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幕間 刻み続ける針



「失礼致します、閣下」


 軽いノックの音と共に、セネジオが許可を待つことなく入室を果たす。

 とうに日も落ち、外には静かな闇が広がっている時刻。執務室には蝋燭の火を模した魔法の明かりが揺らめいている。穏やかな夜だ。セレスタは既に夢路を辿っている。

 セレスタが森へ入った日から数日が過ぎ、そろそろかと思っている頃のセネジオの訪問だった。

 シェザリウスが視線を送ると、執務机の前で立ち止まったセネジオは心得たよう直ぐに本題へと入る。


「――セレスタが見つけた飾り袋についてですが、一見した通り、特殊なものではありませんでした。布自体も付随する紐も価格は安価なもので、一般の者でも購入が可能なものです。安価で売られているということはそれだけ生成は容易ということですから、国内で取り扱う地域も広いようです。

 ただ、紐の結び目が少々珍しいものでした。一時期、ジスダロワ領やその周辺の領民に流行したもので、貴族よりは平民の間で好まれたもののようです。

 袋の縫製を見ると、職人によるものではなく不慣れなものの手製によるものだと思われます。貴族であればこのようなものを持ち歩くことは少ないかと。

 中に入っていたセレスタイトの原石もそれほど大きなものではありませんでしたし、平民が所有していたものと見るのが妥当だとは思いますが……」


 セネジオは一気に連ね、途中で思案気に眉を寄せた。シェザリウスも、セネジオの思うところは容易に理解できる。

 例の飾り袋を平民が所有していたのだとすると、大きく二つの問題が生じるのだ。


 第一に、飾り袋が魔力を帯びていた理由に説明がつかなくなる。

 一週間もの間、主の手を離れた物に魔力の香りが残っているということは、かなり強い魔法の影響を受けたか、或いは常習的に魔力を浴びていたかのどちらかだ。

 しかし、魔力、魔法は一般的なものではない。平民の中で持ち物に強い残滓が残るほどの大きな魔力を持っている者などいないだろうし、ましてや魔法師団の指導も無しに独学で魔法を行使することは不可能に近い。

 平民が手にしていたとするならば、飾り袋は一体どこで魔力を浴びたのか。


 第二に、セレスタが飾り袋を自分のものだと主張したことにも違和感が生まれる。

 イェオラは貴重種だ。平民が遭遇することなど、一生に一度あるか無いか。いや、ほぼ無いと言ってもいい。

 そうであるのに、平民が所有していたと思われる飾り袋を何故イェオラであるセレスタが自分のものだと主張したのか。

 生まれてまだ日も浅い野生のイェオラと接触できる者など、保護区域担当の者でも存在するかどうかわからないというのに。


 これらの問題は、飾り袋の所有者が貴族であるとするなら、もう少し説明のしようがあったのだが、そうでないからこそ、困惑するばかりだった。


「……魔力は?」


 シェザリウスが問うと、セネジオは一つ頷き、より表情を引き締めるようにして口を開いた。


「魔力についてはまだ多少調べる必要があるとのことですが、随分と大掛かりな魔法が展開されたようです。少なくとも二つの魔力の気配があるとの報告が上がっています。ただ、内容までは分析できない可能性が高いと。

 それから、飾り袋が落ちていた周辺についても再度調査を行なったのですが、ごく微かな魔力の残滓を捉えました。かなり注意して探索しなければ見つけられないほどで……。どうやら、地面の表層ではなく、地中に何かの魔法が仕掛けられていたようで、発動後に霧散し土に吸収される仕組みであったようです。……かなり高度な魔法ですね」


 シェザリウスは人差し指の背でついと唇を撫でながら、瞼を閉じた。やはり、どう考えても大きな魔力を有する者が関わっている。しかも、隠蔽のための細工を施していることを見れば、明らかに良からぬことを企んだ者の仕業だ。

 随分と複雑怪奇なものに関わってしまったようだ、と、シェザリウスは白い毛玉を瞼裏に映しながら思った。

 人語を解し、夜は少女へと変化するというセレスタ自身の不思議を考えてみても、面倒事が山を作っているのは明らかであるのに、どうして手放してしまおうと思わないのか。長く共に過ごせないこともわかりきっているのに。


 シェザリウスは静かに立ち上がった。私室とを繋ぐ扉へ向かいながら軽く右手を挙げ、セネジオの退室を促す。


「……続けてくれ」


 調査の続行を促す。

 もう少し判断材料が必要だ。少なくとも、飾り袋に残された魔力と、飾り袋が落ちていた周辺に残っていた魔法の正体をあと少しはっきりさせてからでなければ、事の次第は明らかにならないだろう。


「畏まりました。――閣下」


 扉の取っ手へと手をかけたところで、後を追うように声が掛かった。

 シェザリウスが振り返るのを待つことなく、セネジオは続けて口を開く。


「セレスタのことだけではなく、もう一つの問題も気に掛けてくださらないと」


 シェザリウスが直感的にセレスタよりもずっと面倒事の気配を感じて扉を開こうとすると、背後から重く黒い何かが漂って来たような気がして、シェザリウスは思わず動きを止めた。


「これ以上先延ばしには出来ませんよ。……三日後、婚約者候補の方々を屋敷にお招きしました」


 シェザリウスは首だけを回し、セネジオに視線を投げる。存分に非難を込めたつもりだが、唯一シェザリウスの側を離れない天下の侍従様には全くもって通用せず、シェザリウスは柄にも無く舌打ちをしそうになるのを寸でのところで堪えた。


「……意味が無い」

「意味は無くとも、建前上こなさなければならぬことです。三日後までに、覚悟を決めておいてください」


 言い置いて、セネジオはさっさと執務室を後にした。それを横目で見ながら、シェザリウスはうんざりと肩を落とす。

 セネジオに指摘されるまですっかり忘れていたと言ってもいい事柄は、話を進めること、思考を巡らせることすら無意味だというのに、何故そんなものに貴重な時間を割かねばならないのか、シェザリウスは考えたくもなかった。

 適当に流していれば、時間は経過する。婚約者候補についても、流れる水の如く、風の如く、脇を通り過ぎていくだけにすぎないだろう。

 候補の中から一人を選ぶなど、どれも同じに見えるのにどうすればよいのか。

 シェザリウスはついと執務室を一巡り見渡し魔法の灯りを消すと、静かに寝室へと向かった。




 寝台の上には丸くこんもりと蹲るセレスタが居た。

 セレスタは未だに段差を登れないため、夜の執務へと向かう前に寝台へと上げたのだが、すっかり深い眠りに突入していたらしい。

 しかし、可笑しな寝方だ。蹲り、頭を抱え込むようにして両腕の間に潜り込ませている所為で、完全に白い毛玉に見える。ただの毛玉にしては随分と大きいが。息苦しくはないのか、とシェザリウスは首を傾げるも、規則的に膨張と収縮を繰り返しているところを見ると、十分眠れているらしい。

 規則正しく膨らんだり萎んだりを繰り返す白い毛玉を眺めながら、シェザリウスの頭には、飾り袋とは別の疑問が浮かんでいた。


 セレスタを拾ってから一週間以上が経過した。人の言葉を解する以外はおかしなところもなく、元気に過ごしている。自由時間の際にセレスタの魔力が急に高まり、屋敷の裏の森へと飛んでいったときは何事かと思い、急ぎ後を追ったが、飾り袋を発見した以外に何か特別なことをするわけでもなかった。

 問題は行動ではないところにある。

 動物と言えば、一年ほどで成獣に近い状態へとなるものが多い。イェオラの場合は二年ほど掛かるが、それでも一年もすれば成人男性程度には大きくなるものだ。

 セレスタは毎日しっかり食事も取り、よく眠っている。だが、そんな日々を一週間以上も続けているというのに、足腰がしっかりしてくることもなく、また見た目にも全くと言っていいほど成長をしている様子が無かった。持ち上げても、重さに変化が無い。

 それはセネジオも疑問に思っていたことだろう。城へ上がった際に、イェオラの飼育や調教を担当している者に尋ねてみたようだが、問題は無いと返されたらしい。

 ならば何故、成長しないのか。


 疑問はそれだけではなかった。

 シェザリウスが上衣を脱ぎ寝台に横になると、いつものようにセレスタに魔力の収縮が起こり始めた。腹に乗せ、じっと様子を窺う。相変わらず暖かな残滓を漂わせながら、真紅の髪の少女が姿を現した。

 この姿を眺める夜も、もう一週間以上続いている。

 しっとりとした髪を梳き、頬を撫で、唇に触れる。

 少女はまるで人形のようだ。目を開き、言葉を発し、動き回ることもない。呼吸をしていなければ、まさに人形だ。だが、彼女は生きている。胸の上に直接響く心臓の鼓動がそれを証明している。

 シェザリウスは時折震える瞼を眺め、落ちる吐息に手を翳し、少女が確かに生きていることを確認する。それでも彼女は目覚めず、そして、まだ元の白い毛玉に戻ることもない。

 そう、それこそが疑問だった。

 セレスタ自身の成長が止まっていることとは反対に、セレスタが少女の姿をとる時間は確実に長くなっているのだ。

 初めは髪を撫でやるだけで束の間の逢瀬は終わりを告げていた。それが、唇に触れる僅かな瞬間を得、頬を撫でる余裕が生まれた。今では滑らかな背を思う存分撫でることすら出来る。

 いつかはイェオラへと戻ることすらなくなるのではないかと思えるほどに、少女の姿をとっている時間は確実に延びていた。静謐な夜に変化する少女は、いつか朝日を目にしてその瞳にシェザリウスを映すのではないかと。

 そこに宿る感情は何であるのか見てみたいという期待と、セレスタが消えてなくなるのではないかという焦燥。

 今までに感じたことのない感情が押し寄せ、その不可解さに笑いたくなるのと同時に、一抹の不安もまた澱のように胸に沈む。

 まだ何も始まってはいないと思う一方で、確実に何かが変わり始めている。

 そんなことを茫洋と思いながら、シェザリウスは真紅の旋毛に唇を寄せた。

 瞬間、見計らったように今宵も白い毛玉が腹の上に戻り、安堵とも落胆ともつかない吐息を一つ落として、シェザリウスは瞼を閉じた。






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