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幕間 真紅の幻影



 おかしな毛玉を拾った。

 シェザリウスは、腹の上で伸びて眠る真っ白な魔獣の子供を見下ろしながら、ぼんやりと思う。


 物心付いた頃から、人は皆自分を畏れていた。ある者はその硬質で人形のような美貌に。ある者は潜在的に抱える魔力に。ある者は、その――顔に走る呪痕に。嫌悪と畏れから遠巻きになり、それは動物でも大して変わらなかった。

 いつしか自らも近づくことをやめ、一人を除いて側に寄る者も寄らせる者もいなくなった。

 運動のために屋敷の裏手にある森に入っても、ただ機械的に周辺を回り、季節の移ろいを茫洋と感じながら帰宅する日々の繰り返しだった。

 それが、その日は何を思ったのか、或いは感じたのか。

 僅かな緊張を孕む馬を駆って森を駆けていると、木の陰に薄汚れた毛の塊が目に入った。

 この辺りを治める者を知らない愚かな裏商人が落としていった毛皮か、もしくは動物の亡骸であろう。普段ならば決して近づくことのないそれに、小さな興味を抱いたのは至極珍しいことだった。

 硬い調子で足を進めていた馬の頭を毛玉へと向けた。

 側に寄って、僅かに驚く。その毛玉は断続的に膨張と収縮を繰り返していた。

 生きている。

 毛皮か亡骸と決め付けていたシェザリウスは、小刻みに震えながら速い調子で呼吸を繰り返す毛玉に瞠目した。

 しかしそれだけでは、天敵に襲われたのか病気にでも掛かったのか、何れにしろシェザリウスが手を出すことはなかっただろう。

 だが驚くべきことに、その薄汚れた毛玉からはいびつな魔力の流れを感じたのだ。

 毛玉を包む魔力は、その呼吸に合わせるように断続的に溢れては消えを繰り返している。明滅するような、淡く立ち消えてしまいそうな頼りなさで零れるそれに興味を持ったのは、その魔力が溢れるたびにあまりに温かい残滓を残していくからだろうか。

 とにかく、珍しくもシェザリウスはその不思議な毛玉を持ち帰ることに決めた。

 今にも事切れそうな毛玉はくったりとシェザリウスの手に収まり、屋敷へ帰るまでに意識を戻すことはなかった。


 毛玉が目覚め、元気を取り戻したなら、生きていくに相応しい場所へ戻すつもりでいた。

 シェザリウスにとってそれは雑作も無いことであったし、たとえ生息地に戻した直後に再び弱るようなことが起こっても、それ以降はシェザリウスの知るところではないと思っていた。


 それが。


 毛玉は鱈腹ミルクを飲んで回復を見せたが、未だに安心し切った顔で、寝台に横たわるシェザリウスの腹の上で寝こけている。

 側に置くと決めたのはシェザリウス自身だが、不思議な気分だった。


 腹が温かい。

 湯殿で侍従が洗った毛は空気を孕み、柔らかく、上着を脱いだシェザリウスの剥き出しの腹を擽る。

 シェザリウスは、獣にしては無防備に伸びて眠る毛玉を見つめながら考えた。

 先が長くないと承知しているのに、側に置こうと決めたのは何故だろうか。


 膝に置いた感触が思いの外しっくりきたからだろうか。

 あるいはその膝に伝わる体温と魔力の温かさに絆されたからだろうか。

 目覚めた当初こそこちらを見て動揺していた毛玉が、あっという間に真っ直ぐこちらを見つめるようになったから?

 自分でも扱い慣れていないと思う乱暴な動作にも、どこか諦めたように受け入れたように、抵抗を見せないから?

 それとも、あまりに間抜けな行動が面白すぎたからだろうか。


 その全てであるのか、全て考えすぎで、ただ先は長くないと判じて気まぐれに興味を持っただけなのか。

 自身でも全く解せなかったが、腹に伝わる温もりだけは確かなものだった。


 毛玉ごと被せた掛け布が耳に当たって擽ったいのか、時折ぴくぴくと弾くように揺れる様をぼんやりと見ていると、急に今まで以上に腹が温かくなった。

 毛玉から発されるその熱は、森で遭遇したときのように明滅し始めている。

 ふわんふわんと溢れては消えを繰り返し、熱くは無いが明らかに毛玉の体温以上の温かさと魔力の波を送って来る。ただ、毛玉だけは実に安らかな寝息を立てていたが。

 何事かと凝視していると、一際熱が増して、合わせる様に一瞬だけ目の前が白く染まった。


 瞬く間に納まった光に僅かに動揺しつつも冷静に、毛玉の様子を確認する。

 毛玉の身に何が起こったのだろうか。

 次の瞬間、目に飛び込んで来たものにシェザリウスは今度こそ動揺のまま身を固めた。


 腹の上の、月光を弾く真っ白な毛玉は消えていた。


 代わりに胸から腹の上に掛けては月の光を受けて暗く、しかしそれでも確かにそうとわかる豊かな紅が散っていた。


 息を呑みながらも手を伸ばす。

 紅はシェザリウスの胸から腹を完全に覆うように波打ちながら、寝台にまで広がっている。

 己の胸に掛かる部分をそっと、シェザリウスにしては優しい手つきで払いのけた。

 手に伝わるのは、毛玉の軽く柔らかい毛の感触とは少し違う、しっとりとまるで手に添って絡むかのように伝う感触。

 心地よい、と思う間もなく掻きあげた紅の奥から覗いたものに、シェザリウスは驚く。


 そこにはまだ幼さを残し眠る少女の顔があった。


 少女だ。

 いや、少女と言っていい年齢なのかは、あどけない寝顔だけでは判断がつかなかったが、それでも女であることは間違いがなかった。

 髪の毛と同じ色の長い睫毛と、つるりと滑らかな頬、月明かりにも薄く桃色に染まった小さな唇。腹に直接伝わる滑らかで柔らかな感触は胸の上で眠るのが女であることを決定付けていた。


 ――何の冗談だ。


 思いながら、シェザリウスがその柔らかな頬に触れようとしたとき、また急激な魔力の流れを感じた。


 あっという間に胸の上にいた少女は姿を消し、残ったのは眠るときに自らが乗せた白い毛玉、魔獣の姿だけだった。


 幻のように一瞬の出来事だった。

 目を開けたまま夢を見たのだと言われたら信じたかもしれない。

 しかし、シェザリウスには紅く波打つ豊かな髪とその感触も、安心し切った顔で眠る幼い顔も、腹に押し付けられた柔らかく滑らかな感触も、全てが焼き付けられたように鮮明に残っていた。


 腹に戻った魔獣は安らかだ。

 何も無かったかのように、時折耳を揺らすだけで寝息も落ち着いている。

 一体なんだったと言うのだろう。





 その夜、それ以降は朝日が昇り始めるまであと数刻という時まで観察していても、毛玉が消えることも、少女が姿を現すこともなかった。


 夜明けが近づいた頃、シェザリウスは瞼を下ろした。

 疲れていたのかもしれない。

 今の自分は、目を開けたまま夢を見ても幻を見てもおかしくはないくらいに。







唐突に名前が出てきてすみません。

前話までで名乗らせる隙がありませんでしたorz

前話分までで、直ぐに誰かは判って頂けただろうと願いつつ……。



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