25.そして一つの可能性へ
原石があるのは一体どうしてなの?
誰かに説明してもらいたくても、それが出来そうな人は誰もいない。
一人で自分の世界に入ってしまっている鳥の巣頭さんには声を掛けられない。ここまで連れて来た精霊さんなら、と思ったけれど、呼びかけに応じてはくれなかった。閣下を見上げてみても、閣下はもういつも通り、我関せずな態度で静かに緑を眺めている。……興味ないのかな? ああでも一応、鳥の巣頭さんが思索の世界からこちらの世界に帰って来るまで待つ、という体勢ではあるんだよね? たぶん。 直ぐにお屋敷に向かわないのはそういうことだよね? ……たぶん? うん?
閣下って本当に何を考えているのかわからないなあ、なんて、ちょっとだけ現実逃避気味に思っていると、聞き流していた鳥の巣頭さんの言葉が不意に鮮明になって聞こえてきた。
「――飾り袋の状態からすると、やっぱり閣下がセレスタをこの森で見つけたときと同じくらいに落とされたものには間違いがなさそうだな。布も紐も古いものでは無さそうだし……。こっちは調べればどの辺りで売られていた布かも分かるか」
その言葉を聞いた瞬間、ぴりりとこめかみに軽い痺れが走ったような気がした。
そうだ、これだ!
閣下の登場に嬉しすぎてすっかり意識の外になってしまっていたけど、私がこの飾り袋を見て感じた引っ掛かり。
色褪せもなく、地面に接していた部分だけ砂粒で汚れて湿っている以外は目立った傷みの無い布。何度か作り直しているとはいえ、毎日持ち歩いていたから多少は布がよれてはいるけれど、それもファラティアの記憶の中にある程度のものだ。
――おかしいよね?
私はファラティアとして死んで、生まれ変わって魔獣になったんだ。
死後から転生までって、そんなに短い間隔で起こるものなの?
私の中では、死んだら神様の御許で魂の疲弊や苦痛が浄化され、生前の行いなんかを吟味されたうえで見合ったものへと転生が果たされるのだと思っていた。それには、どんなに短くても死後数年は掛かるって、そう思ってたんだ。ううん、数年どころか何十年と掛かったっておかしくない、って。
でも飾り袋が綺麗なままで存在するのを見ると、私の転生はファラティアの死から極短い間で成されたことになる。
無いとは言い切れないけれど、信じられないことだ。
もしかして、この短期間での転生ということが、ファラティアの意識が蘇ってしまった原因なのかな? 弊害みたいなもの? ……わからない。
それに、もしも短期間での転生が可能なのだとすれば、おかしなことがもう一つ出てくる。
魔獣である今の私の身体の大きさからして、私は生まれてから少なくとも二ヶ月は経っている。お母さんのお腹の中にいる頃も含めれば、半年以上は魔獣として新しい生を過ごしているはずだよね。
そうすると、最短で考えて、半年前にはファラティアは死んでいることになる。
ここまでは、何も変じゃない。
だけど、ファラティアの元から飾り袋が持ち去られたのもそのときだとすれば、飾り袋がファラティア以外の手に渡ってからも半年経っているってことになって、そうすると少し辻褄の合わない部分が出てきちゃうんだ。
セレスタとしての私が森で発見されたのと、原石の入った飾り袋が森に落とされたのはほぼ同じときだと、鳥の巣頭さんは言った。
そうなると、ファラティアの死から森に落とすまで、原石を奪った人は半年もの間、中の原石だけでなく飾り袋まで残したまま持ち歩いていたってことになっちゃう。
しかも、それがめぐり巡ってファラティアの転生体である魔獣の私の近くで、あるはずの無い魔力を纏って発見されるって……そんな偶然、とても考え難いと思う。
飾り袋は馬車を襲撃した賊が持ち去ったと考えるのが自然で、だけどその賊が半年もの間、何の価値もない飾り袋を残していたと考えるのは不自然だ。
ああでも、賊は直ぐに原石を売り払ってしまったかもしれない。ただ、賊の元から手放されたのだとしても、買い手はどうして飾り袋を捨てなかったのかな。
そうだよ。私のお手製の飾り袋は、お世辞にも綺麗とは言い難くて、価値なんて無いに等しい。そんなものを捨てずにおく必要ってあるのかな? 見合う大きさの入れ物なんて、いくらでもあると思うのに。
――ちがう
そのとき、頭の中でまた声が響いてきた。きっと精霊さんだ。
さっきまでは呼びかけても何も応えてくれなかったのに、どんな風の吹き回しだろう。って、風の精霊さんだから、ってこと? いやいや、そんなおじさんが言いそうな冗談を考えている場合じゃないや。
精霊さんは、“違う”って言った。
でも、違うって、何が?
唐突で主語の無い精霊さんの言葉に戸惑う。
原石のことについてもそうだし、精霊さんは一体私に何を伝えたいんだろう。
――きれい、ふくろ……
綺麗な袋って言いたいのかな?
歪な出来の飾り袋にそう言ってくれるのは、お世辞だとしても嬉しい。
……だけど、今それって関係あるの?
――ちがう
ち、違うの? じゃあ何が綺麗?
――ふくろ、きれい、……とられてない
言葉がぶつ切りで、どう捉えたらいいのか。
さっきと単語の順番が逆になっているから、綺麗な袋じゃなくて、袋が綺麗っていうことかな? あまり変わらない気がするけれど……。
それに、“とられてない”って……、どういう意味だろう。
袋が綺麗で、とられてない?
“とられてない”は、“執られて無い”ではないし、“摂られて無い”でもないよね。
状況を考えて一番自然なのは、“盗られて無い”……かな?
そう考えたとき、精霊さんが頷く気配がした。相変わらず姿は全く見えないけれど。
……あ! 待って、“盗られて無い”ってきっと、賊に飾り袋を盗られたわけじゃないってことだよね?
もしかして、“飾り袋は綺麗に残っているから、賊に盗られたんじゃない”って言いたいの?
随分色々足しちゃったけれど、また一つ頷く気配がして、私の翻訳が当たったことがわかった。
でも、それだとまたおかしなことになる。
賊が奪ったんじゃなかったら、一体どうやって街道からこの森まで飾り袋は移動したの?
まさか、飾り袋が独りでに歩き出すわけもない。
……っ!!
私はそのとき、恐ろしいことに思い当たってしまった。
まさか――
この近くに、ファラティアの死体がある、とか――?
ファラティアの死体を森に捨てたとき、飾り袋を落としてしまったのかもしれない。
そんな、そんなのって……っ!
自分で立てた予想に、ぞっと全身の毛が逆立ったような気がした。
いやだよ、見たくない! 怖い……!
たとえこの近くにファラティアの身体が捨てられていたのだとしても、私にそれを見る勇気なんてない。
どんなに他人事のように言っても、私の意識はまだファラティアのときのものだ。誰だって、自分の死体を、それも時間が経っていると思われるものを、見たいだなんて思わない。
頭で考えるのと、実際に目で見て死を自覚するのとでは全然違う。
怖くて、仕方がなかった。
――ちがう
ファラティアの意識のままで自分の死体を見なければならないかもしれないという恐怖に、身体に小さく震えがめぐり始めたけれど、直ぐに私の考えは精霊さんによって否定されてしまった。
ち、違うんだ……。
ほっとしたと同時に、ちょっと恥ずかしくなる。
そ、そうだよね。
勝手な予測なのに恐怖に駆られてしまったのもそうだけれど、よく考えればわかることだった。
ファラティアの死体がこの森に捨てられたことによって飾り袋が落ちたのだとしたら、時間に誤差が出てきてしまう。
飾り袋が落とされたのは、セレスタが発見されたとき――つまり、一週間ほど前だろうというのが、鳥の巣頭さんの見解で、たぶんこれは飾り袋の状態からしても正しい。
そうすると、少なくとも半年前に既に死亡していたファラティアの死体を、今頃になってこの森の奥に移動させたということになってしまう。
言いたくないけれど、半年も経っていたら死体というより骨だと思う。そんなものを今更移動させることに意味があるとは思えない……んだけどな。
でも、飾り袋がファラティアの死体と共にこの森に来たんじゃなかったら、一体どうやって……?
もう、残る可能性なんて、一つしかないんじゃないだろうか。
頑なに信じていたことが覆されてしまえば、足元が曖昧になってしまう。
その怖さがわかっていたから、考えないようにしていたけれど、風化していない状態の飾り袋と原石が見つかったことで、直視しなくちゃいけなくなったこと。
私、本当は、転生したんじゃないのかもしれない――。