届かぬ想い……(1)
「静ちゃんっ。しっかりして!」
楓は必死に静揮を揺り動かす。
体中傷だらけだ。
大きな怪我はないものの、無数にある小さな傷が痛々しい。
「平気よ。ただ気を失っているだけ。あの人は殺さないわ」
ルナが楓を見下ろして、静かに口を開く。
「それが、お前との約束だからな」
ルナの隣りには、いつの間にか聖の姿があった。
「約束?」
聖の言葉に、綜一狼は怪訝そうに眉を顰める。
「夜狼に関わる奴以外は殺すな。それがルナが俺に出した条件だ」
聖のその答えに、楓はルナを見る。
「私はただ、血生臭いことが嫌いなだけよ」
その視線を避けるかのように、ルナは楓から顔を背ける。
「ご苦労だったな。わざわざ、空の涙を探し出しておいてくれるとはな」
ルナの手にある空の涙を見て、聖は嘲りを含んだ笑みを浮かべる。
「後は裏切り者たちの抹殺。それに楓。お前には一緒に来てもらう」
「聖、約束が違うわ」
眉を顰めて、ルナは聖に非難めいた瞳を向ける。
「お前が出した条件は殺さないことだろ? 俺は楓を殺すつもりはない」
「だったら……」
「楓は知りすぎている。記憶の隠蔽も、一生効果があるわけじゃない。殺すなと言われれば、連れ帰るしかないだろ?」
聖の瞳が楓の姿を捉える。
「これ以上、お前に楓を触れさせない」
綜一狼のその言葉は静かながら、底知れない怒りが感じられる。
一触即発の空気がその場を支配する。
「……」
その場で最初に動いたのは楓だった。
静揮をその場に静かに横たえると、綜一狼と聖。
二人の間を阻むように立つ。
「楓?」
そんな楓の行動に、綜一狼は眉を顰める。
「私は……もうこんなの嫌。喧嘩して誰かが傷つくのは嫌だ。聖、綜ちゃんを殺すつもりだって言うなら、まず私を殺して」
淡々と落ち着き払った楓の声が、その場に静かに響く。
何の迷いもない凛とした声。
聖に向けた眼差しに揺らぎはない。
「何を言い出すかと思えば……。言っただろ? 俺はお前を殺さない」
呆れたように言い放ち、聖は低い笑いを漏らす。
「違うわ。あなたは殺さないんじゃない。殺せないんだわ。だってあなたは『ヒジリ』だもの。誰よりも優しい人だから。心のどこかで、あなたを引き止める何かがあるから。だから、私を殺すことが出来ないんだわ」
強く聖を見つめて楓は言い放つ。
ずっと思っていたこと。
『ヒジリ』は消えていない。
いや、本当は消すことなど出来はしないのではないか。
『ヒジリ』は聖なのだ。
心が二つに分かれたとしても、片方がなくなってしまったら、聖は聖でなくなってしまう。
だからこそ、何かの拍子にもう一人の『ヒジリ』は現れる。
何か心に強く思う時、ほとんど居場所を占領しているもう一人の聖を制して姿を見せる。
自分が大好きだった人。
優しすぎるほどに優しい彼は、自分自身さえ差し出してしまった。
そんな彼に、もう一人の自分に打ち勝ってもらうために、楓は心の奥底で眠り込んでいるはずの『ヒジリ』に声をかける。
「なるほど。どうやら命がいらないらしいな」
聖からは笑みが消え、代わりに無表情な顔に冷たい光が宿った。