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10.氷と宝石の違いは



 半日ほど、飲んでは寝てを繰り返した私は、翌日、とっても爽快な気分で目を覚ました。

 まだ日は昇っていない。侍女であったファラティアの頃の習慣か、昨日寝すぎた所為で、日の出前に目が覚めてしまったみたいだ。

 昨日の朝は起きられなかったのに、今日はちゃんと起きられたということは、きっと疲労は昨日の半日の怠惰な過ごし方のお陰で大分取れたんだと思う。

 私は大きく欠伸をひとつ零して、横を向いていた頭を正面に戻した。

 顎をつけて寝そべったまま、暫くぼんやりする。目の前には仮面の奥で瞼を閉ざした、彫刻のように整った閣下の顔がある。

 またいつの間にか閣下の上だ。

 起きているときは苦しいくらいの力で掴まれるのに、寝ている間に捕まえられても目が覚めないのはどうしてだろう。不思議。

 それに、お風呂のときもそうだったけれど、寝ている間も閣下は仮面を取らないみたいだ。

 蒸れたり痒くなったりしないのかなあ、なんて思って閣下を見つめながら、ぼんやりした頭を徐々に覚醒へと促す。

 少しずつ意識がはっきりしてきたところで、視界に映っているものにはっとした。


 あああ、あれ、閣下!


 閣下が目の前にいるのは慣れたつもりだったけれど、まだ他にも視界に映ったものがある。

 顎や肉球に伝わる滑らかな感触。陶器のような白い……肌だ。


 私はあわあわと慌てて後退した。


 ――なんで閣下、裸なの!


 というか、私、閣下の身体を寝台にして寝ていたの!?

 今更、その事実に驚愕した。


 ――あ、下は履いてる、よかった。……いやいや、よくはないよ!


 身体の上でずりずりと後退していく私の動きで目が覚めたのか、仮面の奥の長い銀の睫毛が震えた。

 後退したことで、掛け布の中にすっぽりと入ってはいるものの、私が通った後が空洞になって掛け布が浮かんでいるから、そのまま閣下が見える。

 ゆっくりと閣下の瞼は開いた。

 銀色の睫毛が震え、まるで焦らすように緩やかに開く瞼の動きまでもが計算されたような、神秘的な光景だった。少しずつ見えてくる灰青色の瞳。

 あまりに綺麗で見惚れていたら、閣下と目が合った。

 しばらく見つめ合ったあと、閣下が静かに掛け布を持ち上げる。

 お腹の下の方までずり下がって身体を硬くする私を不思議そうに見下ろしている閣下の上半身は、薄っすらと上り始めた日の光を浴びて、薄暗い部屋の中で浮かび上がるようだった。


 でも、どんなに芸術的でも裸は裸。


 私は恥ずかしくなって、顔を隠そうとうずくまりかけて――、またもやはっとした。


 お腹の上に居た私がずり下がった先は――。


「――キュウッ!」


 短く小さな悲鳴を上げて、私はさらに思い切り後ずさった。

 あああ、思い余ってうずくまらなくて本当によかった!

 寝台のシーツだと思って顔を埋めなくて本当に本当によかったっ!!


 男の人の、その、か、下半身に顔を……ごほっ。

 身体は雄でも、心は女の子なのに!


 ――って、なんだか微妙な表現だなあ……


 驚きすぎ、焦りすぎて、思い切り後ずさったら寝台の足元から、勢い余って転がり落ちた。強かに打ちつけた全身が痛い。だけど、それも気にならないくらいに動揺していた。

 朝から、色々危なかった……!

 私は痛みと羞恥で頭を毛足の長い絨毯に埋めるようにして丸くなり、悶絶した。

 閣下は寝台から身を起こして暫く私の奇行を眺めていたみたいだけれど、ちらりと窓の外を確認してからゆっくりと立ち上がった。


 あれ、閣下ももう起きるの?


 寝台から転がり落ちた私を気にするでもなく、さらりと流されてしまったことに多少傷つきつつ、私も閣下が起きるなら、と羞恥とか落胆とか色々な気持ちを振り払って、身を起こした。あんまり閣下の方に視線は向けないようにして。



 そういえば、昨日は溜まっていた疲れの所為でミルクを飲んでは寝ての繰り返しで過ぎてしまったけれど、私はこれからの日々をどう過ごしていけばいいんだろう?

 魔獣の生活って、どんなものなのかな。

 セイレア様のお屋敷では参考になりそうな動物がいなかった。

 食用の家畜は論外だし、移動手段の一つである馬は、厩舎にいるか、旦那様のお仕事やセイレア様の外出の際に駆り出されるかだった。

 イェオラである私もゆくゆくは長距離移動のための騎獣となることを期待されているんだろうから、それなりの教育?しつけ?を受けるのかな。


 侍女として生活していた頃は、仕事は山ほどあった。

 だけど、今は人としての仕事ができないし、幼い身体ではまだ騎獣としての仕事も果たせない。

 正直、手持ち無沙汰だ。どうしよう。


 ――コンコンコン。


 私が考えあぐねていると、静かな部屋に扉を叩く乾いた音が響いた。

 咄嗟に部屋の主である閣下を探す。閣下は丁度、寝台の脇にある扉から出てきたところだった。髪が僅かに湿っているのを見ると、顔を洗ってきたのかもしれない。

 閣下は入室の許可は出さずに、バルコニーに続く窓の側まで行ってカーテンをゆっくりとした動作で開いていた。

 扉の外の人が入って来られないんじゃ、と一瞬思ったけれど、許可なんて必要なかったみたいだ。

 扉は返事を待たずに開いた。昨日よりは開くまでに間があったのは、一応の気遣いだろうか。

 扉の方を伺うと、そこには鳥の巣頭さんがいた。


「――おはよう御座います、閣下」


 んん? あれ、鳥の巣頭さんが、鳥の巣頭さんじゃない。


 でもたぶん、鳥の巣頭さん本人なのは確かだ。声も、昨日散々聞いた鳥の巣頭さんのものだ。

 でも頭が、鳥の巣頭さんじゃなかった。

 部屋に入って来た鳥の巣頭さんは、昨日の姿が嘘のように、きっちりと髪を撫で付け、質素とさえ思った服装は、この豪奢なお屋敷に相応しい上質で硬い装いに変わっていた。

 きっちりと皺付けされたクリーム色のスーツの下、覗く襟口からはやや濃い目のベストが身につけられているのがわかる。

 シャツの襟、第一釦もしっかりとめられ、襟もとにはふんわりとした白いスカーフが締められていた。

 スカーフを留めるピンも、遠目だけれどきっと細かく細工の施されたものだ。朝日を弾いて輝いている。


 本当に、鳥の巣頭さん……?


 ぽかんと口を開けたまま見つめる私の視線を感じたのか、鳥の巣頭さんはこちらに視線を向けて、にっこり微笑んだ。


「君も起きてたのか、おはよう。――アハハハ、まるで不審人物を見る目だね!」

「……キュ」


 いえいえ、不審だとは……思ってるけれど、ちゃんと鳥の巣頭さんだとは認識しているよ。今、確信したんだけれど。その軽薄な笑い声で。

 と、ちょっと失礼なことを考えてしまった。


「今日は街へ出る予定はないから、この格好なんだ」


 俺がわかる?と続ける鳥の巣頭さんに、私は首を傾げる。

 ……普通は、逆ではないのかな?

 外出するときこそ、いつどんなときに誰と会うかわからないから、身だしなみはきちんと整えるべきだ。と思う。

 でも、このお屋敷の人たちにはあまり常識は通用しないようだから、よくわからないけれどそのまま受け止めるべきなんだろうか。


「セネジオ」


 どう反応していいか迷っていたところへ、閣下の声が掛かった。

 寝起きの所為か、昨日聞いたときの声よりも低く掠れている。妙にどきりとしてしまったのは、どうしてだろう。


「はい、閣下。こちらに」


 閣下の声に反応した鳥の巣頭さんは、台車の上に皺にならないように置かれていた衣装を手にして、バルコニーの前に立つ閣下へと歩み寄った。

 セネジオって、鳥の巣頭さんの名前だろうか。

 そういえば、一日このお屋敷で過ごしていたにもかかわらず、二人の名前を聞いていなかった。

 そんな余裕がなかったというのもだけれど、いくら飼うと決めた魔獣にでも、わざわざ自己紹介をする主人はあまりいないものね。

 そんなことを考えている間にも、着々と鳥の巣頭さんの手によって閣下の身支度が整っていく。


 閣下はつるりとした白い靴にゆったりとした下穿きを身につけ、上半身には光沢のある青色の薄い肌着のようなものを一枚羽織り、その上から肌着よりも薄目の灰青色の長衣を着る。これは膝より少し長い程度のものだ。

 上着は腰で肌着と同じ色の帯紐を使って締められた。灰青色の長衣には銀の糸で細かい刺繍がされているみたいだった。

 腰帯の上から更にいくつか控えめな宝石のついた装飾品を巻きつける。そしてその上に、絹の長衣よりもしっかりとした生地の白い衣を羽織った。これは裾が長く、少し床に引き摺る程度まである。身長のある閣下が着ると、すごく迫力があった。


 男性の着替えをじーっと見つめるわけにはいかないから、こっそり視界の端で見ていたんだけれど、瞬く間にこのお部屋で目覚めたときに見た、仮面人形のような閣下が出来上がっていって、ちょっと感動してしまった。



 鳥の巣頭さんは閣下の支度が終わると、直ぐに紅茶の準備をし始めた。

 それにしても、鳥の巣頭さんは本当に手先が器用だ。特に静かに動かしているというわけでもないのに、ほとんど茶器が触れ合う音がしないなんて。

 侍女であった私も紅茶を入れる機会は山とあったけれど、こんなに静かには入れられなかった。鳥の巣頭さんは軽薄な笑い声のおかしな人だけれど、侍従としての仕事はとても洗練されている。

 感心しながら眺めていると、鳥の巣頭さんはふと私に視線を投げて、手は止めないままに言った。


「そうです、閣下。執務に入る前に、この子の名前を決めてあげてはいかがですか?」


 そう言われて、初めて気づいた。私にはまだ名前が無いこと。

 転生して獣になったことを受け入れたつもりでいたけれど、ファラティアの記憶しか残っていない所為かまだ自覚は足りないみたいだ。

 今の私はファラティアではない、って、もっとちゃんと認識しないといけないな。




 ――わしっ。


 ぐぇっ。


 ――ああ、またか……。



 閣下の座るソファの側に居た私はまたもや“ギュッ”と悲鳴を上げつつ、閣下に持ち上げられてしまった。

 私、握ると音の出るからくり人形ではないんだけどな……。

 閣下は両脇を掴んだまま私を膝の上で仰向けのような形にして、上からじっと見下ろしてくる。

 閣下から心地のいい声が聞こえるまで、そう時間は掛からなかった。



「……セレスタ」


 閣下は私の目の下あたりをを親指でひと撫でして言った。脇を鷲掴むときの乱暴さが嘘のような、優しい仕種だった。


 ――セレスタ……?


「ああ、瞳の色からとったんですね」


 鳥の巣頭さんが言う。


 ――もしかして。

 急激に心臓が高鳴り出した。今、私の胸を打つのはきっと、期待だ。


「――セレスタイト。透き通るような水色の美しい鉱物の名だ」


 続く鳥の巣頭さんの言葉に、心がふるえた。

 不意に、泣きたくなる。


 ――ああ、セイレア様、閣下はやっぱり、セイレア様に似ています……。



 ファラティアのときの瞳は水色だった。鳥の巣頭さんの言葉からすると、イェオラである今も、同じ色なんだろう。

 でもファラティアであった頃、私はこの瞳の色が大嫌いだった。幼いときは、よくセイレア様の温かい春の青空の瞳と比べられ、私の瞳はまるで氷のようだ、見つめられると冷気で凍らせられる、などとからかわれた。光の差し方によっては本当に薄い色になるので、白目を剥いているようで怖いとも言われた。

 成長すると、不思議なことに少し濃さが増して、白目を剥いているようだとは言われなくなったけれど、幼心に傷つけられた心はそう簡単には癒えなかった。

 瞳の色を気にしていつも伏し目がちでいた私だったけど、あるときセイレア様は言ったんだ。


『私のファラ、上を向いて。貴女の瞳は氷の色ではないわ。――天青石、セレスタイトの色よ』


 よくわからなくてセイレア様を見たとき、あの方は春の木漏れ日みたいに暖かな笑顔で続けた。


 『水色のとっても美しい宝石なの。石言葉は“休息”。不安感を取り除いて、心を安定させてくれると言われている、優しい石なのよ。だから、顔を上げて相手の目を見て、ファラ。貴女の瞳は冷たくなんてないわ。きっと人の心を温めてあげられる』


 それから私は、下を向くのをやめた。

 私の瞳は本物の宝石じゃないから、実際に人の心に安心感を与えてあげることなんて出来ないのかもしれないけれど、でも、セイレア様がそう仰ってくれたから。だから、そんな効果が本当にあればいい、と思って、私は人から目を逸らすことをやめたんだ。

 ああ、そのときに戴いたセレスタイトの小さな原石はどこにいってしまったんだろう。いつも小さな飾り袋の中に入れて持ち歩いていた、私のお守り。

 私がファラティアとして死んだときも、ちゃんと側にあったならいいな。

 幼い頃は嫌いだった瞳の色が、転生した今でも引き継がれているのは、嬉しかった。ファラティアとイェオラである今の私を結びつける、唯一のものだ。


 閣下は私の瞳を、真っ先にそんな思い入れのある宝石に例えてくれた。

 ――嬉しい。

 冷たい色だと思わずにいてくれたことが、とても嬉しかった。



 目元を撫でたときのまま頬にあった閣下の手をぺろりと舐める。

 イェオラが一度主人と認めた相手には終生従うと言うなら、私も閣下の良きパートナーになりたい。

 立派な騎獣になって、閣下が行きたいところには何処へだって連れて行ってあげられるように。


 それが、拾ってくれたこと、保護してくれたこと、私の瞳を温かさをもつ宝石に例えてくれたことへのお礼として、私が唯一できることなんじゃないかと思った。







やっと話の中に鳥の巣頭さんの名前が出てきたのに、ファラに華麗にスルーされるという。不憫。



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