夜狼(4)
ザッ。
だが、それはすべて綜一狼に当たることは無く、壁に当たりバラバラと落ちていく。
「?」
不自然に、まるで瓦礫が綜一狼を避けたかのようだった。
ことの事態が飲み込めず、楓と綜一狼は聖を見る。
「くっ」
表情を歪ませ、聖は額を押さえ込みうめき声を漏らす。
苦しそうに静かに、その場に膝を着く。
「どうしたんだ?」
綜一狼が、聖のその姿を見つめ訝しそうに言葉を吐く。
「……楓……逃げて……」
うめき声に紛れて聞こえた声。
楓はハッとする。
「ヒジリ? ヒジリなの?」
思わずそのまま聖に駆け寄り、その顔を覗き込んだ。
「行って……早く……空の涙を」
その言葉と自分を見つめる瞳で確信を持つ。
自分が会いたかった『ヒジリ』なのだと。
本当の聖。
まだ消えては居なかったのだ。
また会えた。
「けど、ヒジリ……」
「大丈夫。僕は……大丈夫だから。これを持っていって」
聖は金色の小さな鍵を楓に手渡す。
「これは?」
「空の涙が入っている宝石箱の鍵」
「分かった。待っててヒジリ。お願いだから消えたりなんかしないで」
一度聖の手を握り締めてから、楓は立ち上がると、綜一狼に瞳を向ける。
「綜ちゃん、歩ける?」
「平気だ。急ごう」
楓と綜一狼は駆け出す。
「楓。お前と聖。一体どういう関係なんだ?」
走りながら綜一狼は楓に言葉を向ける。
「……聖は、私がまだ南条家に来る前に知り合ったの。怪我をして、うちの前で倒れていたのを私が見つけて、ずっと看病した。自分のことも名前しか覚えていなくて、でもすごくいい人だったから、パパとママはすごく気に入って、思い出すまでうちに居ていいってことになって……」
本当のお兄さんが出来たようですごく嬉しかった。
面倒くさがらずに、小さな自分の遊び相手もよくしてくれた。
「私の知っている聖は優しい人なんだよ」
少し気弱なくらいに優しい人。
「会ったことはなかったが、聞いたことがある。一族を束ねる夜狼の長は、異なる二つの人格を持っているって。多分楓が会ったその聖と、一族に指示を出していた聖は別者だろう。俺が聞いている聖は、ひどく残忍で冷酷非道な男だから」
楓の言葉に、綜一狼は冷静な声で答える。
「そう……」
綜一狼のその言葉で、やっと確信が持てる。
自分の記憶はやはり確かなものだったのだ。
「暫くして、突然ヒジリが帰らなくちゃいけないって言いだして。その時に、私はどうしてもヒジリにいなくなってほしくなかった」
だから聖がたった一度見せてくれた綺麗な宝石箱を持ち出した。
中身が何かなんて考えなかった。
ただ、大切なそれがなくなれば、きっと見つかるまで帰らないと思ったのだ。
小さな子供の浅はかな考え。
「それが空の涙か」
「多分そうだと思う。宝石箱には鍵がかかっていたから、中をみたことはないけど」
聖は、いつもポケットに忍ばせて、時折、悲しそうに一人でその宝石箱を眺めていた。
「でも分からないよ。どうしてヒジリが空の涙を?」
「母さんたちが反乱を起こした時、裏切り者が出てそれで、空の涙を奪うのを失敗したと聞いていた。だから、てっきり空の涙は、奴らが持っているとばかり思っていたんだが……」
「裏切り者はヒジリってこと?」
「そう考えれば辻褄が合う。楓の知っている聖が反乱に加担したが、途中でもう一つの人格が表に現れ空の涙を奪った。だが、一族の元に付く前に、また人格が入れ替わる」
「でも、どうしてそんな反発しあう人格が出来上がったしたんだろう」
「そこは俺にも分からないが、今はとりあえず空の涙だ。楓は、隠し場所を思い出したのか?」
「それが……」
綜一狼の問いに、楓は言いよどんだ。