第56話 生きるタブー
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七月十六日土曜日の正午。
一学期の授業がすべて終わり、いつもより多めの荷物を抱えた生徒たちは元気に校舎から駆け出した。
わたしは外に出てすぐ顔をしかめた。
アニメの背景のように青い空が目に痛い。
「あした東京ディズニーランドに行くんだ」
「わたしは大阪のおばあちゃんち」
そんな陽気な声が校庭と青空にこだまする。
三郎は用事があるといって一足先に帰った。
Aもいないから一人で校門に向かうと、真夏のひざしにふさわしくない、秋めいた哀愁を帯びたメロディが聞こえてきた。
門の外でセーラー服を着たカオルさんがバイオリンを弾いていた。
サーカスの呼び込み曲として有名なジンタを弾いている。
校門の前にチンドン屋がいた。
この前テント小屋で会った天草傀儡衆が、カオルさんのバイオリンに合わせて人形をあやつっている。
糸受け(手板)から垂らした糸で足もとの動物をあやつるのだ。
先頭の才蔵さんが二本足で歩くキツネを、そのうしろで奥さんの孫君さんがネコを、その次にドジョウひげの二笑さんがタヌキ、佐助さんがサル、最後尾の氏長さんがクマをあやつっていた。
それぞれの動物は音楽に合わせて踊ったり、投げキッスしたり、腹づつみを打ったりした。
「サーカスだよ、柱サーカス」
山高帽をかぶり黒い燕尾服を着た淡島団長がチラシを配る。
「白川の河川敷にテントがあるよ。
曲芸、人形劇、空中ブランコ、漫才、それにきれいなお姉さんのストリップもあるよ。
いい子はみんな寄っといで」
多くの生徒は団長さんの真っ白な顔を気味悪そうに横目で見ると、さっさと通りすぎた。
生徒の反応を見ていたら気がついた。
(ほとんどの生徒はチンドン屋や人形の姿が見えてないんだ)
カオルさんのバイオリンも聞こえていないと思う。
彼らにはぶきみな愛想笑いをうかべてチラシを配る団長さんの姿が見えるだけなのだ。
でも少数だが足を止め、踊る人形を熱心に見つめる生徒もいる。
わが五年A組のオサム、太一、ラン、それから担任のさゆり先生も足を止めた少数派だ。
四人とも妖しいほど目を輝かせ、人形の奇妙な舞に見いっている。
彼らにはぜんぶ見えるし聞こえるのだ。
(これって霊感の差かしら?)
団長さんは熱心に人形を見つめる四人にチラシを手わたした。
「あなたもどうぞ」
団長さんはわたしにもチラシをくれた。
チラシには聖体の十字架を拝む二人の中年天使が描かれていた。
右下に四角いミシン状の切れ目がある。
ここを切り取るとチケットになるのだ。
入場無料と書かれている。
天使の絵の下にこう書かれていた。
「柱サーカス
七月十七日(日) 夜九時開幕
白川泰平橋たもとの河原(ニュースカイホテルの対岸)
赤いテント小屋にて
ともにブリガドーンを楽しみましょう」
(……ブリガドーン)
このまえカオルさんもいってたけど、ブリガドーンっていったいなんだろう?
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土曜日三時間目の授業が終わると、ぼくのスマホにメールがきた。
(カラミル)
授業が終わったら学校裏の瑞光寺にきてとある。
「なに?」
「なんでもない」
手もとをのぞきこもうとするユイの目からかくすようにスマホを閉じた。
カラミルが会いたいというときはやばい話に決まってるから彼女を巻き込みたくなかった。
午前中で授業が終わってすぐ瑞光寺に行くと、寺に隣接した細長い空き地にカラミルがいた。
今日は制服ではなくオレンジのTシャツにブルージーンズというカジュワルなよそおいだ。
彼女の学校は地震の影響で一足早く夏休みになったそうだ。
「お寺の屋根瓦が落ちてる。地震のせいね」
すすけた和風の風景にふつりあいな白人の美少女はため息をついた。
「新しい建物より古い建物が傷つくほうが無惨な感じがするのはどうしてかしら?」
「今日はどうしたの?」
「ダーリン、あなた水島功児を知ってるわね? これを見て」
カラミルはスマホをかざすと写真を見せた。
どこかのホテルの写真だ。
大きなベッドがあって、その脇の床に二メートルはありそうな大男が倒れている。
白いガウンを着た男はあお向けになり、苦しそうに胸を押さえて口から血を吐いていた。
「グラッツの施設が送ってくれたの。死んでるのは仲間の吸血鬼。わたしの一族で最強といわれた男だけどあっさりやられたわ。やったのは水島よ。写真はオーストリアのホテルで撮ったの」
「死因は?」
ベッドから赤い帯が床に垂れている。
「心臓が破裂したの。心臓の内側で爆弾が炸裂したみたいに。これも見て」
カラミルは続けて三枚の写真を見せた。
一枚目は黒いスーツを着た男性が石畳にうつぶせに倒れている写真だ。
男性の頭は夏の浜辺で割られたスイカのように、こなごなに砕けていた。
二枚目は砂漠の写真だ。
頭に白いターバンを巻き、白いワンピースを着た男性がやはり砂に横たわっている。
しゃちほこのようにエビ反りになった男性の裂けたお腹からはらわたがこぼれ、白い砂を黒く染めていた。
最後の三枚目にはどこかのお屋敷の門が映っている。
黄色い法衣に赤い袈裟をまとったアジア人の僧侶が、門柱のとがった先端に串刺しになっていた。
「三人はバチカンとメッカとポタラ宮の調査員よ。調査対象は帝国呪術班の水島功児。バチカンはエクソシスト、メッカは砂漠のベドウィン、ポタラ宮はシャーマンを用意したけど水島に先手を打たれて、三人とも自分のふるさとで命を落とした。凄腕の調査員をあっさり失い、三つの宗門はそれぞれの信徒に声明を出した。
『今後いかなることがあっても水島功児に手だし無用』って。これどういうことかわかる?
水島は世界三大宗教の生きるタブーになったのよ。わたしも長生きしてるけどこんな男はじめて見たわ」
「宗門は警察に訴えなかったの?」
「水島がやった証拠がないわ」
「てことは水島がどんな術を使うのかも?」
「わからない。ダーリンあの男に関わるのは危険よ。お願いサーカスから手を引いて」
「それはできない」
「どうして」
「サーカスの人たちが好きなんだ」
好きといったとき、バイオリンを弾くカオルの姿がとっさに頭にうかんだ。
「オゥ、それじゃあ止められないわ」
「わざわざありがとう。きみもサーカスを見にきて」
ランドセルからとり出したサーカスのチラシをわたすと、カラミルはまぶしげに目を細めた。
「『ともにブリガドーンを楽しみましょう』……ブリガドーンってスコットランドの伝説ね」
「そうなの?」
「スコットランドの高原に百年に一夜だけあらわれる幻の村をブリガドーンと呼ぶの。でもそれとは関係なさそうね。まあいいわ、あしたこの目で直接サーカスを見てなんのことだか確認しましょう」
そういってカラミルは青い瞳を光らせた。




