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11.新しき始まりの朝



 名前も付けてもらって、よくわからないやる気が漲ってきた。

 名前の感じはもちろん男の子だけど、もうそういう細かいことは気にならない。

 朝のミルクを貰って、さあ次は何をすればいいんだろう、騎獣になるためのお勉強? いつでもどうぞ! と閣下を見上げたら、既に紅茶を飲み終わった閣下はゆるりと優雅な動作で立ち上がり、バサーッと長衣を翻して、あっという間に寝台とは反対の扉に姿を消してしまった。


 あ、あれ? なんだか置いていかれた気分……。


「アハハハ、ごめんな、閣下はこれから仕事なんだ」


 呆然と見送った私に、鳥の巣頭さんの声が振ってきた。

 振り返ると、紅茶や私の飲み終わったミルク皿を手早く片付けたらしい鳥の巣頭さんが朗らかに笑っていた。

 お仕事。

 そっか、“閣下”と呼ばれるくらいだから、閣下はきっと爵位を持っている。そういう身分の高い方は、大抵は陛下から領地を賜っていて、それに関わるお仕事が山のようにあるんだろう。

 でもそうなると、私は何をしたらいいのかな。

 鳥の巣頭さんを見上げていると、鳥の巣頭さんはちょっと首を傾げた後に何かを察したようで、口を開いた。


「君は病み上がりだから、お昼まで自由にしておいで」


 自由に、と言われてしまった。そうは言われても、何をしていたらいいのか……。

 うーん、と首を捻る私に、鳥の巣頭さんはついと視線を別のところへ投げて言った。


「ああ、ほら、見てご覧。執務室の扉が開いてる。君も自由に入って行ってもいいってことだ。でもまだこの部屋と執務室以外には行かないようにね」


 言い置いて、鳥の巣頭さんは給仕カートを押して出て行ってしまった。きっと鳥の巣頭さんも色々とやることがあるんだろうな。

 鳥の巣頭さんは、笑顔でいるときは何を考えているかわからない人だ。

 朗らかに笑っているんだけれど、何処と無く感情が篭もっていないというか……。笑い方が胡散臭いだけで、本当は心から笑っているのかもしれないんだけれど、まだ出逢って間もない私にはわからない。

 閣下に乱暴な扱いを受けているときでも助けてくれないかと思えば、丁寧に世話を焼いてくれたり。すごく軽やかに笑っていたのに、急に真面目になったり、その逆も。

 捉え所のない人だけど、一つだけ確かなのは、私をただの愛玩動物やまして家畜としてではなく、人格を持った一個人のように扱ってくれるということだった。

 今朝の鳥の巣頭さんの恰好についてもそうだし、たった今のように、私が疑問に思いそうなことを予測して説明してくれる。本当に疑問に思ってるとは思っていないのかもしれないけれど、そうやって接してくれることはとてもありがたいことだと思った。




 鳥の巣頭さんに言われた通り、閣下が消えた扉は閉じられていない。

 私は少し迷ってから、閣下のちょっとわかり辛い気遣いにも感謝して、執務室らしいそこへ行ってみることにした。


 毛足の長い絨毯の上を歩いて扉まで行くと、顔だけ隙間に滑り込ませて中の様子を窺ってみる。

 中は今まで居た寝室よりも少し広いくらいで、衝立の奥の壁や、扉の裏の壁には本棚がありぎっしりと書物が詰め込まれていた。確かなことではないけれど、執務室に置かれるものだからお仕事に使う資料とかの類がほとんどだと思う。

 部屋の奥、衝立の向こう側はきっと来客用の空間で、ソファと机が置いてあるはずだ。これはセイレア様のお父様の執務室がそうだったから、たぶん合っている。

 ぐるりと部屋を見渡すと、閣下は入って右手にある執務机に向かい、既に何かの書類を手にしていた。

 お仕事の邪魔はしちゃ駄目だよね。

 でもせっかく扉を開けておいてくれたのだから挨拶だけはしておこうと思って、閣下の足元まで寄っていく。閣下が私を確認したら、また寝室に戻ってバルコニーの窓から外でも眺めて時間を潰そうと思っていた。

 思っていたんだけれど……。

 閣下の側へ着いた途端、“わしっ”と掴まれ、“ぐぇっ”となった後すぐに“とさっ”と降ろされた。気がつくと、閣下の膝の上。


 えっと。


 ……何かの罠ですか?


 私が目を瞬いているうちに、閣下はそのまま執務に執りかかろうとしたから、すごく慌てた。

 こ、この体勢のままなんて、無理!

 仕事中だと思えば閣下の手元が狂わないよう身動きなんて出来なくなるし、ずっと同じ体勢でいるのは私も閣下も辛くなる。

 大体、私は子供とは言え、熊よりも大きくなる魔獣の子だ。猫のように身軽で小さいわけではないから、膝の上なんかに乗せていたら閣下だって重いし邪魔だと思うのに。

 だから私は咄嗟に机の上によじ登った。

 閣下の膝の上も高さがあったから、床に降りる勇気がなかった所為なんだけど、登ってすぐに後悔した。


 ――う。もっと降りられなくなっちゃった……。


 机に移った私を無言で見つめたまま動かない閣下に降ろしてと訴えても意味がないような気がするし、もう一度閣下の膝の上に降りるのも、閣下にとってはすごく鬱陶しいよね。


 閣下も膝の上へ私を戻そうとはしなかったから、結果的に、机の前の方の空いているところに座って、閣下の気が散らないように静かにしていることしかできなくなってしまった。

 これは緊張する……と、最初は思っていたのに、閣下の書類を捲る音やさらさらと何かを書く音しか聞こえない静かな部屋で、いつの間にか私は微睡んでしまっていた。


「――プハッ!」


 突然の音に、はっと目を開く。音のした方を見ると、目の前に鳥の巣頭さんが居た。正確には、執務机の前に。

 さっきの音は鳥の巣頭さんが笑いを堪え切れなくて噴き出した音だ。だって、アハハハハとか物凄く笑っている。

 ――何ごと……?


「か、閣下、いつから“項垂うなだれた熊の置物”なんて机に置くようになったんです?」


 遠慮なくお腹を抱えて笑う鳥の巣頭さんに目を瞬いていたら、鳥の巣頭さんは笑ってる所為で詰まりながら、そんなことを言った。


 う、項垂れた熊、って、……私?


 ああ、そっか、座ったまま眠気に耐えられなくて、船を漕いでるうちに寝ちゃったんだ。それが項垂れているように見えたんだ。

 閣下はお仕事をしていたっていうのに、何だか申し訳ない。侍女だったころはこんなことはなかったのにな。もしかしたら、この身体がまだ幼い所為で沢山睡眠を必要としているのかもしれない。なんて、言い訳をしてみる。


「アハハハハハハ」


 でも、ちょっと失礼じゃない? 鳥の巣頭さん、笑いすぎだよ……。


 ――バサバサバサッ、バサーッ!


 鳥の巣頭さんに心の中で抗議した瞬間、何故か鳥の巣頭さんの上に雨が降ってきた。

 ええと。

 普通の雨じゃなくて、本の雨、なんだけれど。


 ――ぇえっ? ど、どこから?


 吃驚して辺りを見回したら、執務机の左にある本棚の一番上の列がすっかりカラになっていた。

 カラ……になっているのは分かったけれど、本棚が倒れたわけでもないのにどうして? 鳥の巣頭さんは執務机の前に居て、棚とは数歩分も距離があるのに。

 疑問符だらけで呆然としていたら、本の山に埋もれていた鳥の巣頭さんが復活した。


「ブアッ! ――閣下、本で咎めるのやめてくださいよ! 地味に……いえ、結構痛いんですからっ」


 か、角が……! とか呻っている鳥の巣頭さんは可哀相な気もしたけれど、ただ眠っていただけの私を笑いものにしたんだから、自業自得だと思う。

 それよりあの本、……閣下が降らせたの?


 さらに驚く私を置いてきぼりにして、鳥の巣頭さんが『きちんと片付けてくださいね!』と言うと、鳥の巣頭さんの周りに散乱していた本が、ふわりと浮き上がって、折れてしまったページがピンと元通りになり、そのまま本棚のカラになっていた部分にするすると吸い込まれるように戻っていった。


 魔法。

 こんなことができるのは魔法でしか有り得ない。

 でも、ということは、閣下って魔法を使えるの?


 ここギュシュムの国で魔法を使える人は、あまり多くない。

 灯りを灯したり、小さな風を起こしたり、そういうささやかなものならば使える人も割といるのだけれど、モノを移動させたりすることまで出来る人は限られてくる。

 王族であれば、モノを動かすどころか、肌に裂傷を起こさせるような強い風や水を巻き上げることもできるし、或いは防衛のための結界を張ることもできるんだけど。

 王族以外で言うと、魔法師団に所属している人がほとんどだ。ギュシュムでは魔法を使える人が少ないから、幼い頃にその才覚を見出された人は、大抵が国の直轄施設で教育を受け、認定試験に合格すると魔法師団に入ることになっているんだ。

 魔法師団、と一纏めに言っても、どう国に仕えるかは選択肢があって、魔法の研究にだけ情熱を注ぐ人もいれば、軍で働く人もいる。


 もしかして、閣下は魔法師団の人だったんだろうか。

 魔法師団の人たちは、国が管理する教育施設で集中して魔法の教育を受けるから、世間と隔離されているような部分が多くて、その……ちょっと変わった人が多いのだと聞いたことがあったんだけれど。

 そう考えてみると、確かに閣下も……げほっ。

 いやいや、モノを移動させる程度なら、数は少ないけれど必ずしも魔法師団の人たちだけとは限らないから、そうと決まったわけじゃないよね。うん。


 一人結論付けていると、鳥の巣頭さんが給仕カートを執務机の脇へと寄せて、手際よく机の上を整理し始めた。

 もう頭は痛くないのかな?

 鳥の巣頭さんは、さっき頭上から本が降って来たことなんてまるで無かったように涼しい顔だ。

 書類の避けられた執務机の上、閣下の前には、パンやスープなどの軽食が並べられていく。

 そっか、目覚めてから閣下は紅茶しか口にしていなかったから、ちょっと遅めだけど朝食を摂るのかな?


「どうぞ、閣下」


 鳥の巣頭さんがそう言って、全て並べ終えた。

 何故か微妙な沈黙が流れた。

 なんだろう、と思って眺めていると、閣下は徐に脇に押しやられた書類に手を伸ばしながら言った。


「……必要ない」


 ……食べないってこと?

 朝食ってとっても大事なのに。

 セイレア様が体調も悪くないのに朝食を拒否したら、私だったら怒って無理にでも食べさせる。鳥の巣頭さんはどうするんだろう、と見上げたら。


「そうですか」

「……」


 ……物凄く笑顔だ。軽薄な笑い声は無くて、それが逆になんだか怖い。

 ちょっと身体を硬くした私に気づかず、鳥の巣頭さんは朝食を下げることなく言った。


「空いたお皿を片付けます」

「……」


 つまり、空いたお皿以外は片付けないってこと……?

 ぴんと張り詰めた空気が流れたような気がして、私はちょっと震えた。

 もしかして、毎朝のようにこの攻防は繰り返されたりしているんだろうか。

 えー? それって、これから私も毎朝この緊張感に付き合わされるということ?

 それはちょっと……嫌だな。と思っているところへ、ちらりと閣下の視線がこちらに向いたのに気づく。


 ――……なんでしょうか、その視線は。


「……」

「……」


 うーん……。

 何となく言いたいことはわかってしまった。不思議なことに。

 でも、魔獣の私にどうしろと言うんだろう。

 私は暫く閣下と見つめ合った後、私の目の前にあったパンのお皿をそっと鼻先で閣下の方へ押しやった。


 食べた方がいいと思います、閣下。


 また少し沈黙が漂って、それから閣下は無表情のまま書類に伸ばしかけていた手を下ろした。食べることにしたみたいだ。

 鳥の巣頭さんは晴れやかな笑顔で私の頭を撫でてくれた。

 閣下からちょっと不満気な雰囲気を感じたのは……気のせいということにしておこう。






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