第54話 女神イザナミ
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「かく為ば、汝の國の人草、一日に千頭絞り殺さむ。
こうなったらあなたの国の人間を毎日千人絞め殺しましょう。古事記でイザナミが夫のイザナギにいったセリフだね。ユイ、これを」
わたしにバスタオルを手渡しながら三郎は「でもなんで泥人形が古事記のセリフをいうんだ?」と疑問を口にした。
サーカスのテント小屋の一室、三郎に与えられた四畳半の部屋にわたしたちはいた。
ここまでいっしょにきたサンジはテントの入口で出迎えたAにわたしをあずけると「家が心配だから」と中に入らず、一人でさっさと帰った。
「死んだ妻に会いたくてイザナギは地底にある黄泉の国へ行く」
文庫の古事記をひらいて三郎は語った。
「黄泉は死者が集まる場所だけど、そこで出会ったイザナミの蛆やヘビをまとった姿に驚いてイザナギは逃げ出す。怒り狂ったイザナミは地獄の亡者黄泉醜女の軍団に夫を追わせる。イザナギは櫛や桃を投げて黄泉醜女の気を引き、奇跡的に逃げおおせる。古事記のここらへんの文章は神話に書かれた日本最古のホラーで『悪魔のいけにえ』ばりのこわさがあるよ。
泥人形がユイやサンジに向かっていったのは黄泉の坂の出入口を岩でふさがれたイザナミが、夫に向かって最後にいった呪いの言葉だね。これ日本最古の呪文だよ」
「なんで泥人形がそんな呪文を? だいたい泥でできた人形がしゃべるってなんなの?」
雨に濡れたわたしの髪をバスタオルでぬぐいながらAが尋ねる。
三郎は肩をすくめた。
「わかんない」
「泥人形は」
といったのは部屋にいたセーラー服のお姉さんだ。
「泥人形は黄泉醜女のさきがけかもしれないわ」
「……そうかもしれない」
三郎の顔つきが変わった。
「たぶんカオルさんの推理当たってるよ。黄泉醜女はイザナミの部下だ。てことは地底でイザナミがよみがえったってこと? まさか……」
「イザナミがよみがえるとなにかまずいの?」
わたしに熊本銘菓の陣太鼓を渡しながらAがいった。
「イザナミって日本の国土を生んだ女神でしょ? いいじゃない、今の日本はせまいからとなりにもう一つ日本を生んでもらいましょうよ。新しい日本には家とか建てずにディズニーランドのような遊園地だけ作って遊ぶの。楽しいわよ」
「そ、それいい」
「ざんねんだけど、そうはならないよ」
三郎はセーラー服のお姉さんがいれた麦茶を一口飲んだ。
「よみがえったイザナミは新しい世界を生むために、古いものをすべてぶっ壊す」
「ふ、古いものって?」
「今の世界のすべて。世界中の建物、世界中の文明、世界中の人間。イザナミはそれをぜんぶ跡形もなく完璧に破壊する」
三郎がいったん口を閉ざすと、部屋はぶきみなほどシンと静まり返った。
「な、なぜそんなことを?」
「イザナミが国生みの女神だからだよ。キリスト教の聖母マリアとちがって日本の女神はやさしさとともに荒々しさがあるんだ。女神のやさしさを和魂、荒々しさを荒魂っていうけど、イザナミの荒魂っぷりは黄泉の国で夫を追いかけまわした姿にあらわれている。でもそれはほんの一部にすぎない。
夫に逃げられたイザナミは『一日に千頭絞り殺さむ』と夫と地上の生者への恨みに燃えている。こんどよみがえったらその恨みを全開にするよ」
「でもやっぱりわからないわ」
Aは首を振った。
「だって国を生む女神でしょ? なんで自分が生んだものをわざわざこわすの?」
「破壊と再生が表裏一体だからだよ。これはインド神話だけど宇宙の周期が完結したあと、万物を再生させるためシヴァ神と交合するのは破壊と殺戮の暗黒女神カーリーだ。新しいものを生むために、既存のあらゆるものを破壊するのはアジアの女神の残酷な特徴なんだ」
「でもどうやってそんなスケールの大きな破壊活動を?」
Aは首をかしげた。
「ゴジラだって世界をほろぼすほどの破壊力はないわ」
「それはわからないけど相手は神さまだ。なにか神秘的な力を使うんじゃない?」
「世界の文明を滅ぼすのにどれぐらい時間がかかるかしら?」
「神は世界を七日で作った。こわすのは作るよりはるかに簡単だから三日もあれば世界をこわせると思う」
「三日……」
「イザナミによって破壊しつくされた大地にまた新しい世界が生まれる。どのように再生がなされるのかはわからないけど、ともかくそのときぼくらはみんな地上の塵だ。だからイザナミがよみがえるのはこまる。カオルさん、団長さんは?」
「おでかけになってるわ」
「そっか。おふくろさんのこと聞きたかったんだけどな」
「お、おふくろさんって?」
「柱サーカス団長の淡島さんはイザナギとイザナミの次男なんだ」
とさりげなくすごいことをいったあと、今夜はもうおそいから泊まっていきなよ、と三郎はわたしとAにいった。
「カオルさんが部屋を用意してくれるから」
「ごゆっくりどうぞ」
(ふーん)
わたしはセーラー服のお姉さんを観察した。
(この人カオルっていうんだ。幽霊って聞いたけどぜんぜんふつうな感じ……っていうか美人じゃん)
わたしはとっさに自分の顔のアザをかくした。
今さらおそいけど。
「じゃとなりの部屋にAとユイの布団をお願いします」
三郎はカオルさんに頭をさげた。
「ぼくはここで一人で寝るから」
「あら、もっと大きなお部屋用意するから三人いっしょに寝たら?」
「落ちつかないから別にして」
「まあ、ウフフ」
(仲いいな)
その仲のよさがなぜかむかつく! と思いながらわたしはプラスチックナイフで大きめに切った陣太鼓を口に放り込んだ。
「ところで雨は大丈夫かしら?」
Aは不安そうに周囲を見渡した。
「だいぶはげしくなってきたわ。白川の水が河原にあふれてテントが流されたりしない?」
「ご心配には及びません」
見る者を落ち着かせる柔和な笑みを浮かべ、しかしその表情と裏腹なきっぱりとした口調でカオルさんは断言した。
「天はわたしたちの味方です。ブリガドーンを実行するその日まで、天がわたしたちを見捨てることはありません。雨はもうすぐあがります」
「ブリガドーン?」
三郎はきょとんとした顔でカオルさんに質問した。
「それなんですか?」
「あらごめんなさい」
なにか用事を思い出したのか、カオルさんは立ちあがると部屋を出て行った。
すぐもどると思ったのにその夜カオルさんはどこかへ消えたままわたしたちの前に姿を見せず、Aを不安がらせたはげしい雨はその後すぐあがった。
カオルさんの予言が当たった。




