20.先を濁す案内人
鳥の巣頭さんに抱かれたまま、お屋敷内を案内される。
先々で大まかな説明を受けながら、私は立ち行く使用人さんたちを懐かしい思いで眺めていた。
ファラティアだった頃、私もここの皆と同じように忙しなく動き回っていたんだった。
セイレア様のお気に入り……というか、幼い頃から遊び相手も兼ねていた私は所謂セイレア様付きの専属で、他の皆と全く同じ仕事をしていたわけじゃないけれど、セイレア様が快適に過ごせるように日々頑張っていた。
私にとっては直接の主人であるセイレア様を含め、旦那様や奥様も気さくな方たちだった。使用人も身内のように扱ってくださり、だから使用人側も出来る限りお役に立とう奮闘する。まさに理想的な主従のあり方だったんじゃないかと思う。
そしてそのご主人様方の暖かな雰囲気は使用人たちにも伝染していて、使用人同士もとても仲が良かった。仕事に追われて足早になる中でも、すれ違えば笑顔を交わし、そこかしこに楽しげな笑い声がさざめいていたように思う。もちろん、ご主人様方の品位を損なわない程度にだけれどね。
お屋敷全体が陽だまりみたいな場所だったな、なんて、感傷的に思ってしまった。
きっと、もう手の届かない場所だからこそ、実際よりも美化されてしまっているところも沢山あるとは思うんだけれど、ファラティアの人生はすごく幸せだったな、と思う。
でも、目の前に広がる光景は、ちょっと不思議。
この場所――閣下のお屋敷の使用人さんたちは、物凄く静かなんだ。
みんな生真面目に黙々と仕事をこなしている。
全く会話がないわけじゃないけれど、セイレア様のお屋敷と比べれば格段の差があった。
ここでは当然のように、私語や笑い声なんてほとんど聞こえない。取るに足らない小さな文句が零れることのない代わりに、笑顔が表情から零れ落ちてしまったみたいに、みんな無表情だ。
なんだか味気ない気がする。
そう思うのは、ただ単に私が生きてきた……生きていた場所が、賑やか過ぎただけなのかな。
それか、高貴な人のお屋敷というのは本来こういうものなんだろうか。セイレア様について夜会や他の貴族の方のお屋敷へ行ったことはあるけれど、日常を垣間見ることなんてなかったから、よくわからない。
ああでも、これはこのお屋敷の主人である閣下の影響なのかな? セイレア様の使用人たちがそうだったように、閣下の使用人さんたちも閣下の雰囲気が伝染したのかも。閣下も全然喋らないものね。
「ほら、ここから庭に出られるよ」
鳥の巣頭さんが小さなテラスのある部屋に入り、奥に進みながら言った。
見ると、閣下の私室のバルコニーから私がいつも見下ろしていたと思われる、広いお庭がテラスの先に広がっていた。
「普段は掃除が終わったら閉めちゃうけど、君が動き回る時間の間は開けておくように後で言っておくから、自由に出るといい」
言って鳥の巣頭さんがテラス窓を開くと、ふわりと心地のいい風が私の毛を揺らしていった。
テラスから下りた先には綺麗に整えられた芝が敷き詰められていて、さらにその奥には小さな白い花をつけた生垣がある。
閣下が庭に下りたところは見たことがない。というか、そういえば閣下も私室と執務室、食堂や湯殿くらいしか移動していなかったかも。でもそれはそうだ。この一週間足らず、私と閣下はほぼ一緒の動きしかしていなかったんだから。閣下にとってそれが日常的なことなのか、私に合わせてくれていたのかはわからない。だけど、閣下も篭もり切りじゃ身体に悪いのは確かだから、今度は一緒に出かけられたらいいな。
バルコニーから見下ろしていた庭は、閣下が下りると下りざるとに拘らず庭師の人が毎日きちんと整え、剪定していた。その様子を見ながらいつか庭を散歩してみたいと思っていたから、これから自由に来られるというならすごく嬉しい。
そうだ、これからも閣下が執務ばかりしているようなら、このお庭に連れ出そう。庭くらいだったら、移動に時間が掛かるわけじゃないから、そこまでお仕事の邪魔になったりしないよね?
それにしても、いつもは閉めておく窓をわざわざ私のためだけに開けておいてもらうなんて、いいのかな。
これから頻繁に来る気満々だというのに、そんなことを気にするっていうのもおかしなことかもしれないけど、少し申し訳ない気がする。
それに。
鳥の巣頭さんは私に対する疑いを完全に無くしたわけじゃないのに、私にお屋敷の中を自由に歩かせていいんだろうか。
そんな疑問が今更ながらに浮かんだ。今朝鳥の巣頭さんが私の自由行動について言い出してくれたときは、閣下が返事を躊躇ったことで頭がいっぱいになってしまって失念していた。
でもよく考えたらおかしなことだよね?
私のことを“ちょっと変わったイェオラと思った方が自然”とは言っていたけれど、でも疑いが完全に晴れたわけじゃないとも確かに言っていたのに。そうして私のこと脅していたし。
まさか鳥の巣頭さんが自由時間の間ずっと私に張り付いているわけもないだろうし、野放し状態でいいのかな? ……私が心配するようなことじゃないかな。
そんなことを考えながら、テラスから出て芝生の上に私を下ろしてくれた鳥の巣頭さんを見上げた。そしたら、鳥の巣頭さんもこちらを見ていたようで、思いっきり目が合って吃驚した。なんかこう、じーっと観察するような視線だったから、思わず身体を硬くしてしまう。
何だろう? 私、おかしなことしたかな?
――いやいや、おかしなことも何も、まだ芝生に下りただけだよ!
「……」
少しビクビクしながら鳥の巣頭さんを見返していると、暫くしてふと鳥の巣頭さんの表情が変わった。
いつもの、朗らかな笑顔なのに得体が知れない、というちぐはぐな表情じゃなくて、困ったように眉尻を下げて、口元には苦笑が浮かんでいる。
そんな表情をすると、何故か好青年に見えてくるから不思議だ。――いやいや、騙されないよ!
「ハハ、毛が膨らんでる。――そんなに警戒しなくても、なにも取って食べたりなんてしないよ」
その言葉は大変疑わしいです。
と、思ったのが顔に出てしまったのか、鳥の巣頭さんはまたちょっと笑って肩を竦めた。
「確かに君はまだ不審な点が多くて疑念は尽きないのに、屋敷に放すなんて危険だとは思うんだけどね。……素性よりも確かめたいことがあるんだ」
素性よりも確かめたいこと……?
私は首を傾げる。
それは、素性よりも大事なこと、ってことなんだろうか。
「君が人語を解しているというのは確かに他のイェオラにはない、特殊な能力だ。でも君にはもっと稀有なところがある。……セレスタ、君は初めて閣下と会ったときから、あの方を畏れたりしなかったよね」
畏れるって?
はじめは人形に見えていたから怖かったけれど、それは畏れた……とは言わないよね。
でも畏れる必要なんて何もなかったし。乱暴な扱いを除けば閣下は優しかったから、むしろあっという間に心を預けてしまったんだ。だからこそ、今朝だってあんなに不安になった。
でもそれが稀有だとでも言うんだろうか。
どこが? ――よく、わからない。
鳥の巣頭さんは、すいと視線をどこか遠くへやって呟いた。
「ここは静かだろ? 静かで森が近いから、鳥の声がよく聞こえる。街からも少し距離があるし、喧騒もあまり届かないんだ」
話が飛んでしまって、さらに鳥の巣頭さんの言いたいことがわからなくなった。
閣下を畏れる云々の話はどこへいってしまったんだろう。
戸惑うばかりの私に、再度鳥の巣頭さんが視線を寄越す。
「そういえば、今朝は珍しく閣下が執務を休んでいたね。きっと、この一週間ずっと君と一緒にいたから、手放し難くなったんだろうね。ほんの数時間のことなのに、ハハ。――あとは、心配だったのかな」
誰かを心配する閣下も見たことないけど。そう言って鳥の巣頭さんはまた笑う。
私も閣下の部屋を出るときは、どことなく名残惜しい気持ちがした。同じお屋敷内を移動するだけだし、鳥の巣頭さんの言ったように時間だって半日にも満たない間だけの話なのに、情けないことだと思った。だけど、閣下も同じような気持ちでいてくれたなら嬉しい。
心配してくれていたのは私も知っている。直接的にではないけれど、閣下がそういう意味のことを言ってくれた。それで私の不安な気持ちは解けて、一気に安心してしまったんだ。
私の身体はまだ幼くて、何もかもしてもらうばかりで何一つ返せていないのに、身の安全についてまで心配してくれる閣下はやっぱり優しいんだと思う。
そう思ったんだけど、鳥の巣頭さんの言う心配は、私の思ったそれとはちょっと違ったみたいだ。
「屋敷の中を見せるのは避けたかったのかもね。まあ、俺はそこを敢えて君には見ておいて欲しかったんだけどさ」
――ええ?
どうして? 立派なお屋敷だし、何もおかしなところなんてないと思うのに。
もう本当、言っている意味が全然わからないよ、鳥の巣頭さん!
急に人の言葉を理解できなくなってしまったのかと、ちょっと本気で思ってしまった。
「――さあ、今日はそろそろ閣下のところへ戻ろうか。初日だしね」
そう言って鳥の巣頭さんは私を抱き上げ、話を切り上げてしまった。
抱き上げられた拍子に一瞬視線が逸れて、次に鳥の巣頭さんの顔を視界に入れたときにはもう、いつも通りの食えない笑い顔の鳥の巣頭さんに戻ってしまっていた。
結局、せっかく行動範囲が広がった記念すべき日だったというのに、なんともすっきりしない一日となってしまった。