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14.勝利の一杯



 結局、朝食も昼食も食べずに迎えた夕食の時間。

 基本的に夕食はお屋敷の一階にある食堂で摂ることになっているので、私も閣下と一緒に食堂に居た。もっと正確に言うと、20人以上が座れそうな大きなテーブルの上の、閣下の前から少し離れた所。

 執務机もそうだけど、初めは食事を摂るためのテーブルの上に乗るのに抵抗があったけれど、鳥の巣頭さんに『アハハハ、遠慮してるのかい? でも、床で絨毯の上にミルクを零されると処理が大変だからね。君、飲むの下手だし、アハハ』と言われたら、強くも出られないよね……。本当のことでも酷くない?



 閣下の目の前には、既に食前酒や前菜が並べられている。

 相変わらず、どこか面倒そうに席についている閣下はまだお酒しか口にしていない。

 私はと言えば、目の前には蜂蜜を溶かしたミルクのお皿があるんだけれど、まだひと舐めもしていなかった。


 閣下が食事を拒んだら、私も出されたミルクを飲まないと決めたのだ。

 閣下が一口何かを口にしたら、私もミルクをひと舐めする。ちなみに、飲み物はこの限りじゃないから、閣下がいくらお酒を飲んでも、私はミルクを飲めないことになる。


「セレスタ、閣下に倣わなくていいから、ミルク飲んだら?」


 閣下に給仕をしながら、鳥の巣頭さんが私に向かって言う。

 鳥の巣頭さんは、私が閣下の真似をして食事を拒否していると思っているみたいだ。

 ……ううん、違うかも。ちょっとニヤついているような気がするから、もしかしたら言葉どおりには思っていないのかもしれないな。

 私は正直、腹ペコです。

 さっきからお腹はくうくう鳴りっぱなしで、朝も昼もちゃんと食べていないから、育ち盛りのはずの身体にはこんなこと苦行でしかない。

 お腹と背中が本当にくっついちゃうかもしれない。

 閣下はどうしてこんなことに耐えられるのか、――というか、自ら進んでするのか、不思議で仕方なかった。


 でも、ここで私が折れたら、閣下は本当に適当にしか食事を摂らなくなるんじゃないかと思うんだ。

 だから閣下から目を離さずに、たまに近くにある閣下の食事のお皿を鼻先で押しやってみる。それから閣下に視線を送って、少し待ってみる、ということを繰り返した。


「……」


 そんな私にも閣下は無言、無表情で気づかぬ振りを貫いている。

 もう、そんなに食事を摂りたくないの? 億劫だからなんて、よくわからないけれど、何か理由があるのかな。


 ……ああ、でももう本当、ちょっと力が出なくなってきた。


「セレスタ。ほら、君の方が一度に量を摂れない分、本当は何度も食事が必要なんだから、ちゃんと食べなさい。一日何も食べないなんて、また身体が弱ってしまうよ。――え? 閣下が食べないのに自分ばかり食べたら悪いって? いやいや、そんなことを気にしちゃいけないよ。いくら命の恩人で今や君のご主人様だとは言え、それとこれとは――ん? 主人が餓死するなら自分も……って、そんなに命を粗末にしちゃいけない。たとえ閣下がそうしてもね」


 ……なんだか一人芝居を始めてしまったみたい。

 閣下と一緒に死ぬなんて、私、そこまで考えてないよ?

 鳥の巣頭さんは大袈裟に私を心配する風に言うけれど、ちらりと閣下に視線を送るのが見えたから、閣下へのあてつけの意味が大きいんだろう。

 私の行動も同じようなものだからなんとも言えないんだけど、なんだかなあ。


 もう突っ込む気力もないし、寝ちゃおうかなあ、なんて心が折れそうになっていたとき、目の前から私のお腹の虫に掻き消されそうなほど小さな吐息が聞こえた。次いで、食器が擦れる音がする。

 私はぱっと伏せていた顔を上げた。


 ――閣下!


 閣下が優雅な仕種で食事を始めていた。

 一口大のクリームチーズを薄紅色のスモークサーモンで巻いたものが、ゆっくりと閣下の薄い唇の奥に消えていく。


 ……なんだか、感動……。


 私は、赤ちゃんが始めて立った、くらいの勢いで感動してしまった。

 昨日の朝に食事を摂っていたのは見ていたけど、丸一日食事をしていないのも知っているから、一入ひとしおだ。


 閣下は私をちらりと見て、スイと左手の人差し指を払った。私の目の前にあったミルクのお皿が触れていないのに少しだけ私に近づく。

 飲め、ってことだよね。

 でも、閣下が全部食べるのを確認しないことには……。


「全て食べる」


 私の心を読んだように閣下が呟いた。いや、宣言……? 

 あまり喋らない閣下の貴重な言葉。だけど、それよりも内容が嬉しい。

 少なくとも、この夕食はきちんと摂ってくれるということだ。まだ明日以降も気は抜けないけれど、もう今夜のミルクは全部飲んでもいいよね!


 私は嬉しくなって、一声鳴くと急いでミルク皿に鼻先を突っ込んだ。

 ――あ。

 ミルクが盛大に飛び散った。




 ◆◆◆◆


 食事の後、閣下は紅茶を、私は本能的に毛繕いをしていると、鳥の巣頭さんが近づいてきて言った。


「閣下、ちょっとセレスタをお借りしますね」


 言うなり、閣下の了承の言葉も私の反応も気にせず、ひょいと抱え上げて歩き去っていく。呆然としているうちに、すとんとどこかに降ろされた。

 流し台や調理器具が見えるから、厨房みたいだ。

 きょろきょろしているところへ、何かが口元に押し付けられる。


「はい、ご褒美」


 咄嗟に口を開けると、すぐに瑞々しく弾力のある食感とほんのりとした甘さが舌の上に広がった。


 ――あ、これ、タリアの実だ。


 タリアの実は、硬く赤い皮に覆われた白い瑞々しい果実で、消化に良く栄養価も高いので、子供のデザートによく使われる実だ。酸味はあまりない代わりに甘みも薄く、さっぱりしている。

 ミルクが好きだとは言え、流石に毎食のこととなると少し飽き始めていたから、凄く嬉しかった。

 満足顔でもぐもぐしていると、鳥の巣頭さんがアハハと笑いながら言う。


「流石イェオラだね。君は賢い。初めて君がイェオラだと気づいたときは、また面倒なものに当たってしまったと思ったけど、今は君が賢い魔獣のイェオラでよかったと思っているよ」


 閣下に食事をさせてくれて有難う、なんて続けるから、少し照れてしまった。

 鳥の巣頭さんも心配していたんだろうな。ぽろっと出た黒い発言は忘れることにしよう。タリアの実に免じて。


「やっぱり、言葉でばかりじゃなく、態度で示すのが一番効果があるのかな~」


 さらに続いた言葉に、鳥の巣頭さんは何をするつもりだろうと心配になったけれど、きっと閣下の悪いようにはしないだろうから、気にしないことにした。

 閣下、頑張って。


「それにしても」


 言って、言葉を切る。急に周りの空気が変化したような気がした。

 慌てて鳥の巣頭さんを見上げると、満面の笑みを湛えている。でも、私は一瞬だけ鳥の巣頭さんが真顔だったのを見てしまっていた。

 自然と身体が強張り、毛穴が締まって全身の毛が少し浮いた。

 息を呑んでいると、鳥の巣頭さんが笑顔に似合わない低い声で言った。


「……少し賢すぎるような気がするね」


 今までのような得体が知れないための怖さじゃなくて、純粋な恐怖が背筋を駆け上がっていく。


「閣下が君を屋敷に置くと決めたとき、俺が反対したら君は閣下に慌てて懇願しているようだった。名を与えたときには、その意味を説明したら目を輝かせていたな。あとは昨日の朝食のときも、今し方の夕食も、閣下が食事を拒んでいることをきちんと理解していたし、それどころか食べるようにと促していた。……君は人の言葉を解しているようだ。不思議なことに」


 言われて、初めて気づいた。

 私の意識はファラティアとしてのもので、当然言葉だって学習した記憶で成り立っている。だから全然、可笑しなことだと思わなかったけれど、鳥の巣頭にしてみれば理解できないことなのかもしれない。

 鳥の巣頭さんの一人称が『私』から『俺』に変わっていることは、彼の本気を思わせて更に背筋を冷たいものが走った。


「君は長く人と共に歩んできた魔獣のイェオラだ。賢く、人の意を解するほどに智慧があるのもまた確かだ。――それでも。それは主人を得て、長年連れ添った騎獣だからこそだろう。……君は生まれて間もないはずなのに、人の言葉の端々まで理解しているように見えるのは、何故だろうね?」


 完全に、あらぬ誤解を受けている。


「今、こうして話している言葉も理解しているんだろう?」


 ああ、目が笑っていない。

 今までの笑顔が、真実おかしくて笑っていたのだという気がしてきた。

 それほど、鳥の巣頭さんが今浮かべている笑顔は感情が抜け落ちている。

 私はどうしていいかわからなくて、ただ身を竦めるしかなかった。


 だって、何も疚しいことなんてない。ただ、魔獣として転生したのに、ファラティアとしての記憶が蘇ってしまっただけだ。

 でも、閣下の食事に関してがそうだったように、私は聞き取ることはできても伝える術を持たないんだ。


「……キュゥ……」


 鳥の巣頭さんが発する威圧に押されるように、毛を膨張させながらじりじりと後退さる。


「何処かで仕込まれたのか? ヘゼルダリアの魔術か? 目的は何だ」

 

 ――ああ、どれも違うのに! どうしたらいいの!







閣下敗北。

ファラ勝利! と思いきやピンチ!

まあ、色々と怪しいところありますよね。



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