記憶の欠片(5)
聖の瞳に蹴落とされそうになりながらも、楓は精一杯の虚勢を張る。
そんな楓の姿を聖はおもしろそうに見る。
「夜狼の一族は、それぞれ特殊能力を持っている。だが、その能力は徐々に失われていく。だから、その力を保持するための薬が必要だった。空の涙というな」
「空の涙が薬?」
今まで空の涙は宝石のような物なのだとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「ところが、こともあろうにそれを持ち出した裏切り者が出た。ご丁寧にも、研究のありとあらゆる書類を焼き払い、データをすべて消し去って。そして唯一残っていた空の涙のサンプルを持ち出した」
聖の表情が微かに歪む。
「裏切り者は追い詰めたものの、空の涙は、また別の人物に渡ってしまった。その価値すらも分からない、幼い子供に……」
「子供?」
意外なことに、楓は聖の言葉を反芻する。
「何も知らず、その子供は遊び心で空の涙を隠した。やがて、その子供に不幸が襲う。両親が殺され、子供は一人になった。子供は心に深い傷を負い心を閉ざしてしまう。裏切り者の仲間は、その子供を哀れに思い、記憶を封印してしまった。空の涙の隠し場所と共に。子供はすべてを忘れ、託した者は消えた」
ドクンッ。
自分でも分かるくらいに、心臓が大きな音を立てた。
「ちょっと待って。まさか……」
「記憶の封印を解くのは難しい。無理に解こうとすればその者を壊しかねない。だから、私は待つことにした。封印は年月と共に弱まる。十年。そう決めた。十年後、再びその場所に舞い戻り、子供の記憶を解き放とうと。そして、必ず空の涙を取り戻そうと」
「嘘……」
「そろそろ思い出してくれると嬉しいんだが……楓」
聖の手が楓の頬に触れる。
「し、知らないっ! 私が空の涙を隠した? 記憶を封印? そんなこと信じられない」
反射的に聖の手を払いのけ、楓は言葉を吐き出す。
頭がひどく混乱している。
しかし、『違う』と言い切れないのは、心にひっかかる何かがあるからだ。
忘れている何か、抜け落ちたピースを見つけ出せていないからだ。
「私は十年待った。封印のほとんどは無力化しているはずだ。思い出せないのは、お前自身が、自分にガードをかけている所為だ。思い出せ。空の涙を持ったお前は、この学園に入り込んだ。この十年、部下を幾人か送り込んだが、結局見つけられはしなかった。どこに隠した?」
青い瞳が冷たく光る。温かみの欠片もない瞳。
「本当に知らない。きっと何かの間違いよ」
壁に張り付くようにして、楓は聖から離れる。
出た言葉が小さく揺らぐ。
「何も恐れることはない」
「痛ッ」
聖は乱暴に楓の腕を掴み引き寄せる。
細身の体からは想像も出来ない強い力。
楓は抵抗する間もなく引き寄せられる。
(!?)
強引に上向かされ、そのまま唇を奪われる。
奪う。
その表現は正しい。
優しさも温かみの欠片もない口付け。
抗う楓を力で押さえ込む。
カッと体が熱くなる。
恐怖よりも驚きよりも、どうしようもない怒りが体を突き抜ける。
「やってくれるな」
体を離した聖が発した言葉。
口から微かに血が滲んでいる。
「……」
今だ腕を掴まれたまま、楓は口を手の甲で擦り、精一杯の抵抗としておもいっきり聖を睨む。
どうしてだか分からないが無性に腹が立った。
この聖という男を、体全体が拒絶していた。