月と狼(2)
(何でだろう……)
今になって、昔のことをよく思い出す。
両親のことはともかく、南条家に引き取られる前のことなど、ほとんど思い出しもしなかったのに。 押し込めていた色々な感情や思いが、少しずつあふれ出すような感じ。
「楓?」
「あ、うん。えっと、何だっけ?」
「だから、噂よ。噂。何でも、この学園にはすごい宝があって、それを名のある泥棒が狙ってるんだって。案外それが空の涙だったりしてね」
「い、いつのまにそんな噂が」
まさしくその通り。
しかしいつの間に流れたのだろう? というか誰が流したのか。
もし学園の生徒が本当のことを知ったら大変なことになってしまう。
(そういえば、あの人は夜狼なんだよね)
昔の自分を知っているだろう人。
聖。
『もう一度会いたい』という思いと、『会うのが恐い』というのが半分ずつ。
もう一度会えたなら、言葉を交わしたら思い出せそうな気がした。
忘れている過去を。
それが自分にとっていいことなのか、悪いことなのか分からない。
だから不安になる。
聖がしたあの時のキスは、好きだからしたものじゃない。
忘れさせないためのものだ。
まるで忘れられるのを恐れているようだった。
けれど、もう一人の聖は『思い出すな』と言う。
そして、綜一狼から離れろと……。
嫌ダ。
例えどんな真実があろうと、綜一狼と離れるのは嫌だ。
自分にとって、綜一狼と静揮は誰よりも失いたくない人なのだ。
二人の居る場所が自分の居場所。
その場所がなくなってしまったら、自分はきっとまた暗闇に飲み込まれてしまう。
孤独という暗闇に。
「でも、本当だったらおかしな話よね。いくら名門校だって言っても、どうして学園なんかに宝があるのかしら?」
「え? うん。どうしてだろう……」
そう答えながら、楓の脳裏に何かが掠める。
遠い昔の記憶。
忘れていたこと。
思い出すべきこと。
思イ出セ。
自分の中の何かが声を上げている。
(でも何を?)
混乱する。
どんなに記憶を探ってみても、答えらしきものは見つからない。
南条家に引き取られる前の自分。
それがひどくあやふや。
自分が思っていたよりも、もっと途切れ途切れではっきりとしない。
その事実に楓自身驚く。
頑なに蓋をしたのは、両親の『不運な死』について。
けれど、その前の事柄も思い出そうとすると、何かが邪魔をする。
何カガ邪魔ヲスル。
「楓、大丈夫?」
「え?」
顔を上げると、ルナが心配そうに自分を覗き込んでいた。
「ボゥッとした顔して、何言っても答えてくれないし。もしかして、具合悪い?」
「ううん。違うの。ごめんね。ちょっと考えごとをしていたから」
心底心配している様子のルナを見て、楓は慌ててブンブンと首を振る。
「行こうか」
「うん。後、もう少しだよ」
長い特別室連がある廊下を突っ切って、角を曲がれば地下室への入り口になる。
結局この場所に付くまで、誰一人とも会わなかった。
「これで、最初に会うのが嘉神だったりしたら笑えるわね」
曲がり角に差し掛かる時、ルナがクスリと笑う。
「笑えないわよ。綜ちゃんと静ちゃんに会ったら、きっと強制的に帰らされちゃうもの。せっかくここまで来たのに」
それに、どうしてここに居るのか、うまく誤魔化せる自信も無い。
「本当に見つかったら大変なことに……きゃっ」
「おっと、ごめん!」
角を曲がりかけたその時、楓は前から来た人物とぶつかる。
顔が相手の胸の部分にあたり、鼻をおもいっきりぶつけてしまった。
「す、すみません。私もよそ見してたから」
少しジンジンと痛む鼻を押さえ込み、楓は相手を見上げる。
「あ」
「あ・・・・・・」
「あぁ!」
楓とルナと、ぶつかった相手。
三人は同時に声を発する。
「し、静ちゃんっ」
目の前にいるのは、紛れも無く静揮だった。