記憶の欠片(2)
「あ……」
フッと意識が戻る。
「ゆめ」
楓はそう呟き違うと気付く。
そう。
違うのだ。
(あれは現実にあったことだ)
思い出した。
自分は綜一狼と出会ったことがある。
南条家に引き取られる前、幸せしか知らなかったその時に。
綺麗だけど冷たい、でも本当は泣き虫だった少年。
それが綜一狼だ。
でもあれはいつの頃だろう……。
あそこは、どこだった?
自分は何しに行ったのか?
綜一狼は何をしていた?
思い出せない。
記憶を辿ると、途中で切り取られているかのように、スッポリとそこだけが空欄になっている。
まるで抜け落ちたジグソーパズルのピースだ。
そんなことを思いながらぼんやりと、ぽっかりと空洞になっている天井を見上げる。
そうだ。
あそこから落ちたのだ。
ぼーとする意識の中、思い出したのは透子にナイフを突きつけられたこと。
そして、振り上げられたナイフを見て、目を閉じたのだ。
何だか体が浮いたような感じがしたが、あれは壁が崩れて落ちたからだったんだ。
地面に付く前に気を失ってしまったらしい。
体中がギシギシと痛む。
楓はゆっくりと上半身を起こす。
「何とか立てる」
ところどころ痛むにしろ、結構な高さから落ちたわりに、骨の一つも折れていないのだ。
奇跡的と言ってもいい。
「透子さん」
声を出してみるが何の返答もない。
ジャンプしてみても、とても届きそうも無い。
辺りは薄暗く、視界が極端に狭く、うまく状況が把握できない。
(ともかく、ここから出なきゃ)
一応は地下室な訳だし、上に続く階段の一つもあるはずだ。
楓は深呼吸一つして、歩き出す。
今はともかく、ここから抜け出すことが最優先だ。
あの透子の尋常でない行動。
もし、綜一狼たちにも襲い掛かったら……。
一刻も早く、このことを綜一狼に伝えなければならない。
楓は壁に手をかけながら、ゆっくりと進む。
幸いにも一本道。
迷うこともなく前に進める。
石畳の床は楓の足音を響かせる。
それが小さな頃、夜中に起きて廊下を歩いたその時を思い出させて、ひどく心細くなる。
まるで小さな子供に戻ったような気分。
そして気が付く。
いつも隣には、綜一狼と静揮が居てくれたのだと。
二人の存在が、自分にとってどれほど心強いものだったかということが。
(私一人でだってがんばらなきゃ)
頼ってばかりじゃいけない。
自分の力で脱出するのだ。
そして、自分の気持ちを二人に伝えなきゃいけない。
今頃になって気が付いた。
自分は知らないうちに、すべてから逃げていたのだと。
失うことが恐くて、一人にされてしまう気がして、自分の気持ちを押し殺すことで、変わることから目をそらしていた。
静揮の優しさの中に隠された本当の想いも、綜一狼を好きだという自分の気持ちからも。
ルナの言葉の意味が今なら分かる。
『どんな人でも、好きになる時は好きになっちゃうのよ。それがどんなに、見込みがなくても報われなくても、それでも好きになるの』
自分はこんなにも綜一狼が好きだ。
見込みのない報われない気持ちだけど、それでもこの気持ちを愛しいと思う。
大切にしたいと思う。
(光……)
数メートル歩いたところで、視界に仄かな明かりが目に入った。
暗がりの中、距離感は掴めないが、それは確かに存在する明かりだ。
楓は安堵の息を吐く。
明かりがあるということは、人もいるかもしれない。
楓は光へと向かって歩みを速めた。




