第6話 熊本のビッグボス
昨夜の地震で熊本城の本丸である大天守の屋根瓦やしゃちほこはすべて地上に落ちてしまった。
その光景は衝撃的だが、それ以上にショックだったのは熊本城にいくつもある櫓……物見のため、また外敵から城を防御するための小ぶりな城……の一つ飯田丸の眺めだった。
城と市役所のあいだに天然のお堀となる坪井川が流れ、その城側の川岸に国の重要文化財で日本一長い石垣といわれる長塀がある。
その長塀が百メートルにわたって倒れていた。
いうまでもなく地震による被害だ。
倒れた長塀の向こうに飯田丸が見える。
白と黒のシンプルな外観から禁欲的な古武士の風格がある大天守に対し、城壁の色が赤っぽい飯田丸は粋な町の遊び人のイメージがあってぼくは好きだった。
その飯田丸の足もとを支える石垣に、ゾッとするほど大きな穴があいていた。
地震の衝撃で堅牢な石垣が崩れたのだ。
「大砲を被弾したみたい……」
飯田丸を見たAは口もとに手を当て、それきり絶句した。
ぼくらは川から少し離れた駐車場から飯田丸を眺めた。
すぐそばに自転車用の白いヘルメットをかぶったおばあさんがいた。
「……」
石垣に穴が空いた飯田丸に手を合わせ、おばあさんは静かに涙を流した。
そのとき風に乗って子どもたちの声が聞こえてきた。
(こんなときこんな場所でなんだろう?)
ぼくはAをうながし、声のするほうへ足を運んだ。
行幸橋のたもとに熊本城を作った加藤清正の銅像がある。
甲冑を身につけ、長烏帽子をかぶった清正像のまわりは黒と白のつるつるした石が敷かれたちょっとした広場になっていて、そこに子どもが五人いた。
一人の小柄な男の子を四人の大柄な男の子がかこんでいる。
五人とも見覚えがあった。
四人の大柄な少年はわが本城小学校のラグビー部員で、彼らにかこまれている小柄な少年はやはり本城小の生徒だ。
クラスはたしか五年C組。
大柄な四人はそれぞれ黒赤青のカラフルなラグビージャージを着ている。
「わかったな」
長方形のオブジェに腰かけた金髪デブが、横柄な態度で小柄な少年に告げた。
「二三日中に全員公園から出ていけ」
金髪デブは胸に桜のエンブレムがあるジャージを着ていた。
彼のことはよく知ってる。
名前は宮沢竜。
ポジションはFWで左プロップ。
ぼくと同じ五年生だが一七五センチ八五キロと体格はすでに大人顔負けで、ラグビー部でも実質キャプテンをつとめている。
「それがいやならおまえのオフクロをうちにあいさつにこさせろ。時間は今夜午前一時。いいな……」
宮沢はそこで自分を見つめるぼくの存在に気づいてオブジェから飛び降りた。
「じゃあなケンタ。オフクロさんへの伝言頼んだぞ。がんばろう熊本!」
宮沢はぼくを見て笑顔で叫んだ。
さっき公園で聞いたのと同じフレーズだ流行ってんのかなこれ? と思いつつぼくも笑顔で金髪デブにいった。
「がんばろう熊本」
「いい子じゃない」
これは三人の手下を引き連れ、広場から去る宮沢を見送るAの感想だ。
「そうだね。あいつ有名なラグビー選手だから人目を気にしてるのもあるだろうけど。きみ大丈夫?」
「……」
ケンタと呼ばれた小柄な少年は黄色いブックカバーをかけた本を胸にをかかえ、不安げな顔でぼくを見つめた。
ぼくは佐伯賢太くんを川沿いのベンチに誘った。
「うわっ」
ベンチに座ってすぐケンタは跳ねるように立ちあがった。
ゴゴゴゴとぶきみな地鳴りが聞こえる。
「震度三だね」
ぼくは座ったままケンタにそういった。
きのうから余震が続いている。
ずっと地面が揺れていて、三半規管が弱い人は船酔いに似た症状を見せていた。
人間だけでなく大地も傷ついている。
ぼくらの足もとの石畳はところどころコブのように盛りあがり、いたるところに亀裂が走っていた。
さらに川向こうに見える城の馬具櫓の石垣が、今にも崩れそうな感じに大きくふくらんでいるのが不気味だ。
「住んでたアパートが地震でこわれた」
青ざめた顔でベンチに座り直すとケンタはいった。
「ぼくらの部屋二階にあったけど、気がついたら二階の部屋が一階になってた」
「ヤバいね」
「危ないからすぐお母さんの車で避難した。泉田公園に行った。アパートのほかの部屋の人や近所の人も公園に避難した。きのうはそのまま公園に車を停めてそこで眠った。車は今も同じ場所に停まってる。知ってる? 泉田公園の場所。段山停留所前の高架下にあるんだけど」
「知ってる。泉田病院のとなりの公園だよね。ぼくのママがあの病院に入院中だからよく知ってる」
「きみのお母さんが? お母さん大丈夫なの?」
「ありがとう。さっき病院に行ったけど無事だった」
「早川くんのお母さんのうわさ聞いたことあるよ。むちゃくちゃきれいな人だってお母さんがいってた」
「ふつうの母親だよ。でもどうしてこんなところで宮沢と会ったの?」
「ぼくのおじいちゃんとおばあちゃんの家が新屋敷にあるんだ。お母さんに頼まれて家が無事かどうかぼく一人で見に行った。お母さん今おじいちゃんと仲悪いから自分では見に行けないんだ。ちんちん電車が動いてたから段山から九品寺交差点まで乗って行った。家は無事だった。すごく大きいんだおじいちゃんち」
「おじいちゃんに会ったの?」
「ううん。声はかけず見るだけで帰ってきてってお母さんにいわれたから。それから帰りの電車を待ってたけどなかなかこないから九品寺からこっちに向かってブラブラ歩いた。そしたら市役所前で宮沢くんに会ってここに連れてこられたんだ」
「なるほど。たぶん宮沢は市役所に災害ボランティアの登録にきたんだな……宮沢はなぜ『公園から出ていけ』なんていったの?」
「宮沢くん今朝町内をパトロールして泉田公園にぼくらの車が停めてあるのを見たんだ。あの公園がもうすぐ自衛隊の駐屯地になるからぼくらは邪魔なんだって。宮沢くんのお父さんがそういったって」
「宮沢のお父さんが? あいつのお父さんってたしか……」
「政治家の宮沢敦先生だよ」
よくあるご近所トラブルみたいなものだろうと、ケンタの話をのんきに聞いていたら、とつぜん熊本屈指の権力者の名前が出てきて背筋が冷えた。
宮沢敦五十歳。
熊本選出の衆議院議員で次期熊本県知事の有力候補、いやそれどころか近い将来の内閣総理大臣候補とまでいわれる人物だ。
息子の竜も大きいが父親の敦はもっと大きい。
なんせ一九〇センチ一三〇キロもある!
敦は巨体を生かしてある政治家のボディガードになり、そこから今の地位に成りあがった。
物腰は柔和だが、地元では「宮沢先生の過去を調べたら命にかかわる」とささやかれおそれられている。
(なんだかサザエさんと思って読んでいた漫画が、いつの間にかゴルゴ13になった気分だ)
「宮沢敦はどうしてきみのママにそんな話をするの?」
「お母さん宮沢先生からお金借りてるんだ」
「おっと……それにしたって夜中の一時に家にこいなんてむちゃくちゃだ。ねえ、きみのママってきれい?」
「ていう人もいるけど……」
「きれいなんだね。てことは権力者が非常時のどさくさにまぎれて美人の人妻をものにしようと……いくらなんでもそれはないな。ところできみのお父さんはどうしたの?」
「五年前に死んだよ」
ケンタは重い事実をあっさり告げた。




