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28.創り上げた幻



 飾り袋を発見した日から今日までには数日の間があった。だから、ある程度真実を知る覚悟は出来たと思っていた。でも今思えば、それは随分と表面的な覚悟だった。“覚悟”なんて言葉を使っちゃいけないくらい、安易なものだったのが分かる。

 転生したにしてはファラティアの意識が鮮明すぎることを考えれば、『転生はしていない』と言われても納得できると思ったのも、きっと納得しなくちゃいけないのだという思いが何処かにあったからだ。

 胸の奥底では納得なんて出来ていないくて、だから覚悟なんて出来るはずがなかったんだ。そのことを、精霊さんの迷いの無い肯定に打ちのめされたことで思い知らされてしまった。


 私の薄っぺらな覚悟は、心のどこかでは精霊さんが否定してくれると信じていたから出来たものかもしれない。

 今の私は閣下に拾われた魔獣のセレスタで、ファラティアはもういないんだよ、って。そう言って欲しかったのかも。

 おかしいよね。

 完全にファラティアとしての意識である私は、ファラティア自体が死んでいなかったということに本来なら喜ばなければいけないはずだ。なのに、ファラティアはもういない、と言って欲しかったなんて。

 人生に絶望したのでも、自殺願望があったわけでもない。むしろ私はファラティアとしての生活を楽しんでいたと思う。それなのに、ファラティアとしての生は終わっていると思いたかった。

 だってそう思わなければ、今の私の置かれた状況は、あまりに理不尽すぎる。


 一体誰がこんなことを?

 どうして私じゃなくちゃいけなかったの!?


 こんな、姿を魔獣に変えてしまう魔法なんていう自然の理に反したものを掛けられてしまうほど人の恨みを買ったことなどないし、そこまでの高等魔法を使えるような方々と関わることだって無かった。

 私はごく普通の侍女だったのに。

 侍女であったときですら何の力も持っていなかったというのに、姿だけが魔獣となってしまって、一体私はこの先をどう生きていけばいいの?

 魔法というものそれ自体も奇跡みたいだと思う私が、こんな高等魔法をどうやって解けるっていうの!



 あの夜、自分の身体が魔獣になっていると知って、混乱と不安に負けた私は咄嗟に思ったんだ。


『たとえ意識はファラティアだとしても、身体が魔獣なのは転生したからだ』

『これからは魔獣として生きていくしかないんだ』


 そう思うことで迷わないよう道を限定し、他の可能性を潰すことで私は無理にでも前に進んだ。

 事実を知った今も道が一つであることは変わらないけれど、そのときに進もうとしていた道とたった今目の前にあると知った道とは全然違う。

 無理に進もうとしていた道は、たとえそれが私の作り出した幻の道だったとしても、ささやかでも足元を照らす灯りがあった。

 それが今はどうだろう?

 目の前にある道は薄暗く、上手く見えないのに絶対に険しいと分かる。

 私の身体が魔獣になっていると知ったとき、私は直感的にそのことを感じていたのかもしれない。

 だから、逃げてしまった。 


『魔獣としての道しか無いんだから、他の怖いことは考えず楽しむことだけ考えよう』

『そうすればきっと少しくらいの辛いことなんて乗り越えられる』

『時間が経てばきっと、いつかは魔獣らしくなれるはず』


 そうやって、安易な虚勢を張ってしまったんだ。

 根本的な問題を深く考えようともせずに。

 そのことに、今やっと気づいた。


 本当は魔獣の身体で動き回ることに酷く違和感があった。

 魔獣として成長することは怖くて仕方なかった。

 どうして男の子としての魔獣なのか。せめて女の子であったなら。

 

 そんな不安や恐れ、焦燥感は先送りにし、あるいは蓋をして。自分の心の表面しか見ず、圧迫された本当の気持ちは深く沈めて目を逸らしていた。

 閣下への恩返しをするために頑張るのだと自分に言い聞かせてそちらに気持ちを注ぐことで、ともすれば溢れ出しそうな不安を誤魔化していたのかもしれない。


 その結果、このどうしようもないほどの憤りは今、行き場を失っている。


 でも、そうやって前に進んだのは間違いだった?

 じゃあ私はどうすればよかったの?

 自分の姿が魔獣になっていると知ったとき、もっと嘆いて喚いて悲嘆に暮れればよかった?

 受け入れるしか、前へ進もうと自分を奮い立たせる方法なんてなかったのに?

 『転生したのは私にも、誰にもどうしようもないことで、これからもどうにもならないことだ』 そう思ったから、前向きに頑張ろうと思えた。

 受け入れて魔獣として生きていく他に道はないのだと思っていたから、ファラティアとしての自分を捨てようとすらしたっていうのに。

 なのに――。



 ――こんなのひどい!

  どうして私の身体はイェオラになんてなってしまったのっ?

  どうして!!

  こんな姿でこれからどうしろっていうの!?

  誰か……、

  誰か今すぐ元に戻してよっ!!



 馬鹿みたいにそんな言葉ばかりが頭を駆け巡っていた。もっと考えなければいけないことは山ほどあるっていうのに。

 理不尽だ。私を魔獣に変えて何の得があるっていうの。




 ◆◆◆◆


 目の前が霞むほど全身が強張っていたことに気づいたのは、精霊さんの答えを聞いてからどれくらい経った頃なんだろう。

 荒れ狂う感情の渦に呑み込まれ、押し寄せた不安に必死に耐えていた私は、疲弊して不意に緩んだ意識の隙間に入り込むものを感じた。白っぽい何かが目の前をちらついているんだ。


 ――何だろう?


 そう思うのと同時に、ずっしりと身体が重くなる。どこか遠くに飛んでいた意識が目の前へと戻ってきたからなのかな。現実に引き戻されたような気分だ。目一杯力の入っていた身体はだるく、経験したことのない激情に流されていた心は鉛を含んだように反応が鈍い。


 ――雪……? 違う、……花びら?


 白くちらつくのは、何処から飛んできたんだろう、小さな薄紅の花びらだった。

 それは季節外れの雪みたいに、はらはらと私の周りに降り注いでくる。

 この場所の近くにこんな花咲いていたっけ。思い出そうとしたけれど、上手くいかなかった。少なくとも花びらが舞い散るほどの強い風が吹いていないことだけは分かる。風は今とても穏やかだ。

 風に意識が向けば、それが私の頬をふわりふわりと優しく撫でていることにも気づいた。その風は妙に暖かくて、冷たい雪のように見える花びらとは随分と不釣合いだ。でもやっぱり花びらも柔らかくて、どちらも気遣うようにそっと私の白い毛を撫でていく。

 まるでこの場所だけが世界から切り離されたみたいに、時間が止まっているように感じた。風は流れ、花びらは舞い踊っているというのに。とても不思議な感覚だ。

 茫然としたまま降り注ぐ花びらを追って視線を上げると、私しか存在しないはずのその場所に、ちらつく白とは別に大きな白い塊があることに気づいた。



 ――……。



 閣下……。



 閣下がいる。

 いつからいたんだろう。

 閣下がここにいるということは、もうお昼の時間は過ぎてしまったってことだろうか。全然、気づかなかった。


 閣下は生垣を突っ切って来たのか、白い衣にはいくつもの葉っぱがついている。そのうえ何処かに引っ掛けたみたいで、上質の生地は無惨にもそこら中が解れてしまっていた。


 ――ああ、解れは駄目なのに。

  私は裁縫があまり上手じゃないから、ファラティアに戻れても直して上げられないよ……。


 意味のわからないことをぼんやりと考える。頭が上手く働かない。

 目の前に立つ閣下の恰好は酷いものだ。衣はボロボロで、靴も土で汚れている。

 それでも何でかな、閣下はとても綺麗に見えた。

 私に降り注いでいると思っていた薄紅の花びらは、今は閣下を飾る装飾品だったように思える。

 閣下はただそこに立って私を静かに見下ろしていた。じっと動かずにいる閣下は本当に人形みたいだ。 閣下に拾われた最初の夜を思い出した。あのときは驚いたけれど、今はただぼんやりと見つめ返す。感情の奔流に呑まれていた私はいまだその余韻から抜け出せないでいた。


 お昼の時間に遅れたこと、謝らなくちゃいけないかな。

 また外出禁止になっちゃうかも。でもいいか。あまり動く気になれないし。頭がぼうっとする……。



 見つめ合い、薄紅の花びらで私たちの周りに絨毯が出来上がりそうになった頃、閣下がゆっくりと動き出した。

 腕を伸ばして指先が私に触れる。閣下はそっと私を抱き上げた。

 今までこんなに優しく持ち上げられたことあったっけ。

 硝子細工でさえこんなに丁寧には扱わないだろうと思えるほど、繊細な動作だった。

 そんないつに無い閣下の仕種に凄く驚いているのに、それを表に出せない。それくらい私は疲れ切っていた。


「……何があった」


 不意に手を取られ、尋ねられる。


 ――何が……?

  何もないよ。

  何も変わっていないもの。

  ただ、私が事実を受け止め切れなかっただけだよ。


 咄嗟に駆け巡った思考は、自分ながら後ろ向きで生産性の無い、とても情けないものだった。嘆いてばかりなんて私らしくないのに。


「血が」


 ――……血?


 閣下の視線を追えば、私の白い毛むくじゃらの手が真っ赤になっているのがわかった。

 全然気づかなかった。

 理不尽なこの状況が悔しくて悲しくて、憤ろしくて、嘆いていた間に地面を力一杯引っ掻いていたみたいだ。それで地面に埋まっていた石ころで肉球や指の間の柔い皮膚を傷つけてしまったみたいだった。

 ファラティアの頃、無謀にも縫製をしてよく針を指に刺して血を出していた。そのときと今の魔獣の手から流れる血の色は、同じ赤だ。ただ身体の形だけが違う。大きな違いだ。

 真っ赤な血を見て自然と舐めようとする自分に、少し笑えた。転生したわけでもないのに案外板についているなあ、なんて。自虐的過ぎるね。


 黙って手元を舐めていると、しばらくそれを眺めていた閣下が私の顎を片手で掬うようにして手元から引き離した。直後に、どこからともなくさらさらと水が流れてきて、私の手についた血と泥を洗い流していく。

 抵抗するつもりも気力もなくてされるがままになっていたら、今度は優しく風が濡れた毛を乾かしてくれた。閣下の魔法って、すごく便利だ。

 閣下の操る風は頬を撫でる風とはまた違う暖かさがする。

 そう思ったとき、不意に気づいた。

 さっきから身体や頬を撫でるようにして流れる風。これって、きっと精霊さんが慰めてくれているんだ。

 ありがとうと伝えようとして意識を向けたら、精霊さんは何故か項垂れているようだった。深い悲しみのようなものが伝わってくる。同時に、精霊さんの気配が薄れていっているのがわかった。


 ――精霊さん……?


 声を掛けたけれど、精霊さんは悲しげな雰囲気を纏わせたまま。

 沈黙の後、消え入りそうな気配の片隅から、小さな小さな声が聞こえた。



 ――……精霊じゃないよ……



 ――え……?




 私はこのとき、もっとこの言葉の意味をちゃんと考えるべきだった。

 だけど私は心も身体も疲れ切っていて、このときの言葉はするりと私の頭から零れ落ちていってしまったんだ――。







悲劇のヒロイン状態のファラティア……ちょっとイラっとするかもしれません。

今後きちんと元の前向きなファラに戻って頂きます。



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