49.近づく刻(とき)
何度目かの沈黙を迎えてしばらく経ったころ、重い空気を割って口を開いたのは閣下だった。
「アリアンナ、魔紋はどうだ」
「全てというわけではありませんが、一部は読み取れました」
「それでいい。話せ」
王妹殿下に対して呼び捨てとか命令形とか、物凄く閣下の口調が気になるけれど、みんな真剣な表情で話しているから口を挟めない。寛容そうなアリアンナ殿下はともかく鳥の巣頭さんも咎めないとなると、こういう口調が許されるだけアリアンナ殿下と閣下は交流があったりするんだろうか。
頭の片隅でそんな疑問を抱きながらも、殿下の言葉に耳を傾ける。
“魔紋”っていうのは、使用した魔法の中に残る模様のようなもののことだったはず。確かこれは、術者の出身国によって違う特徴を持っていると聞いたことがある。
「二つの転移魔法のうち一つは“紋無し”、もう一つは紋が有りましたがどこの国のものかまでは……。申し訳ありません」
「……紋無しか。短時間の探査でそれだけ読めたならば十分だ」
閣下の言葉にアリアンナ殿下はそっと目礼で応える。まるで殿下が閣下の気遣いの言葉に恐縮しているみたい。
何だか閣下の方が身分が高いように見えてしまうのはどうしてなんだろう……。って駄目だ、こんなこと思ったらアリアンナ殿下に失礼だよね! 閣下の態度が大きすぎるのがいけないんだ!
「紋無し、ということはやはりヘゼルダリアが関わっているのでしょうか」
鳥の巣頭さんが眉間に皺を寄せながら呟くように言うと、殿下は一瞬考えるような間を置いてから口を開いた。
「そうですね、可能性は零ではないかと思います。ですが、紋無しと申し上げた方の魔法は基礎はできていても術の構成に甘さが目立っていました。短時間で紋無しだと判断できたのもその所為ですので……」
「なるほど。では、ヘゼルダリア以外の魔力持ちの可能性もあるということですね」
うう、また難しい話になってきてしまった……。
正直魔法についての知識はそれほど持っていないから、私は殿下たちの話を聞くだけで精一杯だ。
でも他でもない私自身に関わる話だから、頑張ってついていかなくちゃならない。
確か“紋無し”――つまり特定の“魔紋”が見当たらない魔法のことだけど、これは基本的にヘゼルダリアで魔法を学んだ人たちの特徴だったと思う。鳥の巣頭さんが“紋無し”と聞いて真っ先にヘゼルダリアの術者を疑ったのはその所為だ。
だけど“紋無し”はヘゼルダリア出身の術者だけというわけでもなくて、ヘゼルダリア以外の諸国でも稀に存在している。
ヘゼルダリア以外のほぼ全ての国が魔力保持者を管理する機関を置いていて、魔力を持って生まれた人はある程度の年齢になると必ず専門の教育を受けることになっているんだけれど、たまに何かの理由で国の管理から外れる魔力持ちがいたりする。そういう人たちが魔法を使った場合、国の特徴が現れない“紋無し”の魔法が出来上がったりするんだ。
魔法は独学で使うのは難しいはずだけれど、でも決して不可能ではないし、何事にも抜け道は存在する。
ただ、そういう術者は基礎があっても応用が出来なかったり、魔法を組み立てる途中で構成がメチャクチャになってしまうこともあるらしい。
魔法を扱えて当然のヘゼルダリア出身者であればそんなこと滅多に無いはずだから、今回のことについてアリアンナ殿下がヘゼルダリアの術者の仕業だと言い切れないのも無理はないのかもしれない。
「――ですが、ヘゼルダリアの者でないとすれば魔法に関する教育を受けていないはずですよね。ならば生物に対して高度な魔法をいきなり行使しようとすること自体に疑問が浮かびます。余程差し迫られた理由があったのか……」
うーん、確かに、鳥の巣頭さんの言うとおり、魔法の扱いが完璧じゃないのに生きた人に……まして、貴重種であるイェオラに高度魔法を掛けるのはおかしい気がする。
国の監視の目を逃れてイェオラを連れ出すこと自体が命懸けと言ってもいいのに、失敗する可能性が高い魔法を使うのは乱暴すぎるような……。
思わずぐるぐると呻っていると、アリアンナ殿下も鳥の巣頭さんに同意するように強く頷いた。
「逼迫した理由があったか、或いは普段は成功していたのに偶々失敗したか――」
「わざと構成を崩した可能性も無いとは言い切れませんね」
絞りきれないなあ……。
考えに沈みそうになった私たちを引っ張り上げたのは閣下だった。
「可能性の話ばかり言っても仕方あるまい。現段階では真相を導き出す要素が不足にすぎる」
私を含め、アリアンナ殿下も鳥の巣頭さんも下げていた視線を上げて閣下を見る。
そうだ、色々と複雑に考えてしまうのは、まだ明らかになっている事実が少なすぎるからなんだよね。もう少し色々なことがわかれば、事実は案外単純だったりするかもしれない。
紋無し以外の魔紋のこととか暗眼がどちらに掛けられていたのかとかがわかれば、もう少し整理できそうな気がする。
「閣下の仰るとおりです。すみません、あまりに不自然な点が多くてつい考えに耽ってしまいました」
鳥の巣頭さんが苦笑して、少し場の雰囲気が和らいだみたいだった。
「先ほどの探査魔法はごく短時間のものでしたから、もう少しお時間を頂けるならより情報を収集できるかと思います」
わあ、アリアンナ殿下ってばなにかとっても凛々しい!
アリアンナ殿下の頼もしい言葉に、私は思わず胸をドキドキさせてしまう。殿下の纏う凛とした雰囲気が高潔そうで、余計に胸が高鳴ってしまうのかもしれない。
だけどそういえば、さっきのほんわり光ったアリアンナ殿下の魔法はあまり時間を掛けていなかったよね。それなのに色々なことがわかったのは、それだけアリアンナ殿下がすごい、ってことなんだろう。
閣下は私のこと……というか飾り袋に残っていた魔法の痕跡を、魔法師団の人たちに調べさせてくれていたみたいだけれど、飾り袋が戻ってくるまでには数日掛かっていたし、師団の人たちはアリアンナ殿下よりも時間を掛けて調べていたはずだ。
もちろん師団の人たちだってお仕事はそれだけじゃないから、他のことと平行して調べていた所為もあるかもしれないけど。
それでも、師団の人たちが数日掛けて調べたことをほんの短い時間で解明しちゃったアリアンナ殿下は本当にすごいと思う。
正直、師団の人たちの立つ瀬が無くて可哀相な気が……。いやいや、ううん、流石はアリアンナ殿下、ってことだよね!
なんたって、アリアンナ殿下はギュシュムで二番目に魔力が強いと言われている方だ。
ちなみに一番魔力が強いのは、前国王陛下でいらっしゃるシェザリウス・アウラ・ベルツバラム大公閣下だ。
大公閣下の魔力は歴代の国王の中でも随一と言われていて、噂では魔法大国ヘゼルダリアの頂点に立つ女王様をも凌ぐと聞いたことがある。
治世下では大公閣下が魔力を行使したことは一度もなかったみたいだけど……。
――あ!
大公閣下と言えば、セイレア様を婚約者候補としてくださっていたはずだよね。あれはどうなったのかな?
候補とした指名があった後は何の音沙汰もなくて、それがセイレア様の無謀なご命令に繋がり、結果的に私はこんな状態になってしまっているわけなんだけれど……。
大公閣下については大まかなお噂しか聞いたことがないけれど、とても謎な方だと思う。
僅か数年とは言え善政を敷いたはずなのに、あまり噂が出回らないこと自体が不思議。
現王は確かに賢王と謳われる方ではあるけれど、決して類を見ないほど歴代の王から突出しているわけでもないはずで、だから現王のお陰で大公閣下の施政が霞んでしまった……なんてことも考えられないのに。
容姿についても、早朝の月のようなお方、と想像できるようなできないようなとっても抽象的な形容しか聞いたことがない。
色々とすごく、謎。
だけど、王としても領主としても優れている方なのは確かだし、性格だって破綻していると聞いたことは無い。容貌だって月のようだと言われるくらいだからきっと素敵に違いない。と私は思っているんだ。
まさに、セイレア様に相応しいお方だと思っている。
だからどうか、セイレア様が候補から外されているなんてことがありませんように……!
そこまで考えて、何か心に引っかかるものがあったような気がしたんだけれど、次に発された閣下の言葉で小さな靄はあっという間に霧散してしまった。
「探査は続けて行なってくれ。
だが何より重要なことは、セレスタを元に戻せるかどうかだ」
その言葉にハッとする。
そうだ、それが一番大事な問題……!
こうなってしまった原因も気になるけれど、人間と魔獣が一つの生物として融合しているなんてあってはならない事態をきちんと解消できるかが問題だ。
私は答えを握っているだろう王妹殿下を見つめた。
魔獣の子と一つになってしまっていると知った以上、どうあってもこのままではいられないと思う。
以前のように、姿の違いだけを受け入れればいいという問題ではなくなってしまったから。
何か、何か方法は無いんだろうか。
「結論から申し上げれば、――不可能ではありません」
――ほ、本当にっ!?
意外にもあっさりと出された答えに驚く。でも殿下の言葉は力強いもので、希望に胸が膨らんだ。
興奮して思わず閣下の腕から身を乗り出したとき、アリアンナ殿下が少し低めた声で先を続けた。
「――ですが、かなり時間が掛かると思います。身体だけ分離すればいいというものではなく、精神、人格――言ってしまえば中身ですけれど、要するに内も外も切り離さねばなりません。
それに、一度融合したものを少しずつとはいえ切り離すわけですから、少女とイェオラのどちらにも相当の痛みが走る可能性が……」
かなり痛いだろうと言われたらやっぱりちょっとは躊躇してしまう。だけど、元に戻れるならどんな痛みでも我慢する! それしか方法がないなら尚更。
「構わない」
私が必死に頷いていたら、その様子を見ていたらしい閣下がとても端的に代弁してくれた。ありがと!
どうやらあれだけ思い悩んだことがアリアンナ殿下の登場であっという間に解決してしまいそうだ。信じられない事実もいくつか出てきたけれど、思ったよりも深刻な問題ではなかったのかもしれない。
私と魔獣の子に術を掛けた人物への手掛かりも少しは集まったと思うし、私が元の姿に戻れれば馬車を襲ってきた賊の話をすることもできる。
でも何より、一度は諦めたファラティアの姿にきちんと戻れるかと思うと、嬉しくて気持ちが逸ってしまう。
早く早く、とアリアンナ殿下を見つめる私に殿下は少しだけ表情を和らげて言った。
「――わかりました。ではまず魔力の流出を防ぐ魔法をかけさせていただいても?」
――魔力の流出を防ぐ……?
魔力ってきっと魔獣の子の魔力のことだよね? ファラティアは魔力なんて持っていないから、魔獣の子ので間違いないはず。でも魔力があると何か問題があるのかな? 今まで魔力で困ったことは……森へ飛ばされたこと以外は何も無かったけれど。
私が首を捻っていると、王妹殿下が先を続けてくれた。
「魔力が体内に流れ続けていると、流れに合わせて定期的に身体が変化してしまうはずです。それを重ねていくのはとても危険ですから、これ以上はヒトと魔獣を行ったり来たりしないようにする必要があるのです」
――……え? “これ以上”?
“ヒトと魔獣を行ったり来たり”……?
魔法や魔紋については、主人公の知識上詳しく書けなかったので、閣下視点の際にもう少し補足をしたいと思います。