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34.儚い華



「――まあ、あなた……。もしかして、イェオラではないの?」


 その声を聞いたとき、あまりの衝撃に頭も身体も石像のように固まってしまった。

 ふわりとドレスの裾を掃い、優雅な仕種でしゃがみ込んだその人の青い瞳を見て、呼吸までも止めてしまう。


 ――セイレア……様……?


 こんな形で再会するとは思っていなかった。

 閣下のお部屋に閉じ込められていたときは、セイレア様がもう一度内庭に出ていらっしゃるかもしれない、と思うことはあったし、内庭に出たときにそれを期待していなかったと言ったら嘘になる。

 だけどそれは本当に薄い期待で、不意打ちの再会に全然心の準備が出来ていなかった。


 ――こんなことってあるの……? 本当にセイレア様? 幻じゃ……ない?


「驚かせてしまったかしら。ごめんなさいね? でも緑の中に白い塊が動いていたから、私も驚いたのよ?

 背中の一本筋は確か、イェオラの証だと聞いたのだけれど。……こちらのお屋敷で飼われているの?」


 暖かい声。陽だまりみたいな微笑。笑うと眉尻がちょっとだけ困ったように下がる。


 ――セイレア様……だよね……?


 せっかく話しかけてくれているのに、その姿が目の前にあることが信じられなくて、どんな反応も返せない。呆然と目を見開いて固まる私に苦笑して、セイレア様がそっと手を伸ばしてきた。思わずびくりと肩が揺れてしまう。


「怯えないで。何もしないわ」


 そう言いながら、そっと頭を撫でてくれた。その感触が、これが幻なんかじゃなく夢でもないんだと教えてくれる。

 じわじわと、本物なんだという実感が胸に込み上げてきた。


 ――セイレア様……。


 やっと会えた、セイレア様っ。


「――っ」


 確かにセイレア様だと思えたのに、今度は喉が詰まって言葉が出ない。私はぐっと身体に力を入れて、湧き上がる感情に耐えた。そうでもしないと、衝動のままセイレア様に飛びついてしまいそうだった。


 目の前に見るセイレア様は、やっぱりお痩せになったように感じる。前から細かった指が余計に細くなられたように思うのは、私が魔獣の姿だからかな?

 セイレア様は優しく私の白い毛並みを撫でてくれる。撫でながら、私をじっと見つめて言った。どこか儚げに見える微笑を浮かべて。


「……綺麗な瞳ね」


 その一言に驚いた。

 そうだ、私、姿はイェオラになってしまったけど、瞳はファラティアと同じ色なんだった。今の私の名前はセレスタで、それは閣下がつけてくれた。魔獣の姿は受け入れ難く、辛いけれど、名前は気に入っている。


「私の大事な子も、あなたみたいな澄んだ瞳をしていたのよ。薄水色の宝石みたいな瞳。セレスタイトによく似た色で、私は大好きだった」


 そう話すセイレア様に、泣きそうになる。

 閣下も私の瞳を宝石に例えてくれた。この場所で、頑張っていこうと思わせてくれた人。

 そしてセイレア様は、私が自分自身の瞳を好きになる切っ掛けをくれた人だ。私が辛い思いをしていることに気づいて、そっと励ましてくれた。私なんかよりずっと前向きで、物事を悪い方向へ考えない人だった。


 ――なのに、どうしてそんなに暗い顔をしているの……?


 セイレア様の春空の瞳が、見る間に雨を降らせそうに水分を含んで濡れ始めた。その瞳があんまり悲しげだから、私の胸もぎゅうと締め付けられたように苦しくなった。


「でも、いなくなっちゃったの……」

「――っ!」


 ああ、やっぱり、心配を掛けてしまっていた。

 ううん、それどころか、私のことでこんなに悲しませてしまっていたなんて。

 両手で顔を覆ってしまったセイレア様は、今にも儚く消えてしまいそうで、その頼りなさに胸が痛んだ。いつもは陽だまりみたいに笑う方なのに……。


「私の所為だわ……。私が、おかしな提案などしたから……」

「キュウ……!!」


 ――違うよ! セイレア様の所為なんかじゃない……!


 私は咄嗟に叫んでいた。

 あのとき、確かにセイレア様はちょっと無謀なご命令をなさったと思う。だけど、ちゃんと護衛をつけてくれていたんだもの。その護衛を凌駕するほどの力のある賊があの辺りの街道に出るなんて、私だって考えていなかった。それくらい安全とされる場所だったんだ。


 閣下のお屋敷へ来てから、セイレア様が私のことを心配してくれているだろうとか、私がいなくなって悲しんでいるだろうということは想像していた。でもまさかご自分を責めていたなんて……。

 今このとき言葉が通じないことが、本当にすごく悔しい。これじゃあ、誤解を解いてあげることもできないんだもの。


 やっぱり見れば見るほど線の細くなったセイレア様。

 ハニーブロンドの髪は以前よりも艶を失ったように見えるし、肌は白を通り越して青白く見える。春の瞳は精彩を欠き、元々細かった手首は折れそうなくらいだった。


 私のために、こんなにやつれてしまったの……?


 申し訳なくて、でもそれくらい大切に思ってくれていたかと思うと、不謹慎にもどこか嬉しいと思う自分がいる。


「ねえ、あなたは、知らない……? 私の妹みたいな子なの。私のファラ。きっと生きているわ。ただ何処か遠くにいるだけ……。でも泣いているかもしれない。辛い思いをしているかもしれない。あの子が前向きなのはそう在りたいと思うからで、本当はそんなに強い子じゃないの。早く、見つけてあげなくちゃ……」

「キュウ! キュウッ!!」


 そう自分に言い聞かせるように言うセイレア様の膝に、私は思わず飛びついてしまった。淡い桃色のドレスが汚れてしまうとか怖がられてしまうかもとかはもう考える余裕もなく、必死に鳴いて訴える。


 ――私、此処にいるよ! 生きてる! ちゃんと生きてるよ!


 辛くて、悲しくて、悔しい思いもしたけれど、優しい人たちに拾われて、ちゃんと生きてる!


 だからそんなに苦しまないで――!


 心からの声も、やっぱり魔獣の鳴き声でしかなくて、きっとセイレア様には伝わらない。悔しくて、もどかしくて、どうしていいかわからなかった。


「ありがとう、慰めてくれているのね」


 うるさく鳴き声を上げる私をセイレア様は嫌がることなく優しく撫でてくれる。嬉しいけれど、そうじゃないのに……。

 そこで初めて私は、自分のことをどうやってセイレア様に伝えるかを考えていなかった莫迦な自分に気づいた。

 セイレア様に会いたいと、会って私が生きていることを伝えたいとあれだけ考えていたくせに。考えなしで、セイレア様ならわかってくれる、なんて他力本願なことを考えていたんだ。

 こんなことで、どうやってセイレア様を安心させてあげられるっていうんだろう。どうやってセイレア様にファラティアは私だってわかってもらうっていうんだろう。

 あまりの考え足らずさに、自分に失望してしまう。


 私ってば、本当に駄目駄目だ……。


 でも、そうやって落ち込んでいるだけじゃ駄目だということも、私はもうわかっている。間違っても、自分の気持ちに浸ったりしちゃいけないんだ。だって、ただ沈んでいるだけじゃ、私を支えてくれる周りの人たちに何もして上げられない。

 だから、今からでも考えなくちゃ。

 どうしたら、セイレア様に私がファラティアだって気づいてもらえるか。

 瞳の色だけじゃ、絶対にわかってもらえない。そんなささやかな共通点じゃなくて、もっと決定的な何か――。

 そう考えていたとき、小さくこちらへ駆けて来る足音が聞こえた。







ファラも少しは成長しているでしょうか?



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