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少年呪術師  作者: 森新児
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第53話 ユダとカラスと女の子

 △


 朝から雨が降っていました。

 その日わが師父は安っぽいビニールカサをさし、白川沿いの遊歩道を歩いておられました。

 肉体を持たないわたくし霊徒ユダは黙って師父のあとに従いました。

 水道町の停留所のそばに大甲橋という橋がかかっています。

 大甲橋は熊本市の東西をむすぶ大きな橋ですが、その下流に銀座橋があります。

 おもに車が走る細い橋ですが、その橋の下に雨宿りしている人がいました。

 黒いシャツに黒いジーンズを着て紺色のレインコートをはおったやせた若者です。

 橋げたをかこむフェンスの前に腰をおろし、雨でにごった白川の流れをじっと見つめています。

 橋の下でカサを畳むと、師父は若者に声をかけました。


「私が見つけた()()()の住み心地はどうだ? 小林一彦。いや、

 宇宙からの精神X」


「……なぜここがわかった?」


 Xは表情を変えずに師父を見ました。


「知的生命体の精神には温度がある。おまえたちの精神温度は人間よりはるかに低い。その冷気をたどってきた」


「おれを殺すのか?」


「おまえの望みはなんだ?」


「復讐」


「私への?」


「ちがう。おまえにはぜったい勝てない。われわれはむだなことはやらない主義だ」


「ではだれに対する復讐だ?」


「早川三郎」


 若者はきっぱり断言しました。


「おれの仲間を皆殺しにしたあのガキを殺す」


「持っていけ」


 革のケースに入ったサバイバルナイフをXのひざへ放ると、師父はすぐ相手に背を向けました。


「ユダ」


 カサをひろげながら師父は、あの男三郎に勝てると思うか? とわたくしに問われました。


「無理です」


 正直にそういうと師父は苦笑いされました。


「やっぱりおまえもそう思うか」


「はい」


「しかし早川三郎には重大な弱点がある」


「それはなんですか?」


「乱戦を経験してない」


 雨の中を歩きながら師父はいわれました。


「強敵と正面から堂々とやりあう勝負と乱戦はぜんぜんちがう。無秩序な戦いに早川三郎の知性や理性は通用しない。そういう状況ではシンプルな恨みやつらみが勝つ」


「なるほど……」


 振り返ると橋の下にXの姿はもうありませんでした。





 ◆


 朝から降っている雨は夜になってもまだ続いた。

 ユイに「カーキチ」と名づけられたわたしは早川三郎の家の玄関ではねを休めていた。

 三郎にユイを守ってくれと頼まれたので、それを実行しているところだ。

 本当は人間の頼みなど聞く義理はないが、ユイだけは特別だ。


 フクロウに追われ、アパートのベランダに逃げ込んだわたしを助けてくれたのが幼い日のユイだ。

 あの子はわたしの傷んだ嘴やはねに薬を塗り、自分のぶんの食パンやチーズを恵んでくれた。

 カラスの世界にも人間と同じように神話があり、そこに天使が登場する。

 神話の天使は「太陽が沈む直前の夕焼け空」のように美しいといわれている。

 ユイは子どものころから圧倒的に美しかった。


 すべての生き物はそれぞれの個性に合わせたオーラをまとっている。

 オーラは人間もまとっているが、人間には見えない。

 ユイは赤いオーラをまとっていた。

 太陽が沈む直前の夕焼け空のような赤いオーラを。

 わたしはその美しさに見とれた。

 さらにカラスの神話で天使は

 「ふしぎな御力で人間どもを滅ぼす」

 とされている。

 わたしはやせて傷だらけのユイをはじめて見たとき、この子にはそういう力がある、と確信した。

 では人間に対する恨みを晴らしたくて彼女を守るのか? といわれたら、ちがうと答える。

 ただユイがかわいいから守るのだ。





 早川三郎もわたしのお気に入りだ。

 あの小僧は体が弱いし、自殺した兄や発狂した父親に比べると、明らかに呪術師として才能が劣っている。

 にもかかわらず卓越した能力や知能を持つ化け物どもを次々倒している。

 わたしは闇にかくれ、小僧の戦いをすべて見物した。

 とくに食人癖があるシリアルキラーの天才弁護士と対決し、霊波不知火で倒した手際はみごとだった。

 修練で後天的に身につけた技術は野生の本能に勝る。

 早川三郎はそんなわたしの持論を実践していて、そこが気に入った。


 ちなみに小僧がまとったオーラの色は……と、回想していたら気がついた。

(なにかいる)

 耳を澄ませた。

 夜になってはげしさを増した雨音にまじって、かすかに異音が聞こえる。

 巨大なボイラーの中でお湯が沸騰しているような音だ。

 にぶくて重い。

 しかしどこから聞こえてくるのかわからない。

 音の正体はともかくどこから聞こえるのかわからないなんてそんなバカな、と首をひねっていたらわかった。

 わたしは自慢の嘴を地面に向けた。

 音は足もとの地底から聞こえてきた。





 ●


 今日は七月八日金曜日。

 三郎がサーカスに泊まり込んでちょうど一週間になる。

 今家にAはいない。

 三郎のもとへ夕食を届けに行った。

 わたしはサンジと二人でコインランドリーから持って帰った衣類を畳んでいた。

 朝からずっと雨が降っているからランドリーの乾燥機を使ったのだが、ふと気づくとサンジが手を止めていた。

 虚空を見つめてる。

 外の音を聞いているのだ。

 わたしも彼といっしょに耳を澄ませた。

 町を洗う雨音がかすかに聞こえる。すると


「ど、どうしたの?」


 サンジがとつぜん立ち上がったのだ。


「ユイさん、あなたはここにいてください」


「ど、どこへ行くの?」


「外へ」


「ど、どうして?」


「ようすがへんです」


 五分待ってもサンジはもどってこない。

 わたしは心配になって外に出た。

 玄関で赤い長靴はいて赤いビニールカサを手にとった。

 となりのマンション前を通って空き地に向かった。

 藤崎台球場へ至る坂の下にその空き地はある。

 夜になって雨はいよいよ強くなり、カサをたたく雨音が石のように固い。

 空き地は九州電力の変電所に面していた。

 夜だから門は閉じている。

 門の向こうに街灯があってその光が空き地を照らしていた。


「夜になると藤崎台球場の森から街灯の光に誘われてカブト虫が飛んでくる。朝早く行くと街灯の下に何匹もひっくり返ってるんだ。変電所の門のわずかなすきまをくぐって中へ入って、カブト虫をつかまえるのが子どものころ楽しみだった」


 三郎がそんな話をしてくれたのを思い出す。

 その門の前にサンジが立っていた。

 透明なビニールカサをさして門の向こうをじっと見つめてる。


「か、カーキチ?」


 門の正面にマンションの駐輪場があって、そこにカーキチがいた。

 自転車のサドルに止まり、なにかを威嚇するように大きくはねを広げている。


「カーッ」


「ど、どうしたの?」


 カーキチの視線をたどった。

 変電所の門の向こうを見ている。

 わたしは門の前に立つサンジに近づいた。


「……さ、サンジさん?」


「あそこです」


 サンジは細長いきれいな指で門の向こうをさした。

 門の下に四角いちいさなすきまがある。

 ネコしか通れないようなせまいすきまで三郎くんほんとにここを通ったの? とあきれながらサンジが指さすものを見た。

 変電所の地面に雨水マスの丸いフタがあった。

 お腹をこわした人のようにゴロゴロ音を立て、フタのすきまからときおり水を吹き出している。


「あれがどうかした?」


「あそこになにか……」


 と、サンジがいったときだ。

 パカンと固い音を立ててフタがふっ飛んだ。


「カーッ!」


 カーキチの絶叫とともに雨水が吹き出し、すぐ()()があらわれた。

 丸い穴から、黒いなにかがニューっと立ちあがった。


「ななに!?」


「かくせば、いましのくにのひとくさ、ひとひにちがしらくびりころさむ」


 立ちあがった黒いなにかは男か女かわからない奇妙な声でそういうとケラケラ笑った。

 はげしい雨音が消えるほどその声は大きかった。

 わたしはおそろしくなってサンジにしがみついた。


「ひとひにちがしらくびりころさむ、くびりころさむ!」


「こ、こわい」


「おっ」


 サンジはわたしを抱えてあとずさると、さしていたカサを楯のように前にかざした。

 ボンッとにぶい音がして黒いなにかが爆発した。

 飛び散ったなにかの破片がリズミカルにカサをたたく。


「カーッ! カーッ!」


「……だ、大丈夫」


 手を振ってカーキチを落ち着かせると、わたしはまたサンジにしがみついた。

 サンジの体はカトリックの祭具である乳香が染み込んで甘い匂いがした。


「泥です」


 カサにこびりついた泥を見せながら、今しゃべったのは泥人形だ、とサンジは呆然とつぶやいた。


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