46.明かりは一つずつ
アリアンナ殿下はどうして私が元は人間だってわかったんだろう。
ううん、それだけじゃなくて、アリアンナ殿下は『閣下が仰られた通り』って言った。言ったよねっ?
ということは、閣下は私の本当の姿が人間の女の子だって前から知っていたってこと!?
でも、でも閣下が私の本当の姿を見たのは一昨日の明け方の一度切りだ。それもほんの短い間のことで、本来の姿があっちだなんて、わかるものなんだろうか?
普通は、魔獣が女の子に変身した!って思うものじゃないのかな?
そっちの方が、女の子が魔獣に姿を変えていたなんて思うよりずっと自然な気がするんだけれど……。
あ、待って、でも万一あのときにわかったとしても、おかしいよね?
だってそもそも、閣下がお出かけをした翌朝にはアリアンナ殿下がこのお屋敷にいらっしゃると鳥の巣頭さんが報告していた。
つまり、私が始めて閣下にファラティアの姿で会ったときには、閣下はアリアンナ殿下をお屋敷に呼ぶ手配をしていたことになる。
今回の招館の目的がアリアンナ殿下に私の本当の姿を調べてもらうことだったなら、閣下はもっと前に私がもう一つの姿を持ってるって、知っていなくちゃいけないんじゃないのかな。
――えー? ……でも私が本当の姿になれたのなんて一昨日の一度だけだし……。
あ、でも閣下も魔法が使えるから、アリアンナ殿下と同じようにしていつの間にか私のことを調べたとか!
……駄目だ。
だって、それだったらアリアンナ殿下を呼ぶ必要がなくなってしまう。
考えて、余計に混乱してきた。
何がどうなって、この状況にいきついているの?
ぐるぐるする頭を持て余しながら、ポカンと口を開けて閣下と殿下を交互に私が見つめていたとき、果敢にも鳥の巣頭さんが最初に声を発した。
「……すみません、お尋ねしてもよろしいですか?」
主と王妹殿下の手前控えめにだけど、ちゃんと説明しろやー!的な空気を感じた。鳥の巣頭さんには珍しい、ちょっと粗野な雰囲気と引き攣った笑顔。
そりゃあ驚くよね、今まで変わってるといってもただの魔獣を相手にしているつもりでいたのに、いきなりそれが本当は人間の女の子でした、なんて言われたら。
鳥の巣頭さんも普通の人だったんだなあ、と暢気に思っていたら、閣下とアリアンナ殿下が同じような仕種で鳥の巣頭さんを振り返った。
二人に無言で先を促された鳥の巣頭さんが、軽く息をついてから言う。
「セレスタが人間の女性だというのはどういうことですか」
詳しく聞かせてください、と目が言っている。
私も黙って鳥の巣頭さんの質問にどちらかが答えるのを待った。
口を開いたのは閣下だった。こちらも珍しく、ちょっとだけ驚いた雰囲気を出してから、小さく頷いて話し出す。……なんだか、説明し忘れてた、って感じだったんだけれど……。鳥の巣頭さんもそれを感じたのか、こめかみをひくりと引き攣らせていた。
「――セレスタが落ちていた森に複雑な魔力の残滓があったのを覚えているか」
「はい」
「あれに関わる事象だと思う」
――すごい、閣下がたくさん喋ってる……!
おかしなところに感動しつつ、一拍遅れて閣下の言葉の意味を理解する。
森にあった複雑な魔力って……、あれかな、飾り袋を調べていたやつ。
そういえば、セイレア様に気づいてもらうために返してもらうことが優先で、調べた結果については何も聞かなかったし、聞かされていなかった。
あの森と私の変身と、何か関係がある……?
「はあ……。セレスタ、本当なのかい?」
閣下の説明じゃ森の魔力と関係があることくらいしかわからないから、鳥の巣頭さんも微妙な返事をする。ついで、確認するように視線が私に向けられて、ちょっとたじろぎつつも頷いた。
えーと、魔力との関わりはわからないけど、確かに、私はファラティア・リングベルという人間の女の子です……。
「……そうか。――ああ、それで人語を解するわけだ。その部分なら納得がいきますね」
「キュウ」
そういうことです。
そういうことなんだけど……。
何だか急激に私が言いたくても言えなかった事実がぽろぽろと明らかになっていっている。
こんなにあっさり知られるなんて、と何かとても脱力する思いがして仕方が無い。
私の事情を知ってもらえることはいいことなのに、少し複雑な気分だ……。
「それにしても、ヒトを魔獣に変える魔法など聞いたことがありませんが。……セレスタ、君、実はとんでもないことを仕出かして、その罰で姿を変えられたとかだったりするの? それとも誰かに呪いを掛けられたとか……」
「キュウ!」
あまりの想像に私は思いっきり頭を振った。
――何もしていないし、あるかわからない魔法で魔獣に変えられるほど人から恨みを買った覚えはないよ……!
「じゃあ何か姿を変えられるような心当たりは?」
聞かれて、それにも頭を振る。
そもそも、私が住んでいたのはギュシュムだ。一般に魔法が普及しているとは言い難い国。
そんな場所で誰かに恨みを買ったからと言って、姿を変えるような高位の魔法を掛けられるわけがない、と思う。
私が必死に頭を振る姿を見て、鳥の巣頭さんが顎に手を当てながら首を傾げる。
そこで王妹殿下の涼やかな声が割って入った。
「それについてなのですが」
セイレア様の温かでおっとりした声とは違う、少し硬質で、でも澄んだ鈴の音よりも耳に心地のいい声だ。
「たぶん、彼女に掛かった魔法は故意のものではありません」
「――え?」
「……」
声に聞き惚れていたところで、聞き捨てなら無い言葉が。
故意のものじゃない? じゃあ偶然ってこと……?
徐々に私の知らなかったことにも近づいているようで、胸の内で鼓動が速さを増す。
どうしよう、すごく急展開だけれど、私に掛かった魔法の正体がわかるんだろうか?
「完全に把握できたわけではありませんが、おそらく複数の魔法が重なって、偶発的に彼女の身体に影響を及ぼしたのだと思われます」
「偶発的……」
閣下が呟いて、目を細める。何か考え込んでいるようだった。
同じように、鳥の巣頭さんもいつもの軽薄さを無くして真剣な表情でアリアンナ殿下のお言葉に耳を傾けている。
私だって同じ。
この姿になってからすごくすごく悩んだこと、それが明らかになろうとしていて、緊張で鼻先が乾いてくる。
この先一体何を言われるのか、戦々恐々としていた。
――どうか、元に戻れないとだけは言わないで――
「確かに森にも、それからセレスタが自分のものだと主張した飾り袋にも複数の魔力の残滓がありました。“転移”、それから“暗眼”。転移については術者が二人存在したようですから、それを分けて考えると、三種の魔法を浴びたことになりますが――」
ぇえ?
転移と暗眼?
は、初めて聞きましたけど……。
私、どうしてそんな複雑な魔法を使われてしまったの?
私はただの侍女で、元の身分が高いわけでも、特に利用価値があるわけでもなかった。
それを、高度な魔法を二種類、しかも術者が二人もいて掛けられるなんて、信じられない。
「しかし、転移は移動のための魔法ですし、暗眼は高度ですがただの目晦ましです。それらが重なったからと言って、ヒトが魔獣になるなんて……。
そうだ、元は少女と言いましたよね? ……セレスタは歴とした雄のはずですが……」
わあっ、歴とした、なんて強調しないで!
そしてこっちをジッと見ないで!!
いくら魔獣の姿でも、恥ずかしいっ。
だって、そういえば私、身体とか色々……色々洗われてしまっているんだった……!
湯殿でのことが鮮明に蘇って、しかも余計なことに最初の“閣下目撃”の瞬間まで思い出してしまって、一人悶絶する。
どうしよう、戻りたいけど、戻ったら戻ったで困ることがたくさん出てくるような気がしてきた……!
でもそんな私の羞恥と混乱なんて三人とも全然気にした風もなく、話が進んでいく。
アリアンナ殿下が鳥の巣頭さんの言葉に一つ頷いて、とても真剣な眼差しで言った。
「――ええ、先ほどは“元は”人間の少女と申しましたが、正しくは“もう一つの姿が”人間の少女ということです」
「――は?」
「……」
――え……?
その言葉に、何かとても嫌な予感がした――。