第47話 国造りの神話
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ある日。
師父が新聞を読まれていました。
読んでいるのは地元の熊日新聞です。
これはお珍しいと背中越しにのぞくと、こんな記事が目に飛び込んできました。
【医療刑務所から患者脱走】昨夜熊本市の医療刑務所から患者が一名脱走した。患者の名前は小林一彦さん(21)。小林さんは今年四月熊本市の本城小学校に刃物を持って侵入し、傷害未遂の現行犯で逮捕された。その後心神喪失のため無罪となり医療刑務所に措置入院していたが、昨日未明同所からいなくなった。警察は小林さんの行方を追うとともに周辺住民に警戒を呼びかけている……
(なるほど、これか)
宇土の城山公園で師父がいわれた「おもしろい空き家」とはこのことだ、と自分は確信したのです。
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地下にある部屋の床に男が倒れていた。
白い麻のスーツに黒いシャツ、そして足もとははだしという格好で。
浅黒い肌をした中近東出身らしい外国人で、子どものこぶしのように顔がちいさい。
小柄な中年男性だ。
「あーあ」
白地に青い水玉のパジャマを着た三郎はベッドの上で大きなあくびをした。
道目鬼山でフランチェスコと悲しい別れをした日からおよそ二週間後、七月一日金曜深夜のできごとだ。
柱時計を見ると午前二時をさしてる。
もう土曜になったと思っていると、三郎がわたしに気づいた。
「ユイも起きたの? 寝てていいのに……」
「この男は?」
腕組みしたAが厳しい口調で問う。
「アサシン(殺し屋)だよ」
三郎は眠そうに目をこすりながら床を指さした。
大きなナイフがそこに落ちている。
「だれがやとったのかはわからない」
「わたしが寝ているソファの横を通ってこの部屋へ降りたのね。気がつかなかったわ」
Aはプライドを傷つけられたようだった。
「ぼくもぜんぜん気がつかなかった」
「その男、蜘蛛のように四つん這いになって歩いてきました」
その声は三郎の左目から聞こえた。
花子だ。
「音はまったくしませんでした。空気の流れや気温の変化もなし。わたしが気づいたのはボーディを感じたからです」
ボーディとはすべての知的生命体が放つ精神温度のようなもの、と花子は説明した。
「そう、ありがとう花子さん……こいつ身分証は持ってないけど」
男の体を調べながらAは自分の胸もとを指さし、三郎は黙ってうなずいた。すると
「あ」
驚きのあまり声が出た。
倒れていた男がとつぜん上体を起こしたのだ!
とっさにナイフを構えたAを三郎は制した。
「大丈夫、さっきぼくの光で彼の不滅のティグレを破壊した」
不滅のティグレはすべての人間の心臓に宿る精神の源のようなもの……と以前三郎から聞いた。
ティグレを破壊された人間は知恵や自我を失い廃人になるとも。
「この人もう自分の名前もいえないよ」
男がゆっくり立ちあがると三郎は彼の胸もとに顔を近づけた。
「ぼくに用があるならあした、ってもう今日か、家じゃなく学校にきて。待ってるから」
「な、なに?」
「監視カメラよ」
Aは自分の胸をさしながらわたしにいった。
「ボタンに偽装した高性能カメラよ。だれかこっちのようすを見てるの」
「き、気持ち悪い……」
サンジは? とまたあくびしながら三郎がAに尋ねた。
「部屋で寝てるわ。一度寝たら朝までぜったい目をさまさないからあの子」
「さすが」
「お気をつけて」
部屋を去る男に思わずそう声をかけた。
男は幽霊のようにおぼつかない足どりで階段をのぼり、姿を消した。
「さ、ぼくらももう一度寝よう」
そういった二秒後に三郎のやすらかな寝息が聞こえてきた。
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今日は土曜だから授業は半日で終わります。
もう一時間目が始まる時間ですが、朝吹先生はまだ教室に姿を見せません。
申し遅れました。
わたくし花子と申します。
先日三郎に退治されたXと同じ、肉体のない純粋精神体です。
少し前までこの学校のトイレに住み、今は早川三郎の義眼で暮らしています。
本当の名前は別にありますが、地球人の口腔器官では発音できない名前なので仮に花子と名乗っています。
早川三郎との生活は快適です。
彼といっしょに本を読んだり音楽を聴くのは楽しい。
とくに音楽はすばらしい。
地球人が生んだ最上の文化は音楽と断言します。
ちなみにわたしのお気に入りはメガデスです。
三郎は風呂やトイレに行くとき義眼をはずします。
裸の体や排泄する姿を見られたくないそうです。
それはいいのですが「地球人の交尾を見たい」というわたしのリクエストが即座に却下されたのは納得できません。
「勘ちがいしないでください。学術的興味ではなく純粋なスケベごころで見たいのです」
「勘ちがいしてたほうがよかった」
「あなたの体をお借りして思う存分下品なセックスを楽しみたいのですが」
「十歳の少年に向かっていうセリフじゃないね」
「快楽の自由は宇宙憲法で保障されています!」
「人を説得するとき自由とか憲法とかいうやつろくなやついないよ!」
クソ、このガキなかなか手ごわい……失礼しました。
窓際に席がある三郎は今ぼんやりと校庭をながめています。
となりの席のユイは自分の机に置かれた白い花の香りをかいでうっとりしています。
わたしもその香りを嗅ごうとしたら
「そんなのないよ!」
甲高い男の子の声が聞こえてきました。
「いやあるって!」
これはA組の番長(?)オサムの声です。
なにやら二人で議論しているようです。
わたしは耳を澄ませました。
「じゃあもう一回確認するけど場所は?」
これは甲高い声の男の子の声です。
それに答えてオサムがいいます。
「泰平橋のたもとの河原」
「そこに赤くて大きなテント小屋が建ってるの?」
「そうだよ、おれ昨日この目で見た」
「ぼくも昨日あそこの近く歩いたけどそんなのなかったよ」
「おまえが見落としたんだよ!」
オサムに怒鳴られ相手はひるみましたが
「なんで大きな声だすの!」
「かわいそうでしょ!」
まわりにいた女の子が相手の味方につき、オサムは一気に劣勢に立たされました。
やはりなにごとも感情的になってはいけません。
「はいみんな席について」
そのとき朝吹先生があらわれました。
先生は今日も白いジャージを着ています。
今はまだ地震の余震が続く非常時で、先生の服装はそれに合わせたものです。
「一時間目は国語ね。今日は古事記を読みます。雨宮さん、伊邪那岐命と伊邪那美命の神話を読んでちょうだい。最初の国土の修理固成の章をお願い」
「はい」
指名された雨宮ランは起立し、有名な二神による国造り神話を朗読しました。
「ここに天つ神 諸の命もちて……」
天界の神々に命じられ淤能碁呂島におりたったイザナギノミコトとイザナミノミコトはまず天の御柱をまわる儀式を行います。
女性のイザナミが右から、男性のイザナギが左から柱をまわります。
柱をまわって二人が顔をあわせると最初にイザナミが
「あなにやし えをとこを(あら、いい男)」
といいます。次にイザナギが
「あなにやし えをとめを(おや、いい女)」
といいます。イザナギは
「女が先に声をかけるのはよくない」
といって、その後二人はその場で交わります。
文句をいってすぐ交尾するのだから男も勝手ですが、イザナギの不吉な予感は当たり、やがて二人のあいだに骨なし子の水蛭子が生まれます。
二神はヒルコを葦船に入れ海に流します。
次に淡島という子どもが生まれますが、二神はこの子も海に流します。
流した理由はわかりません。
「こも亦、子の例には入れざりき……」
そのときとつぜん教室の扉がガラッと乱暴にひらきました。
ひらいてすぐプンと甘い匂いが鼻をつきます。
見ると黒い詰襟と紫の詰襟をそれぞれ着た二人の高校生が入口に立っていました。
「……」
子どもたちの無言のため息が、霧のように教室を満たします。
みんな二人に圧倒されたのです。
黒い詰襟を着た学生は黒髪をオールバックにした巨漢です。
身長二メートル体重一七〇キロあるでしょう。
身体中のあらゆる部分が筋肉でぱんぱんにふくらみ、学生服が今にも破れそうです。
眉が太く、目も口も鼻も大きくて首は肩にめりこんでいます。
顔立ちは上野の銅像で有名な西郷隆盛みたいに古風です。
紫の詰襟を着た学生は相棒よりもスマートですが、こちらもなかなか大きいです。
身長一九〇センチ体重九〇キロといったところでしょうか。
髪型は七十年代の不良少年のようなリーゼントです。
さっき鼻をついた甘い匂いは彼の髪からたちこめる整髪料の匂いです。
スポーツマンらしく肌は浅黒く日焼けしています。
顔立ちは精悍ですが女の子が喜びそうな甘さもあって、その証拠に彼を見た朝吹先生がとっさにこんなセリフをつぶやきました。
「あなにやし、えをとこを……」
あらいい男、と先生はいったのです。すると
「早川三郎くんはいますか!」
教室の窓がいっせいにビリビリふるえました。
黒い詰襟を着た学生の大音声です。
「し、知ってる人?」
こちらもふるえながらユイが小声で尋ねます。
「向こうはね。昨日ボタンのカメラでぼくのことずっと見てたから」
三郎はすぐ立ちあがりました。
「はい、ぼくが早川です」




