幕間 落ちる砂 積もる砂
「閣下、明日の会食についてですが――」
「……」
シェザリウスは、夜の執務室にてセネジオからもたらされる明日の予定に辟易としていた。
ここ数日の間、普段の執務に加えセレスタのことでやらなければならないことが増えた。それ自体は苦にはならないが、そこへ婚約者候補への対応が加わると、途端にうんざりした気持ちになる。
実の無い相手、実の無い話。そうして実の無い時間を過ごすことに何の意味があるのか。
婚約者候補は四人いるが、一人は何処か心ここに在らずといった様子で、一人は怯えきっている。主に話すのは残りの二人だが、これが全く興味の無い話をたらたらと垂れ流すだけなのだ。妙に耳に絡みつく甘ったるい声は作り物めいて聞こえ、顔を見えればこちらもまた然り。他人のことなどどうこう言えた義理でもないが、それにしても無為な時間だと思ってしまう。
貴重な時間が、どんなに意味を見い出そうとしてもできない無駄なものとして費やされていく。そんな気がしてならなかった。
候補者たちとの予定を話半分に聞いていても、セネジオもまた理解しているのか苦笑を零すのみだ。ならば何故、と思わなくもないが、上のお達しなのでは仕方がないのだろう。
咎められぬのをいいことにぼんやりと聞き流していたシェザリウスに、セネジオは一度咳払いで注意を促すと、いくらか真剣みを増した声で言った。
「ここからが重要ですよ、閣下」
魔法光の灯りを見るともなしに見ていた視線をセネジオへと移す。目だけで促せば、セネジオは一つ頷いてから話し始めた。
「好奇心に塗れた魔法師団の研究者たちが、飾り袋と森にあった魔力の痕跡を解読しました」
その一言にシェザリウスの眉がほんの僅かぴくりと反応した。
やっとか。思わずそう心の内で呟いてしまったが、よく考えれば随分と早い結果だ。
初めは魔力の内容までは分析できない可能性が高いと言っていたにも関わらず、数日で解読してしまうとは。
もしかすると、高度で複雑な魔法が使われた気配があるという事実が、魔法師団の研究魂に火をつけたのかもしれない。或いは、何よりも優先しろと脅しを掛けたのが成功したのか。
どちらにしろ、のんびりと構えてはいられないこちらとしてはありがたいことだ。
シェザリウスは聞き逃すわけにはいかない、と心持ち姿勢を正した。
「飾り袋と森の地面、二つには共通した術が使われた形跡がありました」
共通ということは、やはり飾り袋はセレスタが所持していたのだろうか。
「……それは?」
「はい、二つに共通するものは“転移”、とのことです。
やはり、セレスタはどこか別の場所から転送されたと考えるべきですね。これは裏の森にイェオラは生息していないので当初から予想はしていたことです。ただどうやって連れて来たのかと思っていましたが……。魔法を使ったとなると、色々と絞られてきそうですね」
ギュシュムでの魔法使用率はそれほど高くない。一般に普及しているものでもないため、かなり的は絞られるだろう。
シェザリウスが小さく頷くと、セネジオは続けた。
「しかし、問題は“転移”という魔法自体は共通していても、飾り袋と地面の魔力では使用者が異なるということです」
シェザリウスは眉を寄せた。
セレスタが自分のものだと主張した飾り袋はセレスタを見つけた辺りの地面に落ちていたというのに、別々の魔法師が術をかけたというのは、どういうことなのか。セレスタか、或いは飾り袋を先に送り、どちらかを後から送ったというのだろうか。だが、そんな必要性がどこにあったのだろう。
貴重種であるイェオラに危険を伴う“転移”の術をかけるなど国の許可が下りるはずもなく、明らかに後ろ暗い理由があるのは間違いない。それなのに、セレスタとの関わりを引き出し素性を突き止められかねないものをわざわざ同じ場所に送るというのは考えにくいことだった。
思案するシェザリウスに、セネジオもまた声を低くする。
「私もおかしいと思い考えてみたのですが……。
飾り袋はセレスタが自分のものだと主張していましたが、もしかしたら当時身につけていたのはセレスタではないんじゃないですかね? 例えば、セレスタを転送した者とは別に、飾り袋を持った何者かも“転移”を使って同時に森へ行き、そこで偶々飾り袋を落とした、とは考えられませんか?」
「……セレスタと同じ場所への“転移”が成功したなら、セレスタを放って立ち去った理由は?」
「そうですね……。たとえば、セレスタよりも先に飾り袋を持った者が“転移”したけど、何か予期せぬ事態が起きてその場を離れなければならなかった。その後、予定通りセレスタも転送されたが、彼を連れて行く役目だった何者かは既にその場には居なかった。――とは考えられませんか?」
シェザリウスは首を振りながら答える。
「――否。その可能性は否定できないが、だとしても、セレスタと別れて“転移”する必要がどこにあったのか。
元来合流するつもりであったなら、ともに“転移”した方が転移直後の行動も取りやすいだろう。お前の考えたような不測の事態とて、セレスタが既にその場にいれば共に逃げることも出来たはずだ。時間差で“転移”したのでは効率が悪すぎ、危険性も高くなるのに何故その方法を選んだのか。ともに“転移”すれば、着地点の誤差も防げるというのに」
それらの悪条件を補うほどの理由があれば話は違ってくるが、今の段階では想像がつかなかった。
「そうですね……。やはりもう少し調べてみる余地がありそうなので、そちらは追ってご報告します。
それから、もう一つ――。
先日も地面にあった魔力の残滓には二種類の魔法が使われた可能性があることはお話しましたよね?」
頷いて答えるのを確認して、セネジオは続けた。
「一つは飾り袋と同じ“転移”でしたが、もう一つ織り交ざっていたのは“暗眼”でした」
暗眼。
それを聞いてシェザリウスの滅多に動かぬ表情が怪訝な色へと変わる。
“暗眼”の術とは、いわゆる目晦ましだ。別の名では姿変えとも言われ、主に王族などがお忍びで城下へ出るときなどに利用する。髪や瞳の色、延いては肌の色までも変化させられる。いや、変化をさせるというよりも、周りの人間の目に錯覚を起こさせるのだ。王族ともなれば、それは顔形を変えることにまで及ぶ。
そこまで出来れば当然、悪用しようと考える輩も出てくるが、その術の性質上頻繁に掛けることも長時間意地することも難しいため、実現は難しい。
“暗眼”は数ある魔法の中でも特に高度な術だ。光の屈折を利用するものだが、魔力を対象の周りだけでなく身体にぴたりと添わせる形で掛けなければならない。そうでなければ、何かの拍子に不自然さが露出し、術もまた破れてしまう可能性があるのだ。
たとえば髪の毛の色を変えたい場合、表面にだけ術をかけると、風が吹いたときや髪を掻きあげたときなどに内側の本来の色が見えてしまう。そうなるとそこから術が綻びていくのだ。それを回避するためには、髪の一筋まで術をかける必要がある。
髪の毛一本一本の表層を覆うように術を浸透させるというのは、容易なことではない。そのうえ、ある程度の時間その術を維持するだけの魔力や技量も必要になってくるのだから、使用できる者は自ずと限定されてくるのだ。
ただ、セレスタに“暗眼”が掛けられていた可能性については、納得もできる。貴重種のイェオラが万一生息地以外で発見されれば、間違いなくそれを手引きした者は厳罰に処されるからだ。
セレスタに“暗眼”を掛け、他の魔獣やただの獣に見えるよう細工をすれば、連れていても見咎められることはないだろう。
一方で、“暗眼”が使えるのならば何故わざわざ森に“転移”させたかだが、これは万一の事態を避けたと考えれば説明が付く。街中で本来のイェオラの姿が露見するのと、人のほとんどいない森で露見するのとでは危険性が明らかに違うからだ。
だからこそ、やはり何よりも問題なのは“暗眼”という術それ自体だ。
ギュシュムでは、それを使用できるのは魔法師団の上位者数名と、王族だけ。
「……王族が関わっていると?」
「その可能性はないとは言えませんが……。王族が野生のイェオラを秘密裏に“転移”させる理由がわかりません。いえ、無いと言ってもいい。
セレスタが国内で生まれたイェオラだとするなら、王家はそれを管理しているのですから、秘かに移動させるなんてことをする必要はないですし。
セレスタが国外で生まれたとするなら、貴重種ですので我が国所有のイェオラの数を増やすという目的ならば考えられないこともないですが……」
「ギュシュムは他国よりもイェオラの生息数が多かったな」
「ええ」
ならば大きな危険を犯して他国からイェオラを転送する必要はないということだ。
となると、魔法師団の人間が関わっているということか。
地面の魔法について解読したのは魔法師団だが、その上位者は研究機関から離脱している者がほとんどだ。可能性は低くない。
シェザリウスが視線を投げると、セネジオは心得たように頷いた。
「調べてみます。飾り袋と地面で使用者の違う“転移”についても、もう少し詳しく解明できないか、問い合わせてみますので」
「ああ。――……アリアンナはどうなった?」
「はい、神殿側には頼んではみましたが、丁度祈祷の時期らしく、お越しいただくにはあと数日は掛かるようです」
「そうか……」
気が逸る。だが、いくつか明らかになってきた背景に、シェザリウスはそっと安堵の息をついた。
少しずつセレスタに関わっているものの正体に近づけていると信じたい。複雑に絡み合った紐を解き、セレスタの重荷となっているものを取り除いてやらねば。シェザリウスは目を閉じ、椅子へ背を預けた。
――あまり時間が無い。
「閣下。お疲れのところ申し訳ありませんが、もう一つよろしいですか」
セネジオの硬い声にシェザリウスは薄っすらと目を開けた。まだ何かあるのかと目で問う。セネジオは当惑したように言った。
「先日、仮面を外されたことで、陛下から登城の要請が来ています」