ぬくもりを求めて(3)
「悪かったな」
先に口を開いたのは綜一狼だった。
ぽつりと呟くかのように言葉を吐く。
「え?」
「嫌な思いをさせた」
「そんなことないけど・・・・・・。あの! それよりさっき話てたことって」
楓は綜一狼を見上げる。
「さっきの話?」
「空の涙の話してたでしょ?」
「・・・・・・」
綜一狼は無言のまま楓から視線を逸らす。
「綜ちゃん。もし、知っていることがあるなら教えて。お願い」
ほんの小さな糸口でも構わない。
自分と『ヒジリ』をつなげる何か。
それがなんなのか知りたい。
「楓は奴と・・・・・・聖と名乗ったあの男とどういう関係なんだ? 本当に、知らないのか」
楓の問いには答えず、綜一狼は逆に楓に問い返す。
「え?」
『知らない』そう言えない何かがあった。
けれど『知っている』とはっきりと言えるわけでもない。
楓は言葉に窮して黙り込む。
「・・・・・・分からない。だから知りたい。あの人が誰なのか」
暫くの沈黙の後で、綜一狼に向き直り楓は本心を言葉にする。
両親を一度に亡くしたトラウマからか、楓の六歳以降の記憶はひどく曖昧だ。
まるでピースの抜けたパズルのように。
日常生活には何の影響もない。
けれど思い出せない何かがあるということはひどく落ち着かない。
例え、それがどんなことであっても、楓は思い出したいと思う。
もしかしたら今回のことは、そのピースを見つけ出すチャンスなのかもしれない。
「忘れているのなら、無理に思い出す必要なんてない」
懇願する楓の視線を避けて、綜一狼はほとんど独り言のように呟く。
その顔はどこか翳りを含んでいる。
「綜ちゃん?」
楓は驚いて幼馴染みの名を呼ぶ。
「いや、なんでもない。ただ、お前をおかしなことに巻き込みたくないんだ」
真面目な顔で、綜一狼は楓を見つめる。
「おかしなこと? それってどういう・・・・・」
「いいから。忘れろ」
言いかけた楓を、綜一狼は唐突に抱きしめる。
「ど、どうしたの? 綜ちゃん」
「寒いから」
楓の問いの答えはおかしなものだった。
確かに寒い。
十月も終わりの季節。
日差しが差し込まないそこは暗くて寒い。
それにしても、だからと言って抱きつくのもどうかと思う。
楓はどうしたものかと考え込む。
押しのけようと思えば押しのけられる。
けれど、まるで壊れ物に触れているかのように、綜一狼の腕は優しい。
それを拒絶することを楓は躊躇う。
それになぜだろう?
妙に気恥ずかしくて胸の鼓動は痛いくらいに強く早鐘しているというのに、反面、心地好いほどの安堵感がそこにはあった。
孤独や不安が溶けていくような気がした。
すべてがその温かさの中で溶けていく。
確かに寒さを忘れさせてくれる温かさだ。
「悪い」
数秒か数分か。綜一狼はゆっくりと楓から体を離す。
「ううん。確かに温かかった。けっこうこれっていいかも」
人間湯たんぽ。中々いいかもしれない。
「・・・・・・頼むから俺以外の奴にやらないでくれ」
ニコニコと微笑む楓の姿に、脱力しきった綜一狼が力なく言葉を吐く。
言っておかなければ、この少女は間違いなく他の相手にもしてしまうだろう。
それこそ、相手のテーブルにナイフとフォークをセッティングしてやってメインディッシュの皿の上に座るようなものだ。
もちろんそんなこと、当の楓はまったく分かっていないのだが。
「ううん。綜ちゃんにもしない。昨日のことで、私との間におかしな噂が流れてるみたいなの。私、それを謝ろうと思って綜ちゃんを捜してたんだよ」
ハタッと当初の目的を思い出す楓。
「おかしな噂?」
「うん。その、私が綜ちゃんの彼女とか・・・・・・。ごめんね。何だか迷惑かけちゃって」
楓はモゴモゴと言葉を転がす。
「いや、俺はそういう噂なら・・・・・・」
大歓迎。と、いうのが綜一狼の本音だ。
そうすれば楓に近付く男も減るだろうし、楓も自分を少なからず意識してくれるはずだ。
「あ、分かってるよ。そんな噂、綜ちゃんはくだらなさすぎて相手にもしないって。でも、嫌な思いさせちゃうかもしれないから。先に謝っておくね」
「そうじゃなくて、そういう噂ならむしろ歓迎する」
照れもせず、真顔で綜一狼は楓に言葉を向ける。
楓はそんな綜一狼を一瞬キョトンとした顔で見上げ、数秒後に笑顔で口を開く。
「ありがとう。綜ちゃんてすごく優しい。嘘でもけっこう嬉しいかも」
「い、いや。だからそうじゃなくて・・・・・・」
「ううん。分かってるよ。私も、少し綜ちゃんに甘えすぎてた思うの。これからは、もっとしっかりするように心がけるからっ。じゃあ、先に行くね」
楓は踵を返すと、綜一狼の言葉を聞かずに走り去っていった。
「あいつは人の気も知らないで・・・・・・。昔から、ちっとも変わっていない」
苛立ちを含んだ綜一狼の声は、もちろん楓には届かない。
落胆と苛立ちを含んだ表情で肩を落とし、世界最強の鈍さを持つ少女の走り去った方角を、綜一狼は暫くの間見つめていた。