表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/77

09.煌きは希望の光



 私の中で、ファラティアの記憶は昨日のことのように鮮明だ。

 “ファラティアの記憶”なんて、随分他人行儀な表現で言ったけれど、私の意識は今でも赤毛の侍女ファラティアのまま。

 魔獣であるイェオラとして転生したのは現実だと理解している。

 でも、魔獣として生まれ、母の元で育った記憶はすっぱりと抜け落ち、今あるのはファラティアとして20年近く生きてきた記憶だけなんだ。

 どんな神様の悪戯だろうと思うけれど、転生後の魔獣の記憶が抜け落ちているということは、私の中ではファラティアとしての意識は途切れることなく、連続的に今現在まで続いているということになる。


 ほんの数日前に、主であるセイレア様からご命令を受けて、それを実行に移す途中で馬車が賊に襲われた。そして、20年近くの間一度も感じたことのない、二度と御免だと思うような激痛を経験した。

 それだけでも衝撃的な出来事だったけれど、続けざまに身体が幼い獣のものとなって転生し、それが実は世界的にも貴重とされる魔獣のイェオラだった。

 挙句には、意識は女の子のままだというのに、身体は雄だと判明したのだ。


 整理して考えてみると、本当なら精神を病んでいても仕方がないような出来事だったと思う。

 これが私でなくて、繊細なお姫様やご令嬢だったら、直面した瞬間に卒倒して記憶障害を起こしたり、或いは現実にさえ戻って来れなかったかもしれない。


 でも私は生憎と、そこまで繊細ではなかったみたい。

 確かに不安で押しつぶされそうな気持ちにはなったし、今でも何処かに暗く先の見えない澱みが心の中にある。

 だけど、幸運なことに、私は閣下に拾われた。

 閣下は私を飼うと決めてくれて、環境的には今までと然程変わらない生活が出来ることになった。

 これって、とっても幸せなことだよね?


 だから私は、ゆっくりでも、ちゃんと今直面している現実を受け入れていこうと思う。

 ファラティアとしては生を終えてしまったこと、転生したこと、それがイェオラの姿であること、雄であること。

 ファラティアの記憶をちゃんと消してくれなかったことには酷いと思うけれど、新しい命として世界に送り出してくれた神様に感謝して、一生懸命この生を全うしたいな、って思った。


 ファラティアの記憶が蘇ってしまったことは、何か意味があるのかもしれない。

 もしかしたら、神様のただの手違いかもしれない。

 わからないけれど、魔獣として生きるのに邪魔だから、って私がファラティアを否定してしまったら、私自身が行き場を失う。


 ファラティアとして生きた一生は、とても大切な記憶だ。

 セイレア様の下で侍女としてお仕えして、幼馴染として互いを理解し大切にしてきた。とっても幸せだったと思う。

 セイレア様は私を失って、自分を責めて悲しんだだろうけれど、あの方は強い方だから、きっと乗り越えてくれている。だから心配はしていない。

 転生したのが、ファラティアが死んだ直後なのか、それともずっと後なのかわからないから、もう一生セイレア様には会えないかもしれないけれど、セイレア様と過ごした大切な日々も大事に抱えて、私は生きていくんだ。

 何がなんだかわからないまま、ファラティアの一生を終えなくてよかったと思おう。


 そんなことを徒然と考えて、私は思わず顔を緩めた。実際にはあまり変化はなかっただろうけど。

 ああ、前向きで立ち直りの早いファラティアが戻ってきた、って、なんだか自分のことなのに嬉しくなってしまったのだ。


 辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、いろんなことがあって、しっかりと考えないといけない大切なこともある。

 でも、暗く真剣にばかり考えていても、何も進まないことだってある。

 何か、何処かに、明るいこと幸せなことを見つければ、それが希望の光になることだってあるのだ。


 だから私は図太く生きようと思う。


 なんとかなるさ、だけじゃ駄目だけれど、なんとかなるよう頑張ろう。




 とりあえず、私を拾って飼うと決断してくれた閣下に感謝の気持ちを持って。

 今までの手荒な扱いは大目に見てあげることにしよう。


 そう思って、私は膝の上にある閣下の左手をぺろりと舐めた。

 私を湯船に沈めた腹癒せに噛み付いてしまった手だ。

 まだしっかりとした牙じゃないから、深い傷にはなっていなかったけれど、綺麗な手が赤くなって蚯蚓みみず腫れになってしまっていた。

 男の人らしく節張っているけれど、白くて長い指はあんまりに綺麗で段々申し訳なくなってきた。

 イェオラは治癒の魔法なんて使えないから、舐めたところで傷が癒えるわけでもないのに頻りに舐めておいた。

 カッとなってごめんなさい。今はちょっとだけ後悔しています。


 ちらりと閣下を仰ぎ見ると、閣下は相変わらず微動だにせずにこちらを無言で眺めていた。

 嫌がる素振りはないけれど、閣下の場合たとえ嫌でもあんまり抵抗しないような気がしてきて、そろりと口を離す。

 それでも閣下は動かなくて、でもよく見ると仮面の奥の瞳はどこか不思議そうな色を揺らめかせながら私を見ていた。

 何をしているんだろうなーこいつ。みたいな瞳だ。

 うーん?

 嫌、ではないみたいだ。

 ただ、行動の理由はよくわかってないみたい。


 まあいっか、ただの自己満足だったのは否めないし。


 と、早々に判断して、私はいそいそとミルクのある机へと飛び移った。

 うん、忘れそうになっていたけれど、私はお腹が空いてたのだ。


 閣下の膝から机に移りながら例の如く落ちそうになりつつも、なんとか机に移動してミルクのお皿へ顔を近づけたら、身体に衝撃が走った。


 ぼすっ。

 ぐぃいーーーーー。


 ……うー! 皮が伸びるー。



 私はぐぃーっと頭からお尻まで引っ張られるような感覚に目を瞑った。皮が引っ張られて、閉じきれずに半目になってしまったのは仕方がないと思う。

 絶対に閣下の仕業だ。確信できる。

 そう思って見上げると、案の定、閣下が私の方へ手を伸ばしていた。

 たぶんね、……たぶん、だけどね?


 撫でてくれたんだと思う。


 この半日ほどで気づいたんだけど、閣下は別に、私を乱暴に扱おうとか思ってるわけではなくて、力加減が本当にわかっていないんだと思う。

 だから今回のも、頭に手を乗せて、そこから背中、お尻までひと撫でしてくれた、……つもりなんだと思う。

 もうね、私からすると、頭に突然重たい衝撃が来て、そこから机に押し付けられながら毛皮を引っ張られたような感覚なんだけれど。

 ……閣下って、不器用だなあ。

 これがもし鳥の巣頭さんなら、きっとうっとりしちゃうくらい適度な手つきで器用に撫でてくれるんだろうな。

 そんな風に思って、ふと鳥の巣頭さんを見上げた。

 なんだか、全然気配を感じないからすっかり忘れていたけれど。

 見上げた先に居たのは、物凄い笑顔で肩を震わせる鳥の巣頭さんだった。

 完全に笑いを堪えている。


 ――え、どうして?


 ……主である閣下の手前、失礼に当たらないように笑いを堪えてるのか、それともただ単に目の前の面白い光景を壊さないようになのか。

 後者な気がするのは、どうしてだろう……。





 気分が浮上した後の私の順応能力は目を瞠るものがあったと思う。自分で言うのもなんだけれど。

 私はあの後、閣下がぐいぐいと撫でて来る合間に、なんとかミルクを飲み切った。

 初めはちゃんと飲めるか心配だったけれど、何度か舐め取るように舌を動かしていたら、お皿から直接でも難なく飲めるようになった。

 本能的なものかな?

 あんまりお腹が空いていたから、色々なことを気にしていられなかったというのもあるけれど、私ってちょっとすごい。


 閣下が撫でることで私の顔が可笑しくなっているのか、なでられながらも気にせずミルクをがぶ飲みする私が面白かったのか、たぶん両方だけれど、ぷるぷると肩を震わせて笑いを堪える鳥の巣頭さんが視界に映ったけれど、それも完全に無視で、しっかり飲みきりました。

 ミルクは冷めてしまっていたけれど、ほんのりと蜂蜜の香りと甘さがするミルクはおいしかった。

 笑いを堪え切れていない鳥の巣頭さんは結構失礼だけれど、でも気が利いている。

 時々、鳥の巣頭さんがぶはっとか噴出す音が聞こえたけれど、それに対して閣下が何か言うこともないので、私もそれにならって黙っていた。

 ただ、唾だけは飛ばさないで欲しいな。

 お皿の周りをびしゃびしゃにした私が言うのもおかしいけれど。


 ミルクを飲み切った私は満腹になって、机の上でそのまま寝てしまった。

 閣下が背中をぐいぐいするのも、慣れるとどうってことはない。ううん、最初の頃と変わらない力加減だったら、我慢なんて出来なかったかもしれない。

 でも一度、閣下が私の頭に手を乗せたときに、机に思い切り顎をぶつけてしまって物凄く痛い思いをした。それがあまりにいい音だったからか、流石の閣下もちょっと考えたらしく、力が弱まったんだ。

 その後はミルクを飲む隙も出来て、飲み切った私は満腹感と安堵の気持ちもあって眠ってしまったのだ。


 それから目覚めると、いつの間にか閣下の膝の上に居た。自分の身体が獣のものだと気づいて気絶した後、目覚めたときと同じで。

 余程疲れていたのか、起きる度に少しミルクを飲ませてもらって、直ぐ寝てしまうというのを繰り返して、その日は終わってしまった。

 目覚める前は普通に床やソファでたまに机の上で寝ているのに、目覚める度に閣下の膝の上に移動しているのには驚いたけれど、それにもそのうち慣れてしまった。

 一日でこんなに馴染んでしまうなんて、本当に私は神経が図太いのかもしれない。

 でもこの姿で生きるには、それも大事なことだから気にしないことにしよう。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。






↑更新応援してくださる方、お気軽にポチとしてください。




― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ