの姿で接した閣下。
人の姿の私を不審がることもなく、直ぐにセレスタだと言って、受け止めてくれた。
今思えば、それも既にファラティアの姿を見ていたからだとわかるけれど、あのとき、閣下はちゃんとファラティア自身を見てくれていた気がする。
セレスタであったファラティアじゃなく、ファラティアだけを。
そのときの強い瞳が、今の閣下と重なった。
「ええと、私が口を出すことではないかもしれませんが……」
少しだけ固くなった空気を包むようにやんわりと、アリアンナ殿下が口を開いた。
「普通の魔獣の子であれば問題は無いのでしょうか、人を拾うというのは……。その、ですから、……分離が成功しましたら、人の少女の方は事情を尋ねた後に元の場所へ戻して差し上げねばならないのではないでしょうか」
「!!」
その言葉に衝撃を受けたのは私の方だった。
――そうだ、私……。元に戻れたら、セイレア様のお側に戻らなくちゃ……。
不思議なことに、ほとんどそのことに思い至っていなかった。
もちろん、セイレア様に事情を説明して、心労を少しでも軽くして差し上げなくちゃとは思っていた。ファラティアは元気です、って伝えなくちゃ、って。
だけど、それが閣下と離れることに直結していなかった。
セイレア様のところに戻らないと決めていたわけじゃない。それなのに、閣下とも離れるなんて考えていなかった。
考える余裕がなかったと言ってしまえばそれまでだけれど、考えなくちゃいけないことだとたった今、突きつけられたような気がした。
「…………」
沈黙が落ちる。
閣下はただ静かに、じっとこちらを見つめていて、私はどうしたらいいかわからなくなった。
考えることがいっぱいで、頭が、破裂しそう……。
閣下、相変わらず悪びれず。
話があちこち飛んで申し訳ないです。
そろそろ先へ進みたいと思います。