第49話 神の子淡島
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少女のバイオリン演奏が終わりました。
三郎は熱烈に拍手し、彼の義眼に住むわたしもいっしょに手をたたきました。
拍手は地球人が相手を賛美するとき行う風習です。
この原始的な音楽を思わせる風習が、わたしは好きです。
拍手を浴びた少女ははにかんだように頭をさげました。すると
「お待ちしておりました早川三郎くん!」
横から甲高い声をかけられました。
大人の男性がそこにいます。
推定身長一七〇センチ、体重一〇〇キロ。
年齢はわかりません。
四十歳にも見えるし十代の少年にも見えます。
顔立ちは福を呼ぶ福助人形のようです。
頭が大きく目が細くアゴがたるんで耳も大きい。
なかなか印象的なご面相ですが、服装はもっと変わっていて黒い燕尾服に黒いシルクハット、蝶ネクタイに白い手袋といういでたちです。
そしてわたしがいちばんショックを受けたのは彼の肌です。
燕尾服の男性は雪のように顔色がまっ白です。
おそらく全身の肌もそうでしょう。
帽子からのぞく髪の毛や眉毛も真っ白です。
(この人白子ね)
アルビノはメラニンが欠乏する遺伝子疾患で、全身の肌や体毛が白くなります。
また肌が弱いため紫外線を浴びると皮膚がんになるおそれがあります。
男性が夏なのに厚着しているのは肌を守るためでしょう。
「わが柱サーカスへようこそ!」
男性はそういうと芝居がかった仕草で両手を広げ、それから胸に手を当て優雅に腰を折りました。
わたしはそのときまだ気づいていませんでした。
熊本を舞台にしたハルマゲドン、呪術師早川三郎と超巨大な悪との最終決戦の幕は、この瞬間あがったのでした。
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バイオリンを弾いていた少女江藤香とアルビノの男性に案内され、ぼくは赤いテント小屋に足を運んだ。
入ると灰色の闇に包まれた。
暑さを予想していたがテントの中はあんがいすずしい。
目はすぐなれた。
壁のランプが黄色い光で通路を照らしている。
右手の通路に目をやるとお菓子や飲み物を売る屋台が並んでいる。
今は無人だが、サーカスの幕があがったらきっと買い物客でにぎわうだろう。
「こっちは団員たちが寝泊まりする部屋があるの」
カオルは左手の通路をさした。
通路はゆるやかにカーブしている。
曲がった先に部屋があるようだ。
その通路をよこぎり、正面にある急な階段を登った。
「やれやれ」
階段を登りながらアルビノの男性はなんどもひざに手を当て、ため息ついた。
「団長さん運動不足ね」
とカオルがからかった。
階段の幅は二メートルほどで左右の壁にたがいちがいにランプがあった。
ランプにコードはなく壁にコンセントもない。
階段を登りながら、そっと壁に手をかざした。
(熱くない)
ランプの輝きは電気ではなく、炎でもなかった。
(なるほどね)
そういうことか。
階段を登りきるとカオルは閉じていた幕をサッとひらいた。
「わっ」
と思わず声が出た。
頭上からふりそそぐ光がまぶしい。
天井からぶら下がったシャンデリアが、三六〇度四方に白い光を放っているのだ。
ちいさな太陽のように。
シャンデリアのそばに黒い球形のスピーカーがあって、そこからクラシックの声楽曲が流れていた。
スピーカーのそばには一本のバーがぶらさがっている。
「あのバーはサーカス用語で撞木とかホーリコミというの」
カオルは頭上の空間をさした。
両端とまん中に天井からぶらさがった鉄板がある。
「あれは空中ブランコの飛び手が飛び出す出撞木という台よ。お客さまが見やすいように足もとが網目になってるの。まん中のが中台。中台のそばの撞木に受け手が逆さまにぶら下がって飛び手を受け止めるの。受け手をやるのはベテランね。受け手のほうが飛び手よりむずかしいから。
柱サーカスの空中ブランコは下に救命ネットを張らないの。飛び手も受け手も命がけだからスリル満点よ。天井から下までおよそ十五メートル」
彼女の指を追って下を見て、とっさにブルッとひざがふるえた。
すりばち状の観客席が足もとに広がっていた。
すぐ真下に十人がけの黄色い長イスが二つ、上から下まで二十五列、ぜんぶで五十脚ならんでいる。
客席は四つに区分されていた。
「今わたしたちがいるのが南席、正面が川沿いの北席、右手が川上の東席で左が川下の西席よ。
北席の最前列が貴賓席。
北席の下の空間が荷物置き場。
ほかの三席の下が団員が寝泊まりする部屋になってるの。
東西南北それぞれ五百人づつ、ぜんぶで二千人のお客さまがここに入れるわ」
「二千人……」
後楽園ホールの収容人数と同じだ。
「あそこがサーカスの舞台よ」
カオルは地底に向けた指でぐるっと円を描いた。
すりばち状の観客席の底に円型のスペースがあった。
円型のスペースは客席と低い壁でしきられ、赤っぽい土が敷かれていた。
「あの円型舞台をサーカス用語で丸盆というの。あそこでわたしたち団員が芸を披露するのよ」
うなずきながら小屋の中を見わたし、重大なことに気づいた。
(テントを支える柱が一本もない)
燃料なしに輝くランプ。
支えなしに自立するテント。
これはやはり……とブツブツつぶやいていたら視線を感じた。
丸盆に二十人ほど人がいる。
いつあらわれたのかわからない。
みんなこっちに手を振っている。
「柱サーカスの団員よ」
カオルは彼らに手を振り返した。
遠くて顔立ちはわからないが、団員たちが着ている服はわかる。
(着物にTシャツに袴、ジャージ、浴衣、学生服、狩衣、それに軍服か)
統一性がない、みんなコスプレーヤーかな? と思っていると燕尾服の男性がいった。
「団員はのちほど紹介します。まずわたしの部屋で一休みしましょう」
アルビノの男性の部屋はさっきまでぼくらがいた南席の真下にあった。
六畳の和室で部屋に入るとき安物スニーカーを脱がねばならなかった。
質素な部屋だ。
ちゃぶ台とタンスと部屋にふつりあいな大きな柱時計があるだけ。
クーラーも窓もないがふしぎと自然な空気の流れを感じる。
アルビノの男性が青いコップに麦茶を注いでくれた。
コップの表面に冷たい汗がうかんでいる。
一口で飲み干すと汗が引き、二杯飲んだら体の内側がすずしくなった。
三杯目はがまんした。
これ以上一気に飲んだらお腹が痛くなる。
体が弱いとこういうところが面倒だ。
「わたくし淡島と申します。
日本の国土を生んだ二人の神イザナギとイザナミの次男です」
ちゃぶ台をはさんでぼくの正面に座ったアルビノの男性は山高帽を脱ぎ、白髪をさらして笑みをうかべた。
口調は淡々としているが語った内容はものすごい。
自分を神の子といっているのだ。
「信じられませんか?」
と淡島がいったときカオルがちゃぶ台の麦茶を畳に置き、代わりにまな板と包丁を台に置いた。
「なんですか?」
「わたしが神話の登場人物であることを証明します」
「ちょっ……!」
声をあげたときにはもう淡島は右手の包丁を振りおろしていた。
刃物とまな板がぶつかる固い音がして、すぐぽとりと軽い音が聞こえた。
切り落とされた淡島の小指が畳に落ちていた。
真っ白な指がぴくぴくふるえてる。
死にかけの小鳥のように。




