それは突然に(3)
学園は外から見ても大きいが、中はもっと広くその上複雑になっている。
クラスの数は普通の高校のザッと三倍。
特別教室もそれに合わせてそれなりの数があり、上は十階まであり地下室もある。
ただし地下室は立ち入り禁止となっており、その広さを把握しているものは少ないという。
校舎は大きく三つに別けられており、教室は東棟と西棟とあり、東西の棟の真ん中が両棟共通の特別教室となっている。
楓と綜一狼は共に東棟の教室だ。
「そういえば、楓のクラスに転校生が来るらしいぞ」
東棟の校舎へと入り階段に差し掛かったとき、何気なしに綜一狼が口を開いた。
「転校生?」
「ああ。なんでも、稔川学園のイタリアにある姉妹校から、急きょ女子生徒が一名やってくるんだそうだ」
「そうなんだぁ。女の子か」
「ああ。ま、女子なら安全でいいんだが」
一人心地で綜一狼は呟く。
これが男子生徒であるならば、楓にちょっかいを出すかもしれないという心配が出てくる。
そのために、それ相応の対応も考えたのだが、女子ならばとりあえず安全である。
と、いうのが綜一狼の考えだ。
本人はまったく気が付いていないが、楓は案外モテる。
面倒見がよく素直なその性格が、非常に男子生徒に受けがいいのである。
だが、楓に近付く男は有無を言わさず、綜一狼が排除しているし、当の本人は人一倍鈍い。
そのため楓自身、自分がモテるなど露ほども思ってはいない。
「安全? 男の人だと危険なの?」
などと、間の抜けたことを言っている。
「ああ。危険だ」
楓のボケた発言に、綜一狼は大真面目な顔で答える。
「うーん。そうなのか」
まあ、確かに外国は物騒だとよく言うし、多少は危険なのかも知れない・・・・・・などというこで、楓は納得していたりする。
これが冗談ではなく真面目だというのだから、ある意味尊敬ものである。
「おはよう」
階段を上りきったところに、見慣れた男が立っていた。
白いシャツに柄物の紺ネクタイ。背はさほど高くなく楓より四、五センチ高いくらいのもので、綜一狼よりも十センチ以上は低い。
今時古臭い丸めがねと、口元の髭の濃い剃り残しが、その男をひどくやぼったく見せている。
ガチガチに固めた髪の毛もまた、三十そこそこの歳のはずであるその男の年齢を、十歳は老けて見せていた。
「おはようございます、早山先生」
綜一狼は軽く会釈をし、即座に挨拶を返す。楓もその後に続く。
早山は数学の教師で、生徒会の補佐的役割をこなしている教師である。
生徒会長である綜一狼はもちろん、楓もそれなりに面識があり気心の知れた教師だ。
「どうしたんですか? 珍しいですね、こんなところでお会いするなんて」
楓は不思議そうに早山を見る。
と言うのも、早山は東棟とは反対の西棟のクラスを受け持っているからだ。職員室も二手に別れているため、東西に別れた教師が、反対の棟に足を運ぶことは滅多にない。
「一緒に登校かい? 君たちは本当に仲がいいんだね」
楓の問いに答えることなく、早山は呟くように言う。
しかし、その声はどことなく間の抜けたようであり、二人を見ているはずの目もどこか虚ろだった。 声を出し言葉を吐いたものの、それはまるで機械が言葉を暗唱するような無機質な響きがある。何かがおかしい。
楓は早山の顔を見上げる。その顔は笑ってはいたが、まるで能面であるかのように、薄っぺらで感情が出ていなかった。
楓はゾッと、背筋が寒くなるのを感じた。
いつも見知っているはずの目の前の人物が、得たいのしれない、何か別のものに変化してしまった。 そんな感覚だ。
「あの、家が隣同士ですから」
しかし楓はそれを振り払おうと、努めて明るい声でそう答える。
「そうか」
早山の虚ろな目が一瞬光りを見出したかのように輝いた気がした。
しかしそれは正気なものではなく、明らかな狂気の輝きだった。
「楓、危ないっ!」
楓がそれを認識した瞬間に、綜一狼の鋭い声が楓の耳に飛び込んできた。