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38.焦りの代償



「あ……」

「……――キュゥッ!」

「まあ、ごめんなさいね?」


 自分に喝を入れて意気込んでいたのに、セイレア様にぼとっと床に落とされた……。うぅ。お尻が痛いです、セイレア様……。

 緊張で鼓動が早鐘を打つくらいだったのに、何だか一気に脱力してしまった。

 “まあ”って……。セイレア様、全然悪いと思ってないでしょ……。


「怪我はしていない?」

「……キュ」


 微笑みながらもう一度抱き上げられた。

 閣下や鳥の巣頭さんと違って、セイレア様の細い腕は少し安定感に欠ける。私の身体は幼獣といってもそんなに軽いわけじゃないから、セイレア様のたおやかな腕では折れてしまうんじゃないかと気が気じゃなかった。


「ふふ。やっぱり抱き上げてみると思ったよりも大きいのね」


 ……う。

 はい、そうなんです……。


 閣下も鳥の巣頭さんも背が標準よりも高いからたまに私も自分の大きさを忘れそうになるけれど、確かに私って大きい。猫の仔や犬の仔よりもずっと大きいと思う。閣下の膝に乗ると少し余裕があるけれど、セイレア様が抱えるともうそれだけで目一杯だ。


 少し覚束ない足取りながら、何とか再び落とされることなくソファに下ろされた。濃紺の落ち着いたドレスの裾を捌いて、セイレア様も隣へ腰を下ろす。機嫌の良さそうなセイレア様は、終始笑顔で私の顎をとった。


「こちらを見て、セレスタ。……ああ、本当に綺麗な色。ファラと全く同じ……」


 感嘆するように吐息を零して、セイレア様はギュッと私を抱きしめた。

 その言葉でわかった。セイレア様がどうして一度、それもほんの僅かの時間しか会っていない魔獣姿の私に会いたいと言ったのか。セイレア様はもともと動物好きというわけじゃない。躊躇なく抱き上げられるくらいには嫌いじゃなかったと思うけれど、他人のお屋敷に訪問しているときに無理を言ってまで会うことを望むほどには好きじゃなかったはず。それでも私には会いたいと言ってくれた。これってたぶん、イェオラである今の私の瞳といなくなったファラティアの瞳の色が一緒だったからなんだ。

 セイレア様は気づいているわけじゃないだろうけれど、今の私の姿の中に、ファラティアを見てくれているんだ。


 ――セイレア様、ありがとう……。


 嬉しくて、胸が一杯になる。

 やっぱり、セイレア様にはどうしても知ってもらいたい。私のこと。

 元に戻れないとしても、ファラティアがここにいるって認識さえしてもらえてたら、それだけでも救われる気がする。私も、……セイレア様も。

 そう思って、予定通り飾り袋を見てもらうために身体を離そうとしたときだった。


「……っ……」


 ギュッと私を抱きしめていた腕に力が入り、セイレア様の身体が小刻みに震えているのを感じた。嗚咽を必死で堪えているような気配が伝わってきて、私は突然のことに息を飲んだ。そのまま身動きが取れなくなってしまう。


 ――セイレア様……? どうしたの?


 動揺してしまって声を掛けることも忘れ身を固めていると、セイレア様がこくりと一度唾を飲んで私の白い毛皮に顔を埋めたまま言った。少し硬い声だった。


「ヨリナ、申し訳ないのだけれど、何か軽食を持ってきてはくださらない? 私、お昼をまだ戴いていなくて……」

「……。ですが……」


 明らかにセイレア様の様子がおかしいことに、侍女長さんも困惑しているみたいだった。加えて、鳥の巣頭さんから私に注意を払うように言われていると思うから、席を外してしまうことを躊躇っているんだろう。

 だけどセイレア様はいまだに私の身体から顔を上げずに、すごく申し訳なさの滲んだ声で続けた。わざとか細い声を演じている感じがする。


「せっかくだから、セレスタと食事を取りたいの……駄目かしら? 時間外に申し訳ないのだけれど、お腹が空いてしまって……。エイトウェイ家の侍女には今お遣いを頼んでしまっているの」

「……。承知いたしました。少々お待ちくださいませ」


 侍女長さんはセイレア様の弱弱しい声に観念したように了承して、部屋を出て行った。セイレア様付きの侍女もいないと聞いて本当はこの場を離れるべきではないとも思ったんだろうけれど、伯爵家の令嬢に頼みごとをされて無碍にもできなかったんだろう。板ばさみ状態の侍女長さんをちょっとかわいそうに思った。

 でも、セイレア様からすれば、今の姿を閣下のお屋敷の人に見られるのは抵抗があったんだと思う。それを証拠に、侍女長さんが完全に部屋を出ていったのを確認して、セイレア様は私の身体から顔をあげた。


「……ごめんなさいね、セレスタ」


 “ふわふわの毛が濡れてしまったわ”そう、晴れ渡る空の瞳を潤ませて、セイレア様は悲しげに微笑みながら言った。

 鳥の巣頭さんは私の奇行を“情緒不安定”と誤魔化しで言っていたけれど、たぶん本当に情緒が不安定なのはセイレア様の方だ。昨日会ったときも、泣き出しそうなお顔をしてらっしゃった。鳥の巣頭さんの出現で堪えたようだけれど……。

 これも、私がいなくなった所為なのかな……?

 心配を掛けてしまっていることが申し訳なくて言葉に詰まっていると、セイレア様がぽつりと小さな声で言った。


「……私の話を聞いてくれるかしら?」

「……キュウ」


 それは、どこか疲れの滲むような声だった。


「半月……いいえ、まだそれほど経っていないはね。一週間と少し前かしら? ――母が亡くなったの」


 ――え!?


 そんな、奥様が……?

 急な告白に言葉が見当たらない。


「元々病気がちだったのだけれど、急に体調を崩してしまったの……」


 確かに、奥様はあまり身体が丈夫ではなかった。セイレア様よりも線の細い方で、あまりお部屋から出ることもない方だった。でもとても優しい方で、いつも旦那様の側で幸せそうに微笑んでらっしゃる印象が強い。

 私がセイレア様のお屋敷を出たときは元気でらっしゃったのに、私が閣下に拾われて少しの頃……一週間以上も前にお亡くなりに……?


「ファラの行方がわからなくなって探すことに気を取られていた私は、母の体調の変化にも気づけなかった。私が滅入っていることで、母は自分の体調のことをきっと父や使用人にも口止めをしていたんだわ。死に際に側にいてあげることもできず、私が知らせを聞いて駆けつけたときにはもう息を引き取っていた」


 そんな……。


 私に責任のあることじゃないとはわかっているのに、どうしても申し訳ない気持ちになる。私がこんな状態になっていなければ、セイレア様はお母様の側にいられたはずだ。せめてセイレア様の下へ帰れるように努力していたら、事態は変わっていたかな? ……ううん、そんなことはない。あのときの私にはイェオラの姿を受け入れることで精一杯だったし、転生したのであればセイレア様が生きているかどうかもわからないと思っていたんだもの。

 でも、これでわかった。セイレア様がこんなにやつれてしまったのは、私のことに加えて、奥様がお亡くなりになられたことが大きかったんだ。

 私のことでさえも自分を責めていらっしゃったセイレア様。きっと、奥様のことでも、自分を責めている。セイレア様は悪くないのに。


 私ははらはらと涙を流すセイレア様を見ながら、どうすることもできずにただセイレア様の話を聞いているしかなかった。

 人の姿であれば抱きしめてあげることもできたのに、今はそれが出来ない。だから、そっとセイレア様の膝に身体を摺り寄せるくらいしか出来なかった。それでもセイレア様は、私の背を優しく撫でてくれた。


「私はどうしたらいいのかしら……。もし、もしも、ファラが見つからなかったら……」


 そう言ってまたくしゃりと顔を歪める。

 そんなセイレア様を見て、このままじゃ駄目だと思った。

 やっぱり、私がファラティアだってこと、何が何でも気づいてもらわないといけない。

 生きていることさえ分かれば、セイレア様も少しは元気になってくださるはず。他の悩みを増やしてしまうかもしれないけれど、生きているだけでもよかったと、そう思ってくれると信じるしかない。

 私は急いでセイレア様から身を離した。首元の飾り袋に気づいてもらうため、座り直して前足や後ろ足を使い、首から外そうと試みる。


「ファラを見送ってから数日後、何の音沙汰もないことで不安になって、すぐに馬車の行方を捜したの。馬車は見つかったわ。御者も護衛も。けれど、ファラだけが見つからなかった。誰かに話を聞こうにも、……御者も護衛の者も殺されていたわ」


 もぞもぞと一生懸命もがくことで、飾り袋がやっと首から抜けた。

 その作業に没頭していた私は、このときのセイレア様の様子も、話されている内容もあまり注意を払っていなかった。もっときちんと集中していればよかったと、後悔するのはそれからすぐだった。


「キュウ!」


 鳴いて、足元に落ちた飾り袋にセイレア様の注意を促す。どこか遠くに視線を投げていたセイレア様が、ゆっくりと下を向いた。


 ――セイレア様! これ、ファラの飾り袋です! セイレア様がくださった原石も入っています!


 心の内でそう叫びながら、セイレア様の様子を窺う。

 セイレア様の何処かぼんやりとしていた視線の焦点が飾り袋に合わさって、みるみるうちに目が見開かれていった。


「そんな、……まさか――!」


 飾り袋を震える手で拾い上げ、セイレア様が息を飲む。

 気づいてくれるといい。イェオラである今の私とファラティアの共通点。そして、ここに飾り袋があるということ。セイレア様なら、この不思議を心に留めて考えてくれると思った。


「嘘よ、そんな……」


 だけど、セイレア様の様子がおかしい。元々あまり良くなかった顔色がどんどんと失われていく。唇まで青くなり、ふるふると震えるそれをセイレア様が細い指先で抑えた。


「ああ、どうして……!

 あの子だけ見つからなかった。だからきっと、何処かで生きていると信じていたのに……!

 ……これはあの子の、血……? そんな、そんな…………」


 ――えっ!!?


 セイレア様の手から飾り袋が零れ落ちて、私は慌ててそれを覗き込む。

 確かに、小さな血の痕が残っている。でもそれはほんの少しで、私は全然気づかないくらいだったのに。

 定かではないけれど、きっとこれは賊に襲われたときの血じゃないと思う。森で飾り袋を発見したとき、ちょっと乱暴に落とされたりしたし、閣下に引き摺り出されたりもしたから、そのときにほんのちょっと血が出てしまったんだと思う。

 だけどそれを伝える術がなくて、半ば恐慌状態のセイレア様を呆然と見上げるしかない。


「私はお母様だけじゃなく、ファラまで失うの……っ!?」


 叫びにも似たその言葉を聞いて、私は完全に時機を間違えたことを知った。

 冷静に見えても情緒不安定な状態にあるセイレア様。そんなセイレア様が奥様やファラティアのことを思い出している状況で、飾り袋を見せるべきではなかった。そこに血がついていたことも、大きな誤算だった――。






簡単に気づいてはもらえませんでした……。


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