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04.やっと気づいた真実



 ――びっくぅぅぅううううっ!!!


 私は見事に飛び跳ねた。

 着地してぱったりと倒れてしまったけれど、直ぐに獣並みの素早さで跳ね起き、いつでも逃げられるように体勢を低くして窓を凝視する。

 なんだか全身の産毛が全部立っているような感覚がした。


 振り返った先の窓にはこちらを見つめる二つの光がある。

 それは、薄汚れた小さな熊のような獣だった。

 全く気配を感じなかったから、振り向き様に見えた瞬間、それはもう驚いた。


 相手もこちらを警戒するように態勢を低くして様子を伺っている。

 窓を突き破られたら、一巻の終わりだ。

 一巻の終わり……。


(って、……あれ?)


 首を傾げる。

 一巻の終わり、と思うには、目の前の獣は大きさが足りない。這い蹲っている私と目線が同じなのだ。ということは、私が起き上がれば相手の頭は私の膝ほどまでしかないことになる。ううん、もしかしたら膝までもないかもしれない。

 私の疑問を感じ取ったように、その獣も首を傾げた。

 なんだか動きがたどたどしい。

 そもそもよく見れば、その獣は全体的に丸みを帯びており、顔もまだ幼かった。


 薄い色の瞳は(つぶ)らで、口は小さく、身体に対して手足がぼてっとしている。

 薄汚れて所々固まってはいるけれど、身体も短い足もふわふわの毛で覆われていて。

 明らかに、幼い獣だ。


(なあんだ! お、驚かさないで……)


 今日一日で何度胆を冷やせばいいのか、本当に衝撃で心臓が止まってしまいそう。


 私はとにかく危害を加えられそうにはない、ということにもう何度目かの安堵の吐息を吐きつつ、目の前の幼い獣を見た。相手も釣られる様に小さな好奇心をその目に宿している。

 私がそっと近づくと、その子もゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。なんて人懐っこい子なんだろう。

 どこから入り込んだのか、このお屋敷の警備は大丈夫なのか心配になったけれど、まだ牙も生え揃っているかどうか怪しい幼獣だから、とりあえずの心配はないだろう。

 朝になったらお屋敷の人にちゃんと教えてあげなければいけないけれど。

 直接触ってみたい。でも、部屋へ招き入れて何かあっては助けてくれたかもしれないお屋敷の人に申し訳ない。

 そう思って、私は窓越しにそっと手を伸ばした。その子も私の動作をなぞる様に対面する側の手を伸ばしてくる。

 窓に触れる前、ぱっと手を上げると、その子も同じように挙手をした。


 真似っこが上手だね。



 ……わかってる。私も流石におかしいと思ってた。


 私に全く遅れることなく同じ動作を繰り返す幼獣は、輪郭がぼやけている。その上、透き通ってもいて、やけに平面的でもあった。ここにきて幽霊(ゴースト)とかだったら笑えないけれど、もう、明らかに、その幼獣は窓の硝子に映っている像だった。

 信じたくないけれど、私の動作に比例する動きを見ればそれが私を映している像だっていうことも、わかってしまった。


(誰か、嘘だと言って!)


 いくら心で叫んでも、実際に眼の端に映る、顔の横に上げたままの私の手は薄汚れたふわふわの毛で覆われていた。

 辿るように下に目を向けると、ぽてっとした毛むくじゃらのお腹が見えて。


 私は天を仰ぎながら、再びぱったりと意識を失ってしまったのだった――。




 ――神様の意地悪。




 ◆◆◆◆



 柔らかい日差しで、意識が浮上した。

 カーテンの開け放たれた窓から差し込む朝日がちょっと眩しい。誰か、閉めて欲しい。

 そう思ったところで、私は跳ね起きた。

 侍女の一日は早い。

 主よりも遅く起きるなど有り得なくて、大抵は朝日が昇り始める頃には起き出して、主を起こすまでにすることが山ほどある。

 寝坊だ! と思ったけれど、目に飛び込んで来た景色で現実に引き戻された。


 侍女の小さな部屋など比べようもなく広い部屋と、品の良い調度品。


 ――そうだった。昨日は……。


 色々ありすぎて混乱しそうだけれど、ちゃんと覚えている。

 夢だったらどんなにか良かったのに。

 見下ろした身体は冗談ではなく毛皮で覆われていて、夢ではない現実を突きつけられた。

 明らかにまだ子供の獣の姿だ。


 ――どうしてこんなことに?


 私が何をしたって言うんだろう。

 誓って、犯罪に手を染めたことはないし、意図的に誰かを貶めたことだってない。

 極普通に、一介の侍女として一生懸命、仕事を全うしてきただけなのに。


 セイレア様の無謀なご命令を、受け入れたのが悪かった?

 でも、セイレア様にはご恩がある。

 それに、セイレア様だって悪い人ではないんだ。たまに悪魔と友達なんじゃないかと思うときはあるけれど、小さな頃から身分の低い私にもとても優しく温かく接してきてくれた。

 私はきっと、セイレア様がいなければ、今まできちんとした生活なんて送って来れなかったと思うのだ。

 だから恨み言を言ったとしても、憎んだりなんてしない。


 だけど、今のこの状況をどう受け取めたらいいのか全然わからない。


 項垂れ身体を丸めて考えるけれど、思い当たるのは昨日、馬車が賊に襲われたときに感じた痛みだけだった。

 賊に襲われた挙句、物凄い痛みを感じ、目が覚めたら見知らぬところで獣の姿になっていた。――って、流石に酷すぎるよね?


 もう何が何だかわからなくて、泣きたくなってしまった。

 昨日までは冷静に状況を判断して、なんて考えていたけれど、身体が獣の姿に……なんて、私の予測の遥か斜め上を跳びすぎていて、どうしていいかわからない。


 泣きたいのに、獣の姿の所為か、涙が出てこなかった。


「……キュゥ」


 もう嫌だ、って言ったつもりなのに、口から出てきたのは幼い獣の小さな鳴き声だけだった。


 ――本当に、どうしたらいいの。




 どれくらい丸まって項垂れていたのか、日差しが目に見えて強くなってきた頃、私は身体を起こした。

 項垂れていたって、何も変わらないことに気づいた。……嫌でも気づかされた。

 時が過ぎるだけで、身体は元に戻らない。

 だったら、ちゃんとこれからを考えないといけない。

 立ち直りの早さが、私の唯一と言ってもいい取り得だもの。


 そう気を取り直すなり、私は嫌な気持ちを振り払うように頭を振った。

 ちなみに、獣の姿なので、身震いしたように見えたと思う。悲しいことに。

 それはもういいとして、一度、整理してみよう。

 私は首を捻りながら、昨日のことを振り返ってみた。


 馬車で賊に襲われたとき、押しつぶされるような圧力を感じた後、背骨を砕くような痛みに襲われた。

 意識を失って、気づいたらこの大きなお屋敷の寝台の上、獣の姿になっていたんだよね。

 普通に考えると、何かの魔法を掛けられてしまったのかと思ったけれど、直ぐにその可能性を否定する。

 だって、セイレア様に身代わりになれと言われたときにも考えたけれど、色素を変える、あるいは目に錯覚を起こさせて姿を違ったものに見せる、という魔法でさえとても高度なものなのに、人を獣に変えるような、自然の理を破壊する魔法を使うことなんて、今のこの国の魔術師にはできないはず。


 遠く、険しい山に隔てられた先の大国ヘゼルダリアにならばいるかもしれないけれど、高い山脈に遮られている所為で、ここギュシュムとはあまり親交が深くない。

 へゼルダリア自体、閉鎖的な国でもあるから、高度な技術を持った魔術師を軽々しく他国に派遣することはないし、脅威となるであろうヘゼルダリアの魔術師をギュシュムに限らず、他国だって簡単に国に入れさせたりしないのだ。もちろん、入国させたとしても厳しい監視がつくのは必然的なことだ。

 要するに、人を獣の姿に変えることなんて、国家規模の何かが動いていない限りは無理。

 そして、そんな大きな動きの対象に私がなるはずがないんだ。


 ということは、考えられることは一つしかない。


 やっぱり私はあの、馬車での出来事で、死んでいたんだ。

 目的はわからないけれど、あの身体がばらばらになるような痛みを思い出せば、それは納得できるものだった。

 悲しくても信じたくなくても、それはきっと事実なんだ。

 そして今、獣の姿で鼓動を刻んでいるということは。


 ――生まれ変わった、ってこと……なのかな?


 転生したにしては、前世の記憶が鮮明なことが疑問だけれど、そう考えると、1年前に既に成人しているはずの私が、まだ生まれて数ヶ月ほどに見える幼い獣の姿であることも納得できる。

 きっと転生して生まれた後、数ヶ月は前世の記憶もなく、普通に生活していたんだと思う。

 その後、何かが起きて倒れているところをこのお屋敷の方に拾われた。ファラティアであった頃のことを思い出したのも、その時かもしれない。


 これなら、辻褄が合う。


 獣の姿なのに、人であった頃の記憶を思い出してしまったことは障害にしかならない気がして仕方がないけれど、今はそれは考えない。

 獣であるなら、獣であることの面白さを見つけないと。


 楽しみを見つけて、生き抜いてみせる。


 決意が固まったら、どこかすっきりとした気持ちになって、何だかまた眠くなってきた。


 セイレア様は、連絡のない私を心配しているだろうか。

 今この時がファラティアであった頃の時間軸と同じかわからないけれど、セイレア様には、自分を責めたりせずに幸せになって欲しい。

 私はセイレア様の第一の侍女だったけれど、仕事は誰か他の人が代わりにちゃんとこなしてくれるはずだ。

 忘れられるのは悲しいけれど、私の居た頃と変わらない日常を送って、天使のように微笑んでくれていたらいいな。


 そんなことを考えながら、うつらうつらとしてしまう。

 暢気のんきかもしれなけれど、暖かい日差しと、身体の下からもほんのり熱が伝わってくる所為だ。

 ちょっと硬いけれど、寝心地は悪くない。


 あれ、と思って私は頭上を振り仰いだ。


 ごく薄く青みがかった白い布がゆるゆると私の右の壁から下がっていて、中ほどで合わせたように折り重なっているそれは、ソファを伝っている。その布の上に私は寝転んでいたみたい。

 そういえば、いつの間にソファに?

 この布ってなんだろう? と思って、何気なく上を見たんだけれど……。


 私はまたしても転がり落ちそうになった。


 “ソレの膝の上”から。


 見上げた先には、昨夜見たきらきらしい白い仮面の人形様――なんだか、様付けしたくなるような雰囲気なのだ――がこちらを見下ろしていた。


 ――何で? え、……何で?


 この人形様、昨日はソファに気だるげに寝かされていなかった?

 今やその人形はきちんとソファに腰を降ろしている。

 そしてその膝の上に、私は寝ていたのだ。

 白い布は人形様の衣服だったみたいだ。


 私は大混乱でじりじりとその人形様の膝の上から降りて、ソファに移った――転がり落ちるように降りた。

 昨夜は窓の前で気絶したはずなのに、気を失っている間に無意識に人形様の膝の上に移動した、とかじゃないよね……?


 ――――コンコン。


 混乱の極みにいるとき、静かに扉を叩く音が聞こえ、次いで返事を待たずに扉は開いた。

 ……扉を叩いた意味はあったの?

 仮にも女の子の部屋――っと、そうだった、私は今、幼獣の姿なんだった。


「あれ、起きたんだね?」


 入ってくるなり気安い口調で口を開いたのは、栗色の、無造作に過ぎる奔放な髪型の青年だった。






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