それは突然に(5)
(殺される)
そう思った。
「楓!」
綜一狼は瞬く間に、楓と早山の間に入り、ナイフを握り締めているその手を、おもいっきり蹴り上げた。
ナイフは早山の手を離れ、宙で弧を描き乾いた音を立てて床に落ちる。
「貴様ごときが楓に触るな」
鋭い目で早山を睨み付ける綜一狼。
「ひっ」
そんな綜一狼の姿に、早山は半歩後ずさる。
目で人を殺せるならば、早山は死んでいただろう。
それほどまでに鬼気迫るものがあった。
「あ、あ……」
恐怖からなのか、混乱からなのか、早山が声にならない声を漏らす。
なおも後ずさる早山の間合いに、綜一狼は一瞬のうちに飛び込んだ。
そして、そのままなんの躊躇もなく、渾身の力をこめてお腹を蹴り上げる。
「ぐわぁっ」
早山は数メートル先にすっ飛び、その場に倒れ込み気を失う。
その場は一瞬の静けさが支配する。
「す、すごい」
誰かが呟いたその一言で、傍観者たちはようやく起こった出来事を理解する。
楓や綜一狼を取り囲むようにして、拍手や感嘆の声が、校舎外にも聞こえるくらいの勢いで響く。
「楓!」
そんな中、まだその場に座り込んだままの楓の元に、綜一狼が駆けつける。
「綜ちゃん」
そのままの態勢で、楓は魂が抜けたかのように抑揚のない声を発する。
やっと駆けつけてきた学園のガードマンが早山を連れて行く。
その横顔はやはり生気がなく、目はうつろなままだった。
「早山先生」
楓は、たまらず声をかける。
だが、早山は一瞥することもなく、先ほどの狂気が嘘のように、ヨロヨロと引きずられるように、その場を後にした。
「生徒会長、救急車を呼びましょうか?」
早山がいなくなったことを見て、生徒の一人が恐る恐る綜一狼に声をかける。
「いや、いい」
そう言うと、綜一狼はスッと楓に手を延ばす。
「ありが・・・・・・へっ? えっえぇっ。ちょ、綜ちゃん!」
その手をとった楓は、素っ頓狂な声を発する。
その手に掴まった途端、綜一狼は楓を一気に引き上げ、そしてそのまま抱き上げたのだ。
軽々と、自分の肩を楓の枕にして、右手で楓の肩をしっかりと掴み、左手で両足を抱え込む。
所謂お姫様抱っこというやつだ。
綜一狼のファンが見たら卒倒しそうな光景だ。
現に、その場に居合わせた女子生徒からは、令嬢らしからぬため息と悲鳴がただ漏れている。
「暴れるな。落っこちるぞ」
大慌てな楓と騒然とする観衆を尻目に、シラッとした様子で、綜一狼はスタスタと歩き出す。
「お、降ろして!」
パニック状態で、真っ赤な顔をして楓は上ずった声を発する。
「だめだ」
それに間髪を入れない早さで、綜一狼はきっぱりと言い放つ。
「だって! 綜ちゃん、怪我してるんだよ? そんなに血出てるし! 私はちゃんと歩けるから」
「嘘つけ。腰抜かしてたくせに。俺の怪我は大したことない。もう血も止まった」
「そんなこと言ったって、私だって、ちょっと手を切られただけじゃないっ」
手の甲はまだジンジンと痛んでいるが、綜一狼の肩の傷とは比べようがない。
「いいから黙ってろ」
「綜ちゃん~」
楓の抵抗も虚しく、目的地に着くまでの間、人々の注目を一身に集めていた綜一狼と楓だった。