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異世界に聖女召喚されたけど、神託が私の黒歴史小説でした。

作者: 岸根しき
掲載日:2026/07/14

「――“銀の騎士は震える乙女をかき抱き、その耳元で永遠を囁いた。……おまえの居場所は、俺の腕の中だ、と”」


 大理石の玉座の間に、よく通る低い声が朗々と響き渡る。


 読み上げているのは、銀糸の髪を後ろで束ねた、絵画から抜け出してきたような騎士様。


 そして読み上げられているのは――昨夜、私がスマホのメモ帳に書き殴った“妄想恋愛小説”だった。


(違う! それ神託じゃない! 私の黒歴史ぃぃ!!)


 叫びたい。今すぐ駆け寄って、その口を塞いででも止めたい。


 でも、広間を埋め尽くす貴族の皆様は、涙ぐまんばかりの真剣な顔で聞き入っていて。


 パジャマ姿の小娘が声を上げる隙なんて、どこにもなかった。


 ――どうして、こんなことになってしまったの。


 私、藤崎あかねの記憶は、ほんの半刻ほど前に遡る。



 その夜の私は、大学のレポートを深夜二時にようやく書き終え、ご褒美とばかりにスマホのメモ帳を開いていた。


 誰にも見せない、寝る前だけの秘密の日課。


 題して――『月夜の騎士は溺愛を隠さない』。


 平凡な村娘が、銀髪の騎士団長に見初められて、それはもう一途に溺愛される。ただそれだけの、他愛もない妄想小説だ。


 ……はず、だった。


 その日の分を書き終えて、にやにやして、スマホを握ったまま眠りに落ちて。


 次に目を開けたとき、視界は真っ白な光に包まれていた。


「……え?」


 まばたきをする。


 磨き抜かれた大理石の床。天井まで届く白い柱。ステンドグラスから降り注ぐ、色とりどりの光。


 そして、私を遠巻きに取り囲む、豪奢な衣装の人々。


 正面の一段高い場所には、王冠を戴いた壮年の男性が座っていた。


(どこからどう見ても……玉座、よね……)


 対するこちらは、よれよれのパジャマに、裸足。


 手にはスマホが一台。


 以上。


(夢だ。夢に決まってる。レポート疲れが見せる、やたらリアルな夢――)


「おお……! おお、ついに……! 聖女様の召喚が、成ったのだ……!」


 白いひげをたっぷり蓄えた老人が、感極まったように両手を広げた。


 せいじょさま。


 聖女様。


(……誰が?)


 思わず振り返るけれど、背後には誰もいない。


 私しか、いない。


「その御手にあるは……! おお、間違いない、“神託の器”!」


 老人――あとで大神官様だと知る――の視線が、私のスマホに注がれる。


 次の瞬間。


 スマホが、かっと眩い光を放った。


「ひゃっ!?」


 光は宙に立ちのぼり、見たこともない文字の帯となって、広間いっぱいに広がっていく。


 読めない。読めないのに――なぜだろう、私にはその内容が“わかって”しまった。


 だってそれは。


 ついさっきまで私が書いていた、あの妄想小説の一節だったから。


「なんと……なんと尊い御言葉……! 騎士団長アラン・ラーナベルク! 神託を読み上げる栄誉を、そなたに!」


「……は」


 短い返事とともに、騎士たちの列から一人の男性が進み出た。


 銀糸のような髪を、首の後ろでひとつに束ねた長身の騎士。黒と銀の制服を、これ以上ないほど端正に着こなしている。


 藍色の瞳が宙の文字をなぞり――そして、冒頭の惨劇に至るというわけだ。


「――“銀の騎士は震える乙女をかき抱き、その耳元で永遠を囁いた。……おまえの居場所は、俺の腕の中だ、と”」


(読まないで読まないで読まないで!!)


 顔から火が出る。いっそ本当に出てほしい。火事の混乱に乗じて逃げたい。


 よろめいた私を、大股で歩み寄ってきた騎士様が、とっさに抱きとめる。


 その瞬間。


 私の身体から、ふわりと淡い金色の光があふれ出した。


「「「おおおおお……!!」」」


 広間が、歓声で揺れる。


「聖なる光……! これぞ真なる聖女の証!」


「聖女様万歳! ラーナ王国に栄光あれ!」


(ちがっ……誤解です! これ神託じゃなくて、ただの妄想――)


 言えなかった。


 国王陛下が立ち上がって拍手をし、大神官様が滂沱の涙を流し、貴族の皆様が跪いていく。


 その圧倒的な空気の中で、「あの、それ私の黒歴史なんです」と言える人間がいたら、ぜひ連れてきてほしい。


 私を抱きとめたままの騎士様が、間近から静かに私を見下ろした。


 藍色の瞳。感情の読めない、綺麗な顔。


「――お迎えに時を要しました。ようこそ、聖女様」


 こうして私は、逃げ出す隙もないままに。


 異世界ラーナ王国の“聖女様”に、なってしまったのだった。



 召喚から、数日。


 私に与えられたのは、王城の一角にある、無駄に広くて豪華な部屋だった。


 天蓋付きのベッド。座り心地のよすぎる椅子。窓の外には手入れされた庭園。


 衣食住は完璧。パジャマは上等な部屋着に替わり、三食昼寝つき。


 ……ただし、話し相手は、ほぼいない。


「聖女様のお世話をする侍女たちには、私語を固く禁じております。俗世の穢れが聖女様の御心を乱してはなりませんゆえ」


 にこにこと説明してくださったのは、大神官様だ。


(穢れって……私、この間まで大学の食堂で日替わり定食食べてた俗世の塊なんですけど……)


 もちろん、言えない。


 静かすぎる部屋で一人になると、つい、元の世界のことを考えてしまう。


 お母さん、今ごろ大騒ぎしてるだろうな。ごめんね、と胸の奥が軋む。


 ……お母さんは、私を大事にしてくれた。それは、ちゃんと知ってる。


 でも私はいつも、「手のかからない子」でいることでしか、自分の居場所を上手に感じられない子どもだった。


 文句を言わない。心配をかけない。空気を読んで、笑う。


 ――そういえば、突然異世界に召喚されるという人生最大の事件が起きても、私、まだ誰にも文句を言っていないな。


 我ながら、年季の入った習い性である。


 大神官様いわく、聖女の役目とは「そこに在ること」。


 聖女がこの国に存在するだけで大地の聖力が安定し、実り豊かになり、災厄が遠ざかるのだという。


「聖女様は何もなさらずともよいのです。ただ、心安らかにお過ごしくだされば」


「は、はあ……」


「そして聖力を安定させるため、一日に一度、“神託の実践”をお願いいたします」


「……はい?」


 しんたくの、じっせん。


 嫌な予感しかしない四文字が、そこにあった。


「神託の器が示された御言葉を、聖女様と騎士団長殿とで、忠実に再現していただくのです。これが聖力の源となりますれば」


(待って)


「なお神託の内容は夜ごと更新されておりますので、毎日新しい御言葉を実践できますな。いやあ、ありがたや、ありがたや」


(待って待って待って!!)


 夜ごと更新。


 そう、あのスマホ――“神託の器”として祭壇に安置されている私のスマホには、二年分の妄想小説が眠っている。


 しかも困ったことに、あれは基本、甘い。ひたすらに甘い。


 抱きしめたり、囁いたり、額に口づけたり、お姫様抱っこしたりする話しか書いていない。


 つまり“神託の実践”とは。


 私が夜中のテンションで書いた激甘シーンを、現実で、実演するということで。


 しかもお相手は――


「聖女様。本日より護衛を務めます、騎士団長のアラン・ラーナベルクです」


 部屋の入り口で一礼したのは、あの日私を抱きとめた、銀髪の騎士様だった。


 近くで見ると、ますます顔がいい。無駄に顔がいい。作画コストの配分がおかしい。


「日中は私が常に側におります。御用の際は、なんなりと」


「よ、よろしくお願いします……」


 侍女さんたちとは話せない。大神官様は忙しい。


 つまりこの世界で私がまともに会話できる相手は、実質、この人だけということになる。


(イケメンすぎるし、真面目そうだし……この人と毎日、あの妄想を再現……?)


 無理では?


 無理では??


 大事なことなので二回思った。



 ――そして始まった、悪夢の“神託実行タイム”である。


 その日、宙に浮かび上がった神託は、こうだった。


『騎士は乙女をそっと胸に抱き、ふたつの鼓動が重なるまで、離さなかった』


(書いたなあ!! 確かに書いたなあ私!!)


 三日前の私。夜中の二時の私。正座しなさい。


「――その前に、ひとつだけ」


 覚悟を決めかけた私に、アラン様は生真面目な声で言った。


「この実践は、あなたが少しでも嫌であれば、拒否なさってください。聖力が乱れたときの責は、全て俺が負います」


「……へ?」


「神託よりも、あなたの意思が優先です。……嫌では、ありませんか」


(い、嫌っていうか……!)


 嫌なのは実践そのものじゃなくて、内容が私の黒歴史だという、その一点なのだ。


(「自分の書いた妄想を実演されるのが死ぬほど恥ずかしいので嫌です」って、誰が言えるの!?)


 断る理由を、口が裂けても説明できない。


 私は死んだ魚の目で、ゆっくりと首を横に振った。


「……だいじょうぶ、です。聖力の、ため、ですから……」


「そうですか」


「……では、聖女様。失礼、いたします」


 アラン様が、生真面目な声で断りを入れて、一歩踏み出す。


 この方、普段は眉ひとつ動かさない鉄面皮なのに。


 神託を実践するときだけ、ほんの少し――耳が、赤い。


 鍛え上げられた腕が、壊れ物を扱うみたいに、そうっと私を包み込む。


 密着する胸板。硬い。広い。心臓の音が、聞こえる。


 どっどっどっ、と少し速いのは、私のか、この人のか。


(鼓動が重なるまでって書いたの誰!? 私だよ!!)


「……こ、これは、その、聖力のためですから……!」


「はい。聖力のためです」


 大真面目な声が、頭の上から降ってくる。


 その生真面目さが、逆に、恥ずかしい。


 別の日の神託は、こうだった。


『騎士は乙女の耳元に唇を寄せ、低く囁いた。――おまえの居場所は、ここだ』


 実践された。


 一言一句、忠実に。


 あの整った唇が私の耳元に寄せられて、吐息まじりの低音で「……おまえの居場所は、ここだ」と囁かれた瞬間、私は膝から崩れ落ちた。


「聖女様!?」


「だ、大丈夫です……聖力が、ちょっと、効きすぎただけなので……」


 嘘である。ただの照れである。


 ……ところで、あとになって、ふと思ったのだけれど。


 私の記憶では、あの台詞は「――君の居場所は、ここだよ」と書いたはずだった。当時の脳内騎士様は、王子様口調だったので。


 なのに宙に浮かんだ神託は、『おまえの居場所は、ここだ』。


 ……まるで、アラン様の口調に、翻訳されたみたいに。


(まあ、二年分もあるし……似たような場面、何回も書いてるしね……)


 そのときの私は、それ以上、深く考えなかった。


 また別の日は『騎士は跪き、乙女の手の甲に誓いの口づけを落とした』。


 その次の日は『騎士は乙女を軽々と抱き上げ、月を見せた』(お姫様抱っこでバルコニーに連行された)。


 毎日毎日、過去の自分の妄想に殺されかけている。


 自業自得という言葉が、これほど突き刺さる日々があるだろうか。


 そして何より、心苦しいのは――


(アラン様、騎士団長なのに……本当は忙しいはずなのに、こんな茶番に付き合わせて……)


 この神託の正体は、ただの女子大生の妄想だ。


 聖なる意味なんて、何ひとつない。


 それを知っているのは、この世界でただ一人、私だけ。


 真面目な顔で、律儀に、丁寧に“実践”してくれるこの人に、私は毎日、心の中で土下座していた。


「あの、アラン様……その、なんだか申し訳なくて。こういう役目、誰か別の方に代わってもらうことも……」


 言った瞬間、アラン様の眉が、ぴくりと動いた。


 いつも無表情なこの方の、初めて見る険しい顔だった。


「……俺に、騎士団長を辞めろと?」


「へっ?」


「聖女様の護衛と神託の実践は、騎士団長たる者の最重要任務。それを他の者に譲れというのは、つまり、そういう意味かと」


「ちちち違います! そうじゃなくて! アラン様がお忙しいんじゃないかと思っただけで!」


「……そうですか」


 アラン様は、ふ、と表情を戻した。


 気のせいだろうか。ほんの少しだけ、安心したように見えた。


「お気遣いなく。この任務は――」


 そこで一度、言葉が途切れる。


「……苦では、ありませんので」


(……今、ちょっと間がありませんでした?)


 問い詰める勇気は、もちろんなかった。



 転機は、ある朝、突然やってきた。


 目が覚めた瞬間、天井がぐらりと回ったのだ。


「……あ。これ、だめなやつだ」


 身体が、鉛みたいに重い。息が熱い。


 慣れない世界で、慣れない“聖女様”を、何週間も。


 気を張り続けてきたツケが、まとめて回ってきたらしい。


 騒ぎを聞きつけた大神官様は、真っ青になった。


「せ、聖女様が御病気とは……! こ、これは一大事ですぞ。本日の神託の実践は……ああ、聖力の安定が……」


 おろおろする大神官様の向こう、宙にはすでに、今日の神託が浮かんでいる。


『騎士は乙女を抱き上げ、月下の庭園をどこまでも歩いた』


(無理でーす……今日は物理的に、無理でーす……)


 熱でぼやける頭で、他人事のようにそう思ったとき。


「――本日の実践は、中止します」


 きっぱりとした声が、部屋に響いた。


 アランだった。


「し、しかし騎士団長殿、聖力の安定が……」


「乱れたときの責は、全て俺が負います」


(……あ)


 その台詞、知ってる。初めての実践の日、この人が真っ先にくれた言葉と、同じだ。


 アランは、一歩も引かなかった。


「神託とは本来、聖女様と国を守るためのもののはず。聖女様を苦しめてまで行う実践に、意味があるとは思えません」


 大神官様はしばらくあわあわしていたけれど、最後には「……騎士団長殿がそこまで仰るなら」と引き下がった。


(国の一大事より……私の熱、なんだ……)


 ぼやける視界の隅で、私はそのやり取りを、不思議な気持ちで眺めていた。


 それから始まったアランの看病は、予想の斜め上だった。


 驚いたことに、この人はほとんど使用人を呼ばない。


 自分で水を替え、自分で額の布を絞り、自分で果実水を作る。


 剣だこだらけの大きな手が、びっくりするくらい丁寧に動く。


「……アランって、看病、慣れてるんですか……?」


「騎士団では、戦場での看護も修めます。……布を、替えます」


 ひやりとした布が、額に乗る。気持ちいい。


 うとうとと、意識が浮き沈みする。


 夢と現の境目で、私はたぶん、ずいぶん情けない寝言を言った。


 おかあさん、とか。


 プリン食べたい、とか。


 ……帰りたい、とか。


 アランは、聞こえないふりはしなかった。


 かといって、何かを言うわけでもなく。


 ただ黙って、布を替える手を、一度も止めなかった。


 夜になって、熱が少し引いた頃。


 ベッド脇の椅子に座ったままのアランが、ぽつりと言った。


「……あなたの世界の話を、聞かせていただけますか」


「……え?」


「あなたが、どんな場所で生まれて、どんなふうに生きてきたのか。……俺は、何も知らないので」


 一瞬、言葉に詰まった。


 考えてみれば――この世界に来てから、誰も、それを聞いてくれなかった。


 聖女様のお役目。神託の意味。聖力のこと。


 皆が知りたがるのは“聖女様”のことばかりで、藤崎あかねが十九年間どこで何をして生きてきたかなんて、誰ひとり。


「……面白い話じゃ、ないですよ? 勇者の伝説とか出てこないし、ほんとに普通の……」


「構いません。あなたの話が、聞きたい」


(……ずるい)


 そんなの、話すしかないじゃないか。


 だから私は、話した。


 大学のこと。レポートの締め切りが地獄なこと。友達と行く安いカフェのこと。コンビニという万能のお店のこと。そこのプリンが世界一おいしいこと。お母さんの「ちゃんと食べてるの」がちょっとうるさくて――でも今は、うるさいくらいでいいから、聞きたいこと。


 アランは、その全部を、真剣に聞いた。


 相槌は「なるほど」と「それは興味深い」の二種類しかなくて、途中からなぜか懐から手帳を出して、メモまで取り始めた。


「こんびに……万屋の一種か。夜も開いている……? 警備体制はどうなって……」


「そこが気になるんだ……」


 思わず、ふは、と笑ってしまった。


 笑ったら、目尻から涙がひとつ、こぼれた。


 悲しいのか嬉しいのか、自分でもよくわからない涙だった。


 ただ――熱のせいにして、その夜の私は、生まれて初めてというくらい、たくさん自分の話をした。



 数日後。すっかり熱の下がった私の部屋に、謎の差し入れが届いた。


 銀のクローシュを、そっと開ける。


 そこに鎮座していたのは――ぷるんとした、黄色い何か。


「……これって」


「“ぷりん”……の、はずです」


 運んできた本人、アランが、微妙に目を泳がせながら言った。


「聞き取った特徴を料理長に伝え、七度、試作させました。卵と乳を蒸し固め、焦がした糖の蜜をかける。……合っていますか」


 七度。


 試作、七度。


 この多忙な騎士団長様が、熱に浮かされた小娘の寝言ひとつのために。


「……いただき、ます」


 スプーンですくって、一口。


 ……固い。あと、カラメルがちょっと謎の香草風味。プリンというよりは、限りなくプリンに近い、何か別の高級菓子だ。


 正直、コンビニのプリンの味では、全然ない。


 なのに。


「……おいし……」


 視界が、ぐにゃりと歪んだ。


「あかね様!? お口に合いませんでしたか。それとも熱がぶり返し――」


「ちがくて……! おいしくて……! おいしいから泣いてるんです……!」


「……味覚と涙腺が、連動を?」


「するんです! 女子大生は!」


 おろおろするアランの前で、私は泣きながら、謎香草カラメルのプリンもどきを完食した。


 世界一おいしいプリンの座は、その日、二年ぶりに更新された。


 ――ところで。


 その翌日の神託は、少しだけ、おかしかった。


『銀の騎士は七たび竈に立ち、乙女のために異国の菓子を作らせた。乙女の涙は、蜜よりも甘く騎士の心に落ちた』


(…………あれ?)


 こんな話、書いたっけ?


 銀の騎士って。異国の菓子って。……昨日の今日で、ピンポイントすぎない?


 首をひねったけれど、なにせ二年分の黒歴史である。書いた本人が全部覚えているはずもない。


(まあ、書いたんでしょうね、過去の私が……。相変わらず現金なんだから……)


 私はそう結論づけて、深く考えるのをやめた。


 ちなみにその日の“実践”は、大神官様が神託と空のお皿を見比べて、「……こ、これは既に成就しておりますな!」と判定してくれた。神託の器、意外と融通が利く。


 ――このとき、ちゃんと考えていれば。


 後日、大観衆の前で青ざめずに済んだのだけれど、それはもう少し、先の話。



 そんなふうに、少しずつ何かが変わりはじめた日々が――気づけば、ひと月ほど続いた頃。


 大神官様が、にこにこと爆弾を持ってきた。


「聖女様。近く、国民への“お披露目会”を執り行います」


「おひろめかい」


「城の大広場に民を集め、聖女様のお姿を披露するのです。皆、聖女様を一目見たいと待ちわびておりますからな」


 嫌な汗が、背中を伝った。


(お披露目って、まさか……皆さんの前で、あの“神託の実践”を……!?)


 大観衆の前で。抱擁。囁き。お姫様抱っこ。


 公開処刑という言葉が、脳裏を駆け抜ける。


「あ、あの、大神官様……お披露目会では、その、神託の実践も……?」


「はっはっは、まさか」


 大神官様は、ひげを揺らして笑った。


「あれは聖力を安定させるための神聖な儀式。人前でお見せするものではありませぬよ」


「〜〜〜っ、そう、ですか! よかった……!」


 心底ほっとして、椅子に沈み込む。


 大神官様が退出したあと、部屋には私とアラン様だけが残った。


 窓の外は、よく晴れている。


 こちらの世界に来て、もう、ひと月。


 レポートの締め切りも、友達との約束も、母の「ちゃんと食べてるの」といういつもの連絡も、全部、遠い向こう側だ。


「……聖女様」


 ふいに、アラン様が口を開いた。


「突然、見知らぬ世界に召し上げられて……お辛くは、ありませんか」


 どきり、とした。


 この人は普段、余計なことを聞かない。天気の話すらしない。


 その人が、まっすぐに、私の内側に触れる質問をしてきた。


「……いえ」


 気づけば私は、いつもの笑顔を貼り付けていた。


 物心ついた頃から得意な、便利な、貼り付けるだけの笑顔。


「仕方ない、ですよね。もう来ちゃったものは。皆さんよくしてくださいますし、ご飯もおいしいですし、私、わりと順応するの得意なので――」


「聖女様」


「それに聖女って言っても座ってるだけでいいんですし、楽なお仕事っていうか、あはは、恵まれてますよね、私なんかには過ぎたくらいで」


「――あかね様」


 初めて、名前を呼ばれた。


 心臓が、大きく跳ねる。


「俺が聞いているのは、そういうことでは、ありません」


 藍色の瞳が、逃げ場を塞ぐように、私を見ていた。


「あなたは、いつも笑っておられる。誰も責めず、何も望まず、全てを『仕方ない』と受け入れて。……それは本当に、あなたの心のままですか」


 ぐら、と足元が揺れた気がした。


 だめ。それ以上、踏み込まないで。


 そこを開けたら、私、ちゃんとした聖女様でいられなくなる。


「……じゃあ」


 気づいたら、口から言葉がこぼれていた。


「もし私が『帰りたい』って言ったら――帰してくれるんですか」


 声が、自分でも驚くほど、尖っていた。


 しん、と部屋が静まり返る。


 アラン様は、何も言わない。


(……ああ、やっちゃった)


 ほら、やっぱり。困らせただけだ。


 帰す方法なんてないことくらい、わかってる。誰も悪くないことも、わかってる。


 だから笑って呑み込むしかないのに、なんで私、こんな――


「……すまない」


 低い声が、落ちた。


 顔を上げると、アラン様が、深く頭を下げていた。


「今のは、わざと、意地の悪い聞き方をした。……あなたは笑ってばかりで、決して本音を言わない方だから。揺さぶれば、少しは本当の声が聞けるかと」


「…………え」


「卑怯な手だった。傷つけた。申し訳ない」


 わざと。


 この人が。この、生真面目の権化みたいな人が。


 私の本音を聞くために、わざわざ、嫌われ役を。


「……なんで」


 声が、震えた。


「なんで、そこまでして……私の本音なんか、聞きたいんですか。私の中身なんて、空っぽですよ」


 一度あふれたら、もう止まらなかった。


「私、ずっとそうなんです。物分かりのいい子。手のかからない子。空気の読める子。……でもそれだけ。誰かの『一番』になったことなんて、一度もない。家でも、学校でも、どこでも」


 視界が、にじむ。


「妄想の中でだけ……物語の中でだけ、私は選んでもらえるんです。現実の私を、名指しで必要としてくれる人なんて、いない。この世界だってそうです。皆さんが必要としてるのは“聖女様”で、藤崎あかねじゃない……!」


 ぼろ、と涙がこぼれた。


 一粒こぼれたら、あとはもう、決壊だった。


 嗚咽を抑えられない私に、アラン様が静かに言った。


「……護衛の任も、神託の実践も。あなたが望むなら、別の者に代わらせることも――」


「嫌です……っ」


 考えるより先に、声が出ていた。


「ほかの人は……嫌、です……」


 言ってから、かっと顔が熱くなる。


 なにそれ。なに言ってるの私。空っぽだの必要とされてないだの散々言っておいて、結局それって――


 次の瞬間。


 力強い腕が、私を引き寄せた。


 神託の実践のときの、壊れ物を扱うような抱擁じゃない。


 もっと強くて、少しだけ乱暴で、必死な腕だった。


「……俺もです」


 頭の上で、掠れた声がする。


「あなたの側にいるのは、任務だからじゃない。……ここにいるのは、神託ではなく、俺の意思です」


 俺の、意思。


 その言葉が、じん、と胸の奥まで染みていった。


 誰かに命じられたからじゃなく。神様が決めたからでもなく。


 この人は、自分で選んで、ここにいてくれる。


「……アラン様」


「アラン、で構いません」


「……じゃあ私も、あかねで……様、いらないです」


「……善処します」


 微妙に固い返事に、涙の残る顔のまま、ふ、と笑ってしまった。


 つられたように、アランの口元も、ほんの少しだけ緩む。


 初めて見る、この人の笑顔だった。



 ――俺、アラン・ラーナベルクは、腕の中の温もりに、内心ひどく動揺していた。


 顔に出ていないのは、生まれつきだ。得な性分だと、初めて思った。


 揺さぶるつもりが、泣かせた。護衛失格だ。万死に値する。


 だが。


 ほかの人は嫌だと、彼女は言った。


 ……この胸の奥で燻り続けてきたものに、もう、名前をつけないわけにはいかなかった。


 召喚の日、光の中から現れた彼女から、目を離せなくなった。


 そして、あの熱の夜――俺のような無骨者を相手に、涙まじりに笑いながら、自分の世界の話をしてくれた、あの夜。


 目ではなく、心を、奪われた。


 ……もう誰にも、渡したくないのだ。



 お披露目会の準備は、着々と進んでいった。


 その日、私の部屋は、朝から侍女さんたちでいっぱいだった。


 お披露目会用のドレスの、採寸と仮縫いのためだ。


 純白の生地に、金糸の刺繍。触るのも怖いくらい、綺麗なドレス。


 久しぶりにたくさんの人に囲まれて、会話は禁止でも、なんだか少しだけ心が浮き立った。


 ――そのときだった。


 衝立の向こうで作業していた侍女さんたちの、ひそめた囁き声が、耳に届いてしまったのは。


「……ねえ、騎士団長様、また今日も聖女様の部屋の前にいらしたわ」


「お忙しい方なのに、毎日毎日……あれって本当に護衛かしら。“監視”じゃなくて?」


「そりゃそうでしょう。だって、どこの誰とも知れない異界人ですもの。国の中枢に置くんだから、危険がないか見張るのは当然よ」


 ――ひゅ、と喉の奥が冷たくなった。


「聖女様だなんて祭り上げてるけど、上の方々が本心でどう思ってらっしゃるかなんて、わからないわよねぇ」


 声は、すぐに別の話題に移っていった。


 悪気すら、なかったのだと思う。ただの世間話。


 でも、その何気ない言葉は、私がずっと見ないふりをしてきた場所に、まっすぐ突き刺さった。


(監視。……そう、よね。普通に考えたら、そう)


 得体の知れない異界人。


 本物かどうかもわからない聖女。


 じゃあ、アランがずっと側にいてくれるのも――


(違う。アランは、自分の意思だって言ってくれた。ちゃんと、言ってくれたじゃない)


 ぶんぶんと首を振って、嫌な想像を追い払う。


 採寸が終わったあと、火照った頭を冷やしたくて、私は続き部屋のバルコニーに出た。


 眼下は、騎士団の訓練場に面した中庭だ。


 見慣れた銀髪が、そこにあった。


 アランが、訓練終わりらしい騎士の人たちと立ち話をしている。


(あ……)


 声をかけようとして、やめた。ここからじゃ届かないし、任務の邪魔になる。


 ただ、風向きのせいだろう。彼らの話し声だけが、切れ切れに、こちらまで運ばれてきた。


「――しかし団長も大変ですなあ。毎日毎日、聖女様の御守りとは」


「朝から晩まで貼り付きじゃ、ご自分の時間もないでしょう。婚期が遠のきますよ」


 からかうような笑い声。


 アランが、なんと返すのか。


 聞きたくないのに、耳が、勝手にその声を拾ってしまう。


「――王命だ。仕方あるまい。……俺の立場で、私情など、許されるものか」


 ……。


 風が、止んだ気がした。


 王命。仕方ない。私情など、許されない。


 私が「仕方ない」を封印したあの日から、大切に握りしめてきた言葉が、音を立てて崩れていく。


(……ああ、そっか)


 俺の意思です、なんて。


 あれはきっと、泣いてる小娘を落ち着かせるための、大人の優しさで。


 本当のところは、王命で、任務で、義務で――


 私は、最後まで聞かずに、バルコニーから部屋の中へ逃げ込んだ。


 ――彼があのあと、どんな顔で、何と続けたのか。


 このときの私は、知らないままだった。



 ――お披露目会、当日。


 空は、憎らしいほどの快晴だった。


 城の大広場には、見渡す限りの人、人、人。


 純白のドレスに身を包んだ私は、大神官様に先導されて、広場を見下ろす大バルコニーへと進み出た。


「「「うおおおおおお!!」」」


 地鳴りのような歓声が、突き上げてくる。


「聖女様ー!!」


「ラーナ王国に栄光を!」


 何万という人が、私に向かって手を振り、涙を流し、祈りを捧げている。


 本当なら、感動する場面なんだと思う。


 でも、私の心は、氷みたいに冷たいままだった。


(この人たちが見てるのは、“聖女様”)


(アランが隣にいるのは、“王命”)


(……藤崎あかねを見てる人は、この何万人の中に、一人もいない)


 ドレスの下で、膝が震える。


 その震えに気づいたのだろう。半歩後ろに控えていたアランが、そっとエスコートの腕を差し出してくれた。


「……大丈夫です。俺が、側におります」


 王命だから。


 そう思うのに、その腕に掴まってしまう自分が、情けなくて、少しだけ、泣きそうだった。


「静粛にーっ、静粛にーっ! これより、聖女様の召喚を天が寿いだ証、“神託の器”を披露いたす!」


 大神官様が、恭しく捧げ持った銀の台座の上――私のスマホを、高々と掲げた。


 その、瞬間。


 スマホが、これまで見たこともない、どす黒い光を放った。


「なっ……!?」


 光は禍々しい文字となって、青空を裂くように広がっていく。


 ざわ、と広場が揺れた。


 私には、わかってしまった。読めてしまった。


 天に浮かんだその文字は――


『――この者、聖女にあらず』


「せ、聖女に、あらず……?」


「神託が……神託が、聖女様を否定して……!」


「偽物……偽物なのか!?」


「異界の魔女だ! 魔女が国を謀ったんだ!!」


 歓声が、悲鳴と怒号に変わるのは、一瞬だった。


 さっきまで祈りを捧げていた何万の瞳が、いっせいに、疑いと恐怖の色に染まる。


「せ、聖女様、これはいったい……!」


 大神官様が真っ青な顔で振り返る。


 私は、何も言えなかった。


 だって――思い当たることが、あったから。


(この人たちが見てるのは、“聖女様”。……藤崎あかねを見てる人なんて、いない)


(私は、本物なんかじゃない)


(私はここにいる資格なんて――)


 直前まで、心の中で唱え続けていた言葉。


 それが、一言一句そのまま、空に浮かんでいる。


(まさか……あの神託を出したのは……私……?)


「聖女様を――いや、あの女を確保しろ! 陛下の御前に引き立てい!」


 衛兵たちが、槍を手に、バルコニーへ駆け上がってくる。


 逃げる場所なんて、ない。


 弁明の言葉も、ない。


 だって、半分は、本当のことだ。私は聖女なんかじゃない。ただの、妄想好きの女子大生で――


 目の前に、槍の穂先が迫る。


 私はぎゅっと目を閉じた。


 ――そのときだった。


 ギィン!! と、鋭い金属音が響いた。


 恐る恐る目を開ける。


 私の眼前で、衛兵の槍を弾き上げた白銀の剣が、陽光を撥ねて輝いていた。


「……俺の聖女に、槍を向けるな」


 広い背中が、私と世界の間に、立ちはだかっていた。



「き、騎士団長……!? なにをなさいます、神託が、神託がこの女を偽物と……!」


「黙れ」


 凍りつくような一喝に、衛兵たちが硬直する。


 アランは剣を構えたまま、広場を埋める群衆を、大バルコニーの上から睥睨した。


「聞け! 俺は騎士団長アラン・ラーナベルク! この命と誇りにかけて宣言する――この方こそ、真の聖女だ!」


 声が、広場の隅々まで、響き渡る。


「この方が偽りだと言うのなら、俺は騎士団長の地位を返上する! 剣も、家名も、全て捨てよう! ――だがそれでも、俺はこの方を守る! この方の側を、離れない!」


 しん、と。


 あれほど荒れていた広場が、水を打ったように静まり返った。


 私は、呆然と、その背中を見上げていた。


(な……に、言って……)


 騎士団長の地位を。剣を。家名を。


 この人の、人生の全部を。


 私なんかのために、賭けるって――


(だめ……!)


 気づいたら、私は動いていた。


 震える足で、一歩、前へ。


 庇ってくれる背中の、隣へ。


「だめです、アラン……! あなたはこの国に必要な人です! 私なんかのために、全部捨てるなんて、そんなの――」


「あかね」


 アランは、前を向いたまま、静かに言った。


「あなたは、“私なんか”ではない」


「……っ」


「それに――」


 剣を構えたまま、彼は静かに続けた。


「……言ったはずです。俺が、なぜ、ここにいるのか」


 どくん、と心臓が鳴った。


 王命だ、仕方あるまい――バルコニーで聞いた、あの声。


 私情など許されないと、この人は言っていたのに。


 でも今、この人は、何万人の前で、地位も家名も投げ捨てて、私の隣に立っている。


 義務で、こんなことができるはずがない。


(ああ――)


 目の奥が、熱い。


 守られてる。祭り上げられてるんじゃなくて、監視されてるんじゃなくて。


 藤崎あかねが、名指しで、守られてる。


(この人を……失いたくない)


(聖女とか、偽物とか、資格とか、もうどうでもいい。私が、私の意思で、この人を守りたい……!)


 心の底から、そう願った――その瞬間。


 大神官様の手の中のスマホが、今度は、あたたかな金色の光を放った。


「なっ……こ、これは……!」


 光は天に立ちのぼり、澄んだ文字となって、朝の空いっぱいに広がる。


『――この者、真の聖女なり』


『その心、偽りなく、この地とこの民と、隣に立つ騎士を想う』


「「「お、おおおお……!」」」


 広場が、再び、どよめきに包まれた。


「し、神託が……聖女様を、真の聖女と……!」


「光が……なんて温かい光だ……!」


 混乱する群衆。腰を抜かす大神官様。


 その中で、私だけが、確信していた。


(……そういう、ことだったんだ)


 この“神託の器”は、私のメモ帳を読み上げていたんじゃない。


 ――私の心の言葉を、映していたんだ。


 召喚された日からずっと。妄想小説も、心の声も、区別なんてなく。


(待って。じゃあ、あの“書いた覚えのない神託”……口調が変わってたやつも、プリンのやつも、全部……リアルタイムの、私の心の声だったってこと!?)


 羞恥で叫び出しそうになるのを、必死に呑み込む。今は、それどころではない。


 だから、あの黒い神託は、私自身の「資格なんてない」という叫びで。


 この金色の神託は、私が初めて、自分の意思で選んだ願いだった。


 ――広場は、まだ、ざわめいていた。


 真の聖女なり、と天は示した。けれど人々の顔には、歓喜と一緒に、戸惑いと恐れが色濃く残っている。


 当たり前だ。ついさっきまで「偽物」「魔女」と叫んでいたのだから。


 神託が上書きできるのは、空の文字だけ。


 人の心には――自分の言葉で、話さなくちゃいけない。


 私は、すぅ、と息を吸い込んだ。


 膝は、まだ震えている。それでも一歩、バルコニーの手すりの前へ。


「――皆さん! 聞いてください!」


 自分でも驚くくらい、声が出た。


 何万の視線が、いっせいに突き刺さる。怖い。すごく怖い。


 でも、もう、笑って呑み込むのは、やめたのだ。


「私の名前は、あかね! 藤崎あかねといいます! ……そして私は、皆さんが思っているような、完璧な聖女では、ありません!」


 ざわ、と群衆が揺れた。大神官様が「せ、聖女様!?」と裏返った声を上げる。


「さっきの黒い神託は、本当のことです! 私はずっと、自分に自信がなくて……こんな私が聖女だなんて、ここにいる資格があるのかって、ずっと怖かった! あの黒い神託の正体は――私自身の、弱い心です!」


 しん、と広場が静まり返る。


 息を、もうひとつ。


「でも……! この世界で、教えてくれた人がいました! 聖女だからじゃなく、ただの私を、名前で呼んで、隣に立ってくれる人がいるって……! だから私は今日、生まれて初めて、自分の意思で決めました!」


 震える手を、ぎゅっと胸の前で握る。


「祈られるだけの、飾りにはなりません! この国の皆さんと同じ場所に立って、笑って、悩んで、生きていきたい……! そういう聖女では、駄目でしょうか!!」


 言い切った。


 心臓が、破れそうにうるさい。


 永遠みたいな数秒の、沈黙のあと。


 広場の隅で、ぱち、と小さな拍手が鳴った。


 それは波のように広がって、重なって、うねりになって――気づけば、地鳴りのような大歓声に変わっていた。


「聖女様万歳ー!!」


「あかね様ー!! あかね様、万歳ー!!」


 聖女様、じゃなくて。


 名前を呼ぶ声が、確かに、いくつも混ざっている。


 じわり、と視界がにじんだ。


 隣を見上げると、剣を収めたアランが、何も言わずに、深く頷いてくれた。


「――見事である」


 朗々とした声とともに、バルコニーの奥から現れたのは、国王陛下その人だった。


「「「へ、陛下!?」」」


 衛兵たちが、慌てて跪く。


 陛下は騒然とする広場を手で制すると、私の前に立ち、そして――ゆっくりと、頭を下げた。


「聖女殿。まずは詫びよう。そなたには、話していないことが多くあった」


「え、え……?」


「余は初めから、そなたを疑ってなどおらぬ。召喚の日の、あの光を見た者なら誰でもな。……だが、見知らぬ世界に突然召し上げられた娘が、どれほど不安かも、想像はついた」


 陛下は、ふ、と目元を緩めた。


「ゆえに、そなたに近づける者を最小限に絞った。悪意ある者、そなたを利用せんとする者を、近づけぬためよ。侍女らに私語を禁じたのも、それが理由。……結果、そなたを孤独にしたのなら、余の落ち度だ」


(そう、だったんだ……)


 監視じゃ、なかった。


 不器用で、やり方は間違ってたかもしれないけど――守られて、いたんだ。


「もっとも」


 陛下は、ちらりとアランを見て、実に楽しそうに続けた。


「護衛の人選をやたらと厳しく具申し、『聖女様に近づく者は自分が全て検分する』『男は特に厳しく検分する』と言い張ったのは、そこの騎士団長だがな」


「……陛下」


 アランの声に、初めて聞く、狼狽の色が混じった。


「毎朝一番に聖女殿の部屋の前に立ち、毎晩最後まで残り、非番の日まで護衛を代わろうとせん。あまりに聖女殿のことばかり奏上するゆえ、余は途中から、政務の報告より先に聖女殿の様子を聞くのが日課になった」


「陛下……! その辺で……!」


「なんだ、王命だと言い張っておったそうではないか。安心せい、確かに王命は出した。――そなたがあまりにしつこく願い出るゆえ、命じる形にしてやっただけだがな」


 ……え。


 えええ。


 私は、隣に立つ騎士様を見上げた。


 鉄面皮のはずのその顔が――耳どころか、首まで、真っ赤に染まっていた。


「なお、聖女殿」


 陛下は最後に、真面目な顔に戻って言った。


「そなたを元の世界へ帰す方法も、神殿に探させておる。見つかる保証はできぬが……この先をどう生きるかは、聖女としてではなく、そなた自身が選ぶがよい」


 私自身が、選ぶ。


 その言葉を、私は胸の奥で、ぎゅっと抱きしめた。



 ――その夜。


 嵐のようなお披露目会が終わり、私の部屋には、いつもの静けさが戻っていた。


 いつもと違うのは、目の前の騎士団長様が、床に膝をつき、今にも額を絨毯に擦りつけそうな勢いで頭を下げていることだ。


「……申し訳、ありませんでした」


「あ、あの、アラン? 顔を上げてください……?」


「昼間の陛下のお言葉は、全て事実です。護衛の人選に口を出したのも、男を近づけなかったのも、王命を願い出たのも、全て……俺の独断です。あなたの意思を確かめもせず」


 ぐ、と拳が握られる。


「軽蔑されて、当然のことをしました。ですが、これだけは、俺の口から言わせてください」


 アランが、顔を上げた。


 藍色の瞳が、まっすぐに、私を射抜く。


「――初めて会った瞬間、あなたに、目を奪われました」


「〜〜〜っ!?」


「光の中から現れたあなたは、その……とても、綺麗で。抱きとめた腕を、離しがたいと思った。……ですが」


 アランは、そこで一度、言葉を切った。


「心を奪われたのは、あの夜です。熱に浮かされながら、誰のことも責めず、笑って、自分の世界の話をしてくれた――あの夜。この人の“一番”に、俺がなりたいと思った。……生まれて初めての、感情でした」


「……っ」


「神託も、任務も、関係ありません。俺はただの一人の男として、あなたが――あかねが、好きです」


 直球だった。


 剛速球のど真ん中だった。


 二年間、恋愛小説を書き続けてきた私でも、こんな告白は書いたことがない。


 だって、こんなの――現実のほうが、ずっと、破壊力がある。


「わ……私……」


 声が、震えた。


 でも今度は、悲しくてじゃない。


「私、ずっと……誰かの一番になりたかった。でも、なれたことなくて。だから物語の中でだけ、選んでもらってて……」


 涙が、ぽろりとこぼれる。


「現実の私を、名指しで選んでくれる人が、いるなんて……思ってなかった……」


「あかね」


「嬉しい……っ。地位とか家名とか賭けないでほしいけど! 心臓に悪いけど! でも、嬉しかった……! 私も、アランがいい。アランじゃなきゃ、嫌……!」


 言い終わる前に、抱きしめられていた。


 もう何度目かわからない腕の中は、でも、今日が一番、あたたかかった。


 ――ただし。


 しばらくして腕の中から顔を上げた私は、ひとつだけ、ちゃんと言った。


「……でも、アラン。私に聞かないで、周りの人を勝手に遠ざけたのは――めっ、です」


「……はい」


「好きでいてくれたのは、うれしい。けど、私の人生のことは、これからは私にも聞いてください。私……もう、自分で選ぶって、決めたので」


「……肝に、銘じます」


 叱られた大型犬みたいにしゅんとする騎士団長様に、私はこらえきれず、吹き出してしまった。


 ――さて。説教が済んだところで。


 私はふと、悪戯心が湧いた。


 枕元のテーブルに置かれた、返却されたばかりのスマホを手に取る。


「……あ。アラン、大変です」


「どうしました」


「たった今、神託がおりました」


 私はスマホの画面を、こほん、と読み上げるふりをする。


「『――ラーナ王国の騎士団長に、聖女は恋に落ちるだろう』……ですって。神託なので、仕方ないですね?」


 我ながら、会心の意趣返しだった。


 いつも私ばかり、真顔の朗読に悶えさせられてきたのだ。たまには照れるがいい。


 アランは、二秒ほど固まって。


 それから、耳を赤くしたまま、ふ、と笑った。


「――いいえ」


 大きな手が、スマホごと、私の手を包み込む。


「神託だからでは、ありません。……俺の意思です。もう、他の誰にも、代われません」


(……この人、やっぱり最強では?)


 完敗である。顔が熱い。心臓がうるさい。


 でも、負けた気は、ちっともしなかった。



 その夜、寝る前に。


 私は久しぶりに、スマホのメモ帳を開いた。


 二年分の妄想小説たち。私の逃げ場所だった、大切な黒歴史たち。


 指で遡っていくと、一番古いメモの日付が、目に入った。


 ……この日付の向こう側に、私の元の世界がある。


 お母さん。今ごろ、泣いてるかな。「ちゃんと食べてるの」って、あの小言、もう聞けないのかな。


 友達。既読のつかないメッセージを、何通も送ってくれているかもしれない。


 ……帰れるなら、帰りたい。


 それは、嘘じゃない。ちゃんと「ただいま」を言って、「心配かけてごめん」って謝って、コンビニの本物のプリンが、食べたい。


 陛下は、帰る方法を探し続けると約束してくれた。だから私は、その日を諦めない。


 ――でも。


 「帰れないから、仕方なく」ここにいるのは、今日で、おしまい。


 私は目元をごしごしと拭って、一番下に新しいページを作り、二行だけ書いた。


『聖女は、いつか帰る道を探すことを、諦めません』


『そのうえで――今日この世界で、大切な人の隣で生きることを、自分の意思で選びました』


 書き終えた瞬間、スマホが、ほわりと金色に光った。


 ……まったく、律儀な神託の器である。


 妄想じゃない、私の言葉。


 私が選んだ、私の物語。


 その続きのページは――明日から、二人で綴っていく。


おわり

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

長め読切でしたが、あかねとアランの物語に最後までお付き合いいただけて、とても嬉しいです。

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感想もいただけたら、とても嬉しいです。

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