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幕間 真紅の幻影 二



 カーテンの隙間から煌々と月明かりが照らす中、シェザリウスはじっと腹の上で眠る白い魔獣を見つめていた。

 何故だか拗ねたように寝台の下へ潜り込んでしまったのを魔法によって引っ張り出したのだが、取り出してみれば随分と気持ち良さそうな寝息を立てていることには多少驚いた。寝台の下なぞ寝心地の良い場所とも思えないのだが。

 セレスタの眠りはいつも深いらしく、寝入った後はシェザリウスがどんなに触っても起きる気配はない。警戒心はどこに置き忘れて来たのか。獣として必要なそれを探しに行くべきかと本気で悩むが、これはこれで面白いから放っておいてもいいかとも思う。


 森で拾い、屋敷へ持ち帰ってから既に数日が経った。

 名を与え、一日の大半を共に過ごす。

 初めは生き物が側に在ることに違和感ばかりがあり今でもそれは変わらないが、一方でここ数日のうちにいつの間にかセレスタの姿を目で追うようにもなっていた。

 セレスタを観察し、或いは触れていると不可思議な気持ちになる。経験したことのないような気持ちは正体が不明だったが、不快ではなかった。

 人や、獣までもが警戒する己に対して、セレスタは触れることも、また触れられることにも抵抗しない。やはり警戒心をどこかに捨ててきたのではないだろうか。

 突然の接触に驚くことはあっても、嫌悪も拒絶も表さない。臆することなく側へ寄り、無防備に身を預ける。

 何故なのか、疑問で仕方がなかった。

 加えて、こちらと目を合わせたまま長い時間逸らさずにいられることも不思議だった。大抵のものは、初めから視線など合うことはないし、合っても直ぐに逸らされるばかりであったというのに。


 シェザリウスはつい今し方の厨房でのやり取りを思い出す。

 セネジオは、セレスタが人の言葉を解していることに疑念を抱き、不審に過ぎると牽制を掛けていた。まあ、それだけでなく散々からかって遊んでいたようでもあるが。

 確かに智慧ある魔獣であるとはいえ、発した言葉に対するセレスタの反応は的確で、妙に人間臭かった。人の言葉を聞き、考え、己の意思に従って行動している。そう感じられた。

 しかし、シェザリウスにとってそれは然程に異彩なこととは思えなかったのだ。

 何故なら。

 シェザリウスは白い魔獣を見つめる。


 ――そうだ、何故なら今目の前で起こり始めている現象こそが、奇矯であるからだ。


 腹に熱が点る。己から発しているものではなく、腹の上に乗せているものから伝わるものだ。

 胸の内まで熱くするような、それでいて包み込むような魔力のうねり。

 初めて異変を感じてから毎夜繰り返される現象に、シェザリウスはもはや動揺などしない。その後に起こるだろう変化を静かに焦れるように見つめた。

 く、と胸裏の何処かから湧き上がる気持ちを捻じ伏せ、待つ。

 白い光が視界を焼く。光は痛みを齎さず、消え去った後に目を眩まされることもない。ただ一瞬、目隠しをされるようなものだった。

 その光が治まれば、先ほどまでよりも少し重みを増した、波打つ紅が現れる。

 温かく、滑らかな。

 しなやかに投げ出された腕が繋がる剥き出しの白い肩は華奢で。


 シェザリウスはいつものように刺激を与えぬよう、そっと紅い波を払う。

 現れた顔は初めて目にしたときと変わらず幼い少女のものだ。無防備に薄く開く唇からは緩やかに呼気が吐き出されている。

 静かに指を這わせれば柔らかく弾力のある感触が伝わってくる。桃色に艶めく様は果実のように瑞々しい甘さを思わせた。


 目を開いた少女は、セレスタと同じように真っ直ぐとこちらを見るだろうか。それともやはり畏れをもって拒絶を表すだろうか。

 その瞳に浮かぶ色は。

 安心し切ったように眠るこの少女を己の胸から引き上げ、間近で顔を見つめ頬を撫で、背中に手を這わせて揺り起こしたい。不可思議な衝動。


 ――お前は一体何だ。


 本来であればたとえ眠っていたとしても少女を目覚めさせ、何者か、何故このような変化を遂げるのか問い質させねばならないであろうに、シェザリウスはこの数日、一度もそれを実行に移せなかった。

 今はまだそのときではないと、何故か言い聞かせるように胸の内で呟いている。

 やはり、不可思議な気持ちだ。

 それはセレスタと過ごしているときと変わらない。ただ少女は眠っているだけだというのに。


 髪に触れ、唇に触れ。

 それだけで、束の間の接触は終わる。

 初めにこの変化を目の当たりにしたときは、動揺もあってか髪を払うだけで終いになったのだから、それを思えば触れる時間は延びている。

 しかしそれでも短い。

 存在を確かめるための時間の余地が無いことも、シェザリウスが彼女を強引に夢路から連れ出せない理由でもあった。


 幻影と錯覚しそうな紅い髪の少女は、素肌の柔らかさと滑らかさの感触だけをシェザリウスに残して消える。

 夜毎セレスタを腹に乗せて寝台に横たわるのは、全身にその残影を刻み付けたいからだろうか。

 しかしそれすら、戻ったセレスタの豊かな白い毛の柔らかさと温かさに滲んで朝にはすっかり消えてしまう。

 それでもセレスタは手放せない。

 どちらもシェザリウスには貴重な感触であるから、だろうか。


 答えなど出ないまま、魔力が急激に大きく膨らみ、空気に溶けたときには今夜も白い魔獣が腹に戻っていた。

 時折鼻をぴすぴすと鳴らしながら、寝顔は相変わらず安らかで。


 それを確認して、シェザリウスは静かに瞼を下ろした。

 今はまだ、このおかしな生き物は、おかしなまま。

 それでいい。


 そう思いながら、ゆっくりと意識を沈めていった。






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