好きな人は……(4)
綜一狼が足を止めたのは、ずっと視線を向けてきている女子の団体の前だった。
楓にクッキーを託した少女たちだ。
先ほどまで、廊下まで響かんばかりの騒ぎようだった女子たちだったが、綜一狼が目の前に現れた途端にぴたりと話を止めてしまった。
何か口に出そうとする素振りはあるのだが、実際言葉が喉まで到達しないらしい。
驚きとも喜びともつかない表情で、綜一狼が口を開くのを、固唾を呑んで見守っている。
なにせ、嘉神綜一狼こと現生徒会長といえば、学園のカリスマ的存在。集会での演説でその姿を見るくらいなもので、面と向かって顔を付き合わせることなどない。
特に一年生にとっては、雲の上の存在。こんな機会、そうそうありはしない。
「これ、ありがとう」
自分を上目遣いに見る女子たちに向かって、綜一狼はにっこりと微笑みながら、手に持っている紙袋を指し示す。
「あ、いえっ! そんな」
少女たちは赤くなりながら声を上擦らせる。
渡せただけでもラッキーなもので、まさか直接お礼を言われるなどとは思いもしなかったのだ。
「でも、気持ちだけで十分だから」
そう言って、綜一狼はクッキーの入った紙袋を少女たちに手渡す。
「甘いものはお嫌いでしたか?」
その中のいかにもリーダーらしき少女が綜一狼にそう尋ねる。
喜んだのもつかの間、返ってきたクッキーに少女たちは落胆の表情を隠せない。
「いや。そういうわけじゃないんだ。ただ、俺が貰ってもきっと食べきれないから。せっかくおいしそうなお菓子なのに、俺が独り占めするのはもったいないからね」
そう言いながら、極上の笑みを向ける。
少女たちはそれに魅入られただ、頷くことしか出来なかった。
(ま、こんなとこだろうな)
その笑顔の裏で、
「厄介払いが出来てよかった」
などと思っているなど、少女たちは露ほども知らないのである。
「と、いうわけで今、俺の手元にはクッキーはない」
帰ってきた綜一狼が、楓に向かってそう言いながら手を差し出す。
「いうわけでって……」
涼しい顔している綜一狼を見て、楓はうーんと唸る。
「どうして? せっかくあの子たちが綜ちゃんにってくれたのに」
「楓のが食べたいから」
きっぱりと綜一狼は答える。
そのあまりにも簡潔な答えに、楓はますます困惑して、幼馴染の顔をマジマジと見る。
「だって味は同じなんだよ? それに、私のはちょっと焼きすぎちゃって固めだし、どちらかといえば、あの子達のほうがうまくできたのに」
「そういう問題じゃない。俺は楓の作ったものだから食べたいんだよ」
「別に普通のクッキーだよ? そんなに期待されるほど、おいしいもんじゃないんだけど……」
「楓のものなら何でもおいしいよ」
普通に考えれば、完璧な口説き文句である。
それなのに、楓には悲しいくらいに伝わらない。
「ね、ところで嘉神。ココに何しに来たの?」
心なしか肩を落としている綜一狼を憐れに思い、ルナは話題を変える。
「そうだよね。何か用事があったんでしょ?」
「あ、あぁ。今日、一緒に帰らないかと思って。誘いに来たんだ」
綜一狼は気を取り直し楓に微笑みかける。
「うん。いいよ。じゃあ、ルナも一緒に・・・・・・」
「たまには二人きりで帰ろう」
ルナを一瞥し、綜一狼は即座に言い放つ。
その目は暗に『邪魔するなよ』と言っている。
「でも・・・・・・」
「遠慮しとくわ。たまには二人で帰るのもいいと思うわよ。楓」
意味が分かっていない楓に、ルナはニッコリ笑って言う。
「協力感謝する」
楓を挟んで、綜一狼はルナに意味ありげに微笑む。
「どういたしまして。健闘を祈るわ」
そう言いながら親指を上に向けて、ルナは軽くウィンクしてみせる。
「えっと」
二人の間で交わされている会話の意味を、一人まったく理解していない楓だった。