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幕間 忍び寄る刻の音



 セレスタが森へ出た日から数日経ち、昼前の自由行動を許した途端にまたしても異変があった。


 セレスタが約束の昼餐になっても戻らない。気配を探ってみれば、内庭の一角にいることが分かった。

 内庭にいるということは、昼間の陽気に当てられて眠りこけてでもいるのか。

 何度か同じようなことがあったのを思い出し、シェザリウスは軽い呆れを覚える。夜も早くからぐっすりと眠っているというのに、よくもまあそれほど眠れるものだ。獣の性なのか、幼さ故なのか。あるいは元々の性分なのか。

 とにかく、昼寝に勤しんでいるとしても連れ戻さなければならない。

 セレスタは森での出来事以来、どうも様子がおかしかった。時折ぼうっと遠くを眺めていたり、考えに沈んでいるような様子を見せている。幼い獣のするような仕種では無い為、余計に気になっていた。だからシェザリウスとしては、あまり今のセレスタを一人で出歩かせたくないというのが本音だ。


 魔法で呼び寄せ、急な景色の変化に目を白黒させているセレスタを眺めるのも面白いが、森でのことがあるためシェザリウスは自らの足で連れ戻しに行くことにした。

 気配を辿って生垣を突っ切ると、程なくしてセレスタは見つかった。

 セレスタは少し開けた小さな空間で蹲るようにして地面を睨みすえている。どうやら眠りこけていたわけではないらしい。では約束の時刻も忘れて一体何をしているのか。

 直ぐ側まで近寄ってみたても、セレスタがこちらの存在に気づく様子がない。茂る生垣を無理に掻き分けて来たのだから相当な音が立っていたはずで、起きているのなら気づかないわけがなかった。

 不審に思い眺めているうちに、何処からとも無く薄桃色の花弁がはらりはらりと風に乗って散り始めた。


 ――……何だ?


 風には薄っすらと魔力の香りが漂っている。シェザリウスはその香りに覚えがあった。

 セレスタを拾ったときに感じた暖かな魔力の脈動。それとよく似ている。加えて言えば、深夜に起こる変化のときにも感じられるものとも。

 セレスタから流れ出ているのは間違いないのだろうが、不思議なことにセレスタ自身は全く風を操っている気配がない。

 無意識だろうか。

 だが何のために?

 散る花弁はまるでセレスタ自身を慰めるかのように彼の周りを舞い、風とともに白い毛を撫でていく。

 その優しげな様子とは反対に、当の本人は石と化したかのように微動だにせず、一点を睨み続けている。全身が強張り、歯がきりきりと悲鳴のような音を立てる。尋常ならざる様子だった。

 何があったのか。

 張り詰めた空気に尋ねられぬまま見つめていると、不意に身体を弛緩させたセレスタがこちらに気づいた。

 ゆっくりと顔を上げ、視線が絡む。

 見えた薄水色の瞳はどこかぼんやりとしていた。




 ◆◆◆◆


 連れ戻したセレスタは随分と疲労が濃いようで、私室に戻ると直ぐに眠りについた。その後は一度は目覚めたものの、晩餐というにはささやかな食事を済ませて間もなく再び眠ってしまった。

 昼間のうちに何かがあったことは確かだ。

 しかし、森に出たときのような大きな魔力の変化があったわけでもなく、何が起きたのかは全くわからない。尋ねてみたところで、聞こえているのかどうか、虚ろな視線が返って来るだけだった。――尤も、人の言葉を話せぬセレスタがはっきりと応えるわけもなかったが。

 何が起きたかはわからないが、そこかしこに何かがあったのだという正体不明の残滓だけは残っていた。その一つが、今腹の上で小さく眉を寄せて眠る少女だ。

 いつも安らかに眠る彼女の表情が、今夜は苦しげに歪んでいる。


 ――痛みの所為か?


 シェザリウスは少女の手を掬い上げる。魔獣の姿で巻かれていた包帯が姿が変わったことで解けてしまい、痛々しい傷がむき出しになっていた。

 少女の頼りない指の先、昼間に見た花弁のような爪は無惨に割れ、血が滲んでいる。指や指同士の間にも無数の切り傷があった。内庭で見つけたセレスタが地面に爪を立てていたときに傷つけたものだろう。

 白い魔獣の姿での傷も痛ましいものだったが、少女の姿でそれを見るとより深い傷に見えてしまうのは何故だろうか。到底、若い娘が負っていい傷ではないように見える。直ぐに癒してやりたいが、生憎と治癒の魔法は使えない。


 ――全く、莫迦莫迦しいほどの力が有りながら肝心なときに発揮できないとは、役に立たぬにも程がある。


 使えない魔法があることを嘆くなど、シェザリウスにとっては初めてのことだった。

 せめてと寝台脇の机に置いておいた痛み止めをそっと塗ってやることしか出来ない。

 触れることで痛みを与えないよう細心の注意を払いながら薬を塗りこむ。暫くすると、顰められていた眉は幾分和らいだようだった。しかしまだ苦悩の色は消えない。


 その傷を見ると、改めてセレスタと赤毛の少女が同一の存在だったのだと思う。

 目の前で変化する場面を見ていながら、おかしなことだ。

 しかしどこかで幻ではないかと思い続けていたのは事実だ。いくら触れて感触を確かめても、何より魔獣と人間の姿では性別が違う。

 一体どちらが本当の姿で、何がセレスタの身に起きているのか。セレスタが抱え込んでしまったものとは何なのだろうか。



 考えに沈みながらシェザリウスが眺める先の少女は、未だにその姿を保っている。

 ――おかしい。

 確かに少しずつ少女の姿をとる間隔は長くなっていたが、今日は格段に長い。長すぎる程だ。いつもよりも存分に髪を梳き背を撫でても、変化の前触れである魔力の高まりは気配すら微塵もさせることはなかった。

 やはり昼間にあったことが影響しているのか。

 緩やかに変化していたものが急激に進行するのは、良いことなのか悪いことなのか。

 シェザリウスは考えるほどに胸を込み上げてくる焦燥に眉を顰めた。

 己の知らぬところでセレスタに関する事態が変化し始めている。それが分かるというのに原因も掴めなければ、対処のしようも全く見当がつかない。このまま見守ることが正しいのか、それとも何か手を打たなければならないのか。

 このままでは拙いのではないか、何かしてやれることはないのかという思いが嵩を増す。その思いが溢れる前に、苦悶の表情を浮かべて眠る少女の瞳から、不意に雫が零れ落ちた。

 それが呼水となったように、シェザリウスの胸にも言葉が零れる。


 ――駄目だ。


 連れ戻したセレスタの濁った瞳が脳裏を過ぎり、少女の涙が視界を埋める。

 善くも悪くも、事態を把握することは何よりも大事だ。そうすればもしものときに手も足も出ないという事態だけは避けられるはず。それに、少なくとも今、少女は苦しんでいる。何が原因だとしても、そのことは歓迎できるはずもない。


 シェザリウスはそっと少女の涙を拭うと、そのままその手を己の白い仮面へと伸ばした。

 忌々しき象徴であり、身を守る楯でもある、仮面。今はただシェザリウスの術を奪う鎖に思えた。

 後頭部に硬く結ばれた留め紐に指をかける。そこに触れることすら久方振りだ。多少緊張した所為か、二度と解けないようにと硬く結んでしまったためか、上手く解くことが出来ない。

 何度か結び目に弾かれるうちに、シェザリウスは違和感に気づいた。

 結び目が硬いのでも、緊張に強張っているのでもない。指先が痺れているのだ。

 昼間のセレスタの様子や少女の苦悶の表情に気を取られていた所為か、全く気づかなかったが、指先の感覚が鈍くなっている。まるで手袋でもしているような、薄皮一枚隔てているような感覚だ。

 仮面の留め紐から手を下ろし、見た目には何の変化もない指先を見ながら眉を潜めたシェザリウスだったが、今度はこめかみにぴりりとした痺れが走る。それを意識する間もなく、その痺れは頭が割れるのではないかと思うほどの激痛に変わった。


「――ぐっ」


 あまりの痛みに、少女の背に掛けていた手に力が入る。もう片手を頭に当てるが、一向に痛みは治まらない。

 事態の変化はセレスタだけでなく、己自身にも確実に起こり始めている。

 痛みの隙間を縫うようにしてそう思ったのを最後に、シェザリウスはそのまま少女掻き抱くようにして意識を失った――。



 次に目覚めたとき、腕の中には白い魔獣が戻っていた。





 

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