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12.昼下がりの攻防



 緊張感のある朝食の後、机の上から下ろして欲しいと訴える機会を失った私は、結局また“項垂れた熊の置物”という状態になって、お昼過ぎまで過ごした。

 退屈だったといえば退屈だったのだけれど、人の気配がありながら静かで温かい室内はどうにも心地いい空間で、襲い来る睡魔に抗えなくて。

 時折、項垂れすぎて前転しそうになった私を閣下が止めてくれるくらいで、午前中はあっという間に過ぎてしまった。


 でも、流石に午後もこの状態だと一日中寝ていることになってしまうから、昼食を摂った後に私なりに閣下に訴えてみた。


 外 に 出 た い 。


 鳥の巣頭さんには、寝室と執務室以外は出ちゃ駄目って言われたけれど、バルコニーくらいならいいんじゃないかな。

 そう思って、窓硝子に貼り付くようにして窓の外を凝視してから、じーっと閣下を見つめる。

 閣下の意識が私から逸れたら、注意を引くためにちょっとだけ鳴いてみる。

 本当は鳥の巣頭さんに訴えたら早かったような気もするんだけれど、残念ながら鳥の巣頭さんは、給仕を終えた後に退室してしまった。

 普通、侍従は茶器を片付け終えるまで留まるもので、飲み終わった茶器を放置しておくなんてことはないんだろうけれど、今日が特別だったのか、鳥の巣頭さんは閣下に二言三言告げて出て行ってしまったんだ。

 それでも、何度か繰り返すと、寝室にあるソファで紅茶を飲んでいた閣下も察してくれたようで、ゆるりと立ち上がると、窓を開けてくれた。


 ああ、なんだかご主人様を扱き使ってしまったようで、申し訳ない……。


 でも、この身体では高い位置にあるバルコニー窓の鍵を開けることも、それなりの重さのある窓を開くこともできないから、仕方がない。よね。


 窓が開いた瞬間、ふわりと外の爽やかな空気が私の白い毛を撫でて行った。気持ちいい。

 森が近いからか、緑と土の香りがする。


「……」


 私が匂いを嗅ぎつつバルコニーに出たのを確認すると、閣下は朝と同じように長衣をバサーッと翻して執務室の扉の奥へ消えた。

 まだお仕事が残っているんだろうな。

 そう考えると、本当に何も出来ない自分が申し訳ない。

 助けてくれたことにも保護してくれたことにも感謝の気持ちがあるのに、まだ今の私は何も返せないんだ。

 ちょっと落ち込みそうになったけれど、出来ないことを嘆いていても仕方がないから、気を取り直してバルコニーの奥へ進んだ。

 早く立派な騎獣になりたい。それは本当。でも、成長を喜べない自分も確かにいるから、ちょっと複雑だ。


 テラスの奥へ近づいてみると、転落防止の白い柵は、一本一本の柱に細かな彫刻が施されていた。

 柱の一本の太さは、男性の足より少し太いくらいなんだけれど、一本ずつの間隔はその二倍ほどあるから、注意しないと隙間から落ちてしまいそうだ。

 私は少し離れて止まると、そっと柱の間から外を覗いた。


 閣下の寝室は二階にあったようで、それほど高さがあるわけじゃないから、一望、というわけにはいかないけれど、広く綺麗に整えられた庭と、その先には街並みが見える。

 空を仰ぐと今日は快晴で、見える範囲には雲なんて一つも無かった。時折、雀や小鳥が横切っていく。


 ――そういえば、こんなにのんびりと空を見上げたのは、久しぶりかもしれない。


 忘れなきゃいけない、と思いつつも浮かんでくる、ファラティアであった頃の記憶。

 すごく充実していたけれど、忙しさのあまり空を静かに見上げたり、ゆっくりと深呼吸をすることを忘れていた気がする。


 日が昇る前から起床して、夜はセイレア様のご就寝を確認してから、諸々の処理をして明日の準備を整えてから、床に就く。

 当然朝が早いから、床に就いた途端にぐっすりだった。

 セイレア様の無謀でささやかなお願いを叶えるために奔走したり、毎日が目まぐるしくて、でも全然飽きることがなくて、楽しかった。


 この場所でも、そんな日々が送れるかな。


 そう考えて、直ぐに否定した。

 きっと、同じ日々になんてならない。

 だって、今の私のご主人様は閣下で、閣下は私の扱いこそ雑だけれど、すごく静かな空気を纏う方だ。

 今朝もそうだったけれど、なんとなく、木陰で静かにまどろむような、そんな穏やかな日々になるんじゃないかな、って思った。

 それで、そこに鳥の巣頭さんの軽薄な笑い声がちょっとした風を送り込んでくる。


 想像したら可笑しくて、ちょっと笑ってしまった。


「……セレスタ」


 ここでも十分頑張っていけそうだな、なんて思いながら風を感じて暫く経ったころ、背中に静かな声を掛けられて私は振り返った。

 この胸に静かに降り積もるような声は、閣下のものだ。


 は、初めて呼ばれた……!


 嬉しくて駆け出そうとして、急停止する。


「キュッ?」


 振り返った先には閣下だけでなく、いつの間にか机と椅子が一組、出現していた。

 さっきまではなかったのに、寝台とバルコニーの間の空間に、閣下が両手で囲えるくらいの小さな丸い机と、揺り椅子のように背凭れが少し倒れている木の椅子があって、閣下はその椅子にゆったりと腰掛けていた。


 ――い、いつの間に!?


 しかも、お昼までは執務机の上にあったような書類の束が、丸机の上に積まれている。

 もしかして此処でお仕事していたの? いつから?

 椅子はバルコニーの方を向いていて、当然、閣下も身体は此方を向いている。

 閣下も風に当たりたかったんだろうか。それとも、仕事をしながら私のことを、バルコニーから落ちないように見ていてくれた、って、考えていいのかな。自惚れすぎ……?

 でもどちらにしろ、全然気づかなかった。


「セレスタ」


 椅子と机は魔法で移動させたんだろうか、なんて考えて固まっていたら、もう一度名前を呼ばれた。

 なんだか少し、くすぐったい。

 こうやって何度も呼ばれるうちに、ファラティアとしての私は薄らいでいくのかな。


 急ぎ足で閣下の下へ寄ると、足元へ到着した途端に鷲掴んで膝の上に降ろされた。正確には、閣下が広げた足の間の椅子の部分なんだけれど。

 向かい合う形になった私が見上げると、閣下はどこか満足そうに瞳を細めて私を見下ろしていた。


「キュウ?」


 休憩ですか?


 と私が首を傾げて見つめていると、閣下は静かに右手を上げて、昨日のようにまた私の背中をぐいぐい引っ張――撫で始めた。


 あ、相変わらず力強い撫でっぷりですね、閣下……。


「……」


 たぶん、いや確実に、皮が引っ張られて凄く可笑しな顔になっているはずなんだけれど、閣下はくすりともしないで、無表情のままそんな私を見ている。

 うーん、何を考えているのやら。

 閣下は暫く私に変な顔をさせ――撫でた後、今度はそっと耳元に手を翳した。


 あ、ああああ、や、やめてー、耳がくすぐったい!


 閣下が私の耳に触れるか触れないかのところで手を止めてしまったので、産毛がさわさわ触れてくすぐったくて、耳が反射的にぴくぴくする。

 相変わらず表情が無いからわからないけれど、手が一向に移動しないことを考えると、私の耳が震えるのを面白がっている気がする。


「……」


 そのまま微動だにしなくなってしまった閣下に我慢できなくなって、私はばっと左手で左の耳を押さえ込んた。


 く、くすぐったかった……!


 なんだかまだ産毛に感触が残ってしまっている気がする。

 一度身震いすることでその感覚がとれると、やっと私はホッとして溜息を吐いた。

 獣の耳は敏感だということは、よくわかったよ。

 もう、何がしたかったんだろう、閣下……。 って、遊んでたのかな。たぶん。

 私が項垂れてると、視界にまたすっと動く閣下の右手が映って、ちょっと身構えてしまった。

 今度は何? と思ったけれど、閣下の手は今度は柔らかく私の頤を掴んで、するりと優しく撫でるように私の顔を上向かせるだけだった。


「……」

「……」


 見上げた先で閣下の灰青色の瞳と目が合って、また閣下は微動だにしなくなってしまった。

 閣下の瞼が静かに上下するのをじっと見つめていたけれど、動かない。

 というか、閣下、優しく触ることもできるなら、今度からはそうやって扱って欲しいな。是非。

 という思いを込めて見つめること暫く。温かい風が時折頬を撫ぜていく。

 静かに待ってみたけれど、閣下は一向に動く気配がない。


 えーと。い、生きてるよね?


 私は未だに顎に添えられている閣下の手をぺろりと舐めてみた。

 反応は無くて、もう一度、今度は何度か舐めてみる。


「……」


 まだ瞼以外が停止状態の閣下に、もう一度だけ舐めてみようかと舌を出したら。


「――ァゥ!」


 閣下ってば、いきなり親指をすぽっと私の口に突っ込んできやが――突っ込んでいらっしゃいました!

 なんてことするの!!


 私は必死にあぐあぐと口を動かして、ペッと閣下の指を吐き出した。――それでも湯殿での時みたいに噛み付かなかった私って、偉いと思う!

 無表情で突拍子のない行動をとるのは、本当にやめて欲しい。


 私が前足で閣下の不届きな右手を押さえつけつつ、恨めしげに見上げていると、閣下は静かに数度瞬いた後――。


「……」


 ――あ……。


 本当に本当に微妙に、爪の先程の小さな変化でだったけれど、ふっと吐息を漏らして――閣下が笑った。


 それは、雪が手の平にほとりと落ちて直後に淡く消えてしまうような、幻みたいな笑顔だったけれど、じっと見つめていた私の目には鮮明に焼きついてしまった。

 急に心臓が鼓動を速めたことにも気づかずに呆然としていたら、直ぐにまた無表情に戻った閣下が、“わしっ”と私を掴んで体勢を横向きに変えてしまった。

 頭の上に閣下の大きな手が降ってきて、その重さに私は顎を閣下の腿に乗せるような形になる。

 たぶん、ここで休め、ってことなんだと思うけど。

 ちらりと見たら、閣下は既に何事も無かったように書類に手を伸ばしていた。


 お仕事を再開するなら、邪魔をするわけにはいかない。


 私は、不思議な高揚感を誤魔化すように、バルコニーの外へ視線を向けて。


 ゆっくりと目を閉じた。


 あんなに貴重で綺麗な微笑みが見られるなら、突拍子もない行動も、雑な扱いも、全然苦にならない。

 これから一緒に過ごしていく中で、またいつか、見せてもらえたらいいな。


 そう思った――。







犬や猫が欠伸したりしているところに指を突っ込みたくなるのは私だけでしょうか……

ちなみに私は、飼っている犬によく変顔をさせます。弄るとすごくウザそうな顔をするのが可愛いです^^^



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