それぞれの想い(6)
『あなただけが彼の心に入り込んでいる!』
透子の言葉が、楓の頭の中を目まぐるしく駆け巡る。
混乱する。
二人は恋人同士で、キスだってしていた。
なのに、透子の言葉はまるで……。
ガッ。
「痛っ」
数百メートル走ったところで、楓は瓦礫に躓き転ぶ。
周りはほとんど暗闇。
懐中電灯は、さっきいた場所に置いてきてしまった。
所々、他の生徒が入ったのか、蝋燭が吊り下げられてはいたが、それも仄かなもので、無我夢中だった楓には、足元を気にする余裕などなかった。
「ここ、どこ?」
楓は荒れた息を整えながら、初めて辺りを見回す。
とりあえず、奥へ奥へと進んで来たが、たどり着いたのは一際大きなホール。
ただし、石の壁はところどころ穴が開いていたし、崩れた石がそこら中に散らばっている。
いくつかの別れ道を適当に進んできたが、どうやら一番まずい方向に来てしまったらしい。
そこは完璧な行き止まり。
ここから出るためには、元来た道を戻るしか手はない。
その上、ただ広いだけの空間のため隠れるような場所もない。
立ち上がった楓の前に透子が姿を現す。
「透子さん、こんなことやめて」
ゆっくりと、けれどしっかりと歩み寄ってくるその姿は、正気を失くした人間には見えない。
けれど右手に光る小型ナイフを持ちながら、悠然とした微笑を浮かべているその姿は異常だ。
「透子さん……」
頬の血は止まったものの、転んだ時に擦り剥いた膝から血がにじみ出し、ドクドクと熱い痛みを訴える。
「さあ、消えて頂戴」
もはや、楓の言葉など聞こえてはいない。
いや、元から聞こえていなかったのか。
もう走る気力はない。
ただよろける様に後ず去るのみ。
ドン。
とうとう壁際に追い詰められる。
楓の手に冷や汗が滲む。
殺される。
そう確信する。
理由も分からず意味もなく、自分の存在は無くなるのか。
そう思った時、会いたいと思った。
いつも自分を優しく導いてくれた彼に。
初めて会った時から、憧れと尊敬を抱た人。
心の奥底に秘めた『孤独』さえ消してくれた人。
そして気が付く。
自分の中で、これほど大きくなってしまった想いを。
そして、その気持ちを何と呼ぶのかさえ。
自分で自分に蓋をした想いがあふれ出す。
(綜ちゃんが好きだ)
ああ。何て簡単なことだろう。
ずっと続いたイライラの名前。
それは『嫉妬』だ。
自分は、透子に嫉妬していたのだ。
死んだ本当の両親でもなく、育ての親でもなく、静揮でもない。
ただ一人。
嘉神綜一狼。
その人に会いたいと想った。
自分勝手でも貪欲でも、恩知らずでも構わない。
ただ会いたかったのだ。
『君だけは僕のことを覚えていて』
昔、大好きだったあの人の言葉を思い出す。
いなくなるけれど会えないけれど、忘れないでと言ったあの人。
どうして今まで忘れていたのだろう?
どうしてこの瞬間に思い出したのだろう?
死ぬこの瞬間に分かるなんて、思い出すなんてひどすぎる。
「綜ちゃん」
自分を貫くナイフを見たくなくて楓は目を閉じる。
そして、意識は深い深い闇の中に落ちていった。