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30.思い掛けない交流




 頭の中が混乱していた。

 まさか、とは思いつつも、でも長年仕えた方だからこその確証がある。あの方は、間違いなくセイレア様だった!

 記憶にある姿よりも随分と華奢になられたような気はしたけれど、それは薄暗闇の中だった所為かもしれない。白い肌は相変わらずだったし、優しげな目元もしっかり見えた。

 ああどうしよう、セイレア様だ! 絶対そうだった!

 そう心の中で何度も呪文のように唱える。懐かしいお姿に、胸が激しく鼓動を打った。急激に会いたくて会いたくて堪らなくなる。

 転生したと思い込んでいたときは新しい人生だと思ったから、セイレア様のことは考えないようにしていた。でも、セイレア様は主とはいえ姉妹のように育った方だ。今、この心細い状況では一番に会いたいと思う、そんな心を許せる最大の人でもある。

 直ぐにでもお側へ行って、泣きつきたい。私はこれからどうしたらいいのか、セイレア様なら優しく諭してくれるような気がした。


 セイレア様のお姿がバルコニーから見えなくなって、私は慌てて扉へと駆け寄ったけれど、当然のように閣下のお部屋の重厚な扉はぴったりと閉じたままだった。もちろん今の私が押してみたところで開くはずもない。


「――キュウッ! キュウッ!」


 何度叫んみても、気づいてもらえる気配はない。

 そもそも閣下の私室の周りには基本的に使用人さんは近づかないんだ。鳥の巣頭さんが唯一と言っていい人で、他の人はたぶん、閣下が夜御飯や何かで部屋を空けるときにしかこの周辺に現れない。理由はわからないけれど、閣下が嫌がるのかもしれない。

 ああ、どうしたら……!

 部屋を出たところでセイレア様に会える確証なんて無いのに、気持ちだけが焦る。


「キュウッ! キュゥウッッ」




 何度も何度も叫んで、いい加減喉に限界が訪れた頃、微かに扉の外から足音が聞こえてきた。私の小さな声がどうにか届いたのか、足音は扉の前でぴたりと止まった。

 びくともしなかった扉がゆっくりと外側へ開いていく。


 ――やった……!


 両手の痛みなんて既に記憶の彼方で、扉が完全に開くのを待ちきれず、薄っすらと開いた段階で頭を捩じ込むようにして私は廊下に出た。お尻が微妙に支えてしまって、扉から出たときは顎から豪快に転んでしまったけれど、構わず走り出す。


 セイレア様は、いつも私が内庭へ出るために使っているテラスから外へ出たと思う。そして戻るときも。ただもうそこにはいらっしゃらないかもしれないけれど、でもとにかく探さなくちゃ……!


「――ッ!!!」


 私は今までにない全速力で走り出した――つもりだったんだけれど、どうやら思ったほどに素早さがなかったみたいで、ほとんど進まないうちにがっちりと身体を拘束されてしまった。

 気持ちはまだまだ走るつもりだったから、掴まれた後もバタバタと手足を動かしていたんだけれど、私を捕まえた人は暴れる私をものともせずにくるりと反転させた。


「何処へ行く気かな?」


 にこにこ笑顔の鳥の巣頭さんだった。

 その笑顔を見て、私は思い切り固まった。


「キュ……」


 な、なんだか空気に圧力を感じるよ……。


「閣下が突然“様子を見て来い”なんて言うから何かと思えば。――今朝、部屋から出ないでと言わなかったっけ?」

「キュウ……」


 う、うん。い、言った……、ような気が、する……。


「あれかな、君、やっぱり実は人の言葉、わからないとか」


 すっごい笑顔で嫌味を言われてしまった……。

 周りの空気は重くて、何だか気温も一段下がったような気がする。それなのに鳥の巣頭さんが浮かべる笑顔は完璧な朗らかさで、それが逆にとっても怖い……。

 耐え切れず私が目をうろうろと彷徨わせていると、鳥の巣頭さんはそんな私を暫く眺めた後、軽く吐息を零して閣下の私室へと入っていった。私が石像のように動けないでいる間に、扉はしっかりと閉じられてしまう。

 ああ、せっかく出られたのに……。

 がっくりと肩を落とす。だけどそんな私の耳に、思わぬ優しげな声が流れ込んできた。


「まあ、少しは元気になったみたいでよかったよ。少なくとも約束を忘れて走り出すくらいには、回復したみたいだし。

 でもとにかく、今日は本当に静かにしていて。来客もあるけど、君も本調子じゃないだろう? ほら、怪我したところ、血が滲んでるじゃないか」


 その声が、いつものような一定の、どこか軽い明るさを持ったものではなくて、ほっとするような温かみのあるものだったから、一瞬反応が遅れてしまった。テーブルの上に乗せられた私が、えっ、と顔を上げたときには、鳥の巣頭さんは私に背を向けていた。

 そのまま洗面室へ向かっていく。直ぐに鳥の巣頭さんは戻ってきた。

 懐から新しい包帯と薬草を取り出す。古い包帯を解くと、爪が割れてちょっとした惨状になっている傷口が露わになる。それを見た鳥の巣頭さんは、はっきりと眉を寄せて当惑したような表情を浮かべた。

 そういえば、怪我をした直後は閣下が手当てをしてくれたから、鳥の巣頭さんがこの傷を見るのは初めてだった。


「まったく、一体何をしたらこんなことになるんだい? いくら人の言葉が理解できるほど頭が良くても、君はまだ幼い魔獣だ。柔軟性はあっても皮膚や身体は弱いんだよ? もっと気をつけないと……」


 心配から来るお説教も、初めて……。

 痛々しいものを見るような目で、鳥の巣頭さんはまだぶつぶつと文句のような、お説教のような言葉を零している。私はそんな鳥の巣頭さんの様子に、ひっそりと驚いていた。


 鳥の巣頭さんが私のことを心配してくれていることは知っていた。今朝は大奮発でタリアの実に蜂蜜まで掛けてくれて――。でも、正直なところ、鳥の巣頭さんはどこかで万一私に何かがあっても気にしないんじゃないかと思っていたんだ。

 私は既に色々と問題を起こしていて、厄介事の塊であるのも一見して直ぐにわかってしまうことだと思う。初めの頃に釘を刺されたように、面倒だったり閣下に危害が及ぶようなら、直ぐに切り捨てられてしまう存在だ。今回のことがそれに当たるとは思わないけれど、でも怪我も自業自得だと、そう思われているかもしれないなんて、思っていた。

 それが、こんなにも私の身を案じてくれていたなんて。


 呆然とした気持ちでいると、素早く手当てし直した鳥の巣頭さんは不意に寝台へと視線を投げた。寝台脇の机には、手の付けられていないタリアの実がある。それを見て眉尻を下げた鳥の巣頭さんに、私は居心地の悪い思いがした。忘れていたわけじゃないけれど、ずっと眠っていたから食べる機会を失ってしまったんだ。


「あれはもう駄目だね。そろそろ夕食の時間だし、新しくミルクを持ってくるから少し待ってて。――閣下がいなくて寂しいのはわかるけど、脱走しようなんて考えないように」


 最後はあの怖い笑顔で告げられた。

 タリアの実のお皿を持って出て行った鳥の巣頭さんの背中を、どこか気の抜けた気持ちで見送った私が我に返ったときは、既に扉は完全に閉じられた後だった。


 ああ失敗しちゃった、また出られなくなっちゃったよ……。


 本当は鳥の巣頭さんが部屋を出るときに隙を突いて、もう一度飛び出そうと思っていた。だけど、鳥の巣頭さんが思わぬ優しさを見せるものだから、すっかり失念していた。

 でもよく考えるとこれでよかったのかもしれない。だって、これ以上鳥の巣頭さんの意に反することをしたら、心配をしてくれていた鳥の巣頭さんだって流石に怒ってしまったかもしれないもの。いつかの厨房でのやりとりを思い出して、私はちょっと身震いをした。少しの冗談が混ざっていたとはいえ、あのときの鳥の巣頭さんは本当に怖かった。



 それから私は仕方なく閣下の帰りを待つことにした。閣下の許可が下りれば外に出られるかもしれない。それに、お客様はお泊りになるって鳥の巣頭さんが言ってたから、まだ機会はあるはずだ。


 絶対に、何とかしてセイレア様に会いたい。


 その思いが、心元なく揺れていた私の気持ちを奮い立たせてくれたみたいだった。






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